異界
すっかり暗くなった公園にヒロナリが約束通り現れたとき、カズマはさすがにほっとした。
「本当にずっとここにいたの」
ヒロナリは半ば呆れ顔だったが、カズマは気にしなかった。
「いたけど」
と当然のように答え、手招きする。
「そんなことより早くやろうぜ。やっぱり何度やってもあいつが倒せねえんだよ」
「あ、うん……」
ヒロナリがカズマの隣に座って、ヘリオス・ネオの電源を入れる。
「やべ、俺の充電あと15パーセントだ」
カズマのゲーム機の充電は切れかかっていた。待っている間、ずっとやっていたのだ、無理もなかった。
「こりゃ、一発勝負だな」
充電が尽きかけて赤く点滅する電池のアイコンのすぐ下に、メッセージが表示された。
『リンクを確認しました。通信プレイを行いますか』
「出た出た」
カズマは迷うことなく『はい』を選択する。
「ほら、ガリ勉、早くしろよ」
「うん」
ヒロナリの画面にもやはり同じメッセージが表示されていた。ヒロナリが『はい』を選ぶと、派手な効果音とともに、二人のゲーム画面が同時に点滅した。
「……おお!」
カズマの画面に、ヒロナリのキャラクターが登場していた。ヒロナリの方の画面にも、カズマのキャラクターが出現している。
「やった、すげえ」
カズマは興奮した声を上げた。声こそ上げなかったが、ヒロナリも興奮しているのが画面の明かりに照らされた表情で分かった。
カズマが操作すると、二つの画面で同時にカズマの戦士が動いた。
「よし、あの洞窟に攻略に行こうぜ」
「うん」
二人のキャラクターは連れ立ってレヲ・テミオの洞窟に向かった。
「ちゃんとついてこいよ、ガリ勉」
「こっちから行った方が近いよ」
カズマの戦士とは違う方に、ヒロナリの魔法使いが歩き出す。
「そんなことはわかってるんだよ」
カズマは言った。
「だけどこっちの道から行くと、赤い敵がいっぱいいるんだよ。あいつらを倒して矢を補充してから行くんだよ」
「あの赤い敵、矢を落とすのか」
ヒロナリは納得したように頷く。
「でもこっちに出てくる白い敵の落とす魔石が欲しいから」
「あの白い敵、そんなもん落とすのか。邪魔なだけだと思ってたぜ」
カズマも、まだ知らなかった敵の情報に目を輝かせる。
「じゃあお互いに好きな道を通って、洞窟の前で合流するか」
「うん」
それからしばらくはいつものソロプレイと同じようにゲームを進めた二人のキャラは、洞窟の前で落ち合った。
「よし、行くぞ」
洞窟に入ると、グラフィックが変化する。
薄暗い洞窟のあちこちで、たくさんの敵が蠢いている。
しかし攻略を始めてすぐにカズマは、二人でプレイすることの有利さに気付く。
ただ単に味方が増えたというだけではない。
自分の武器の届かない場所にいる敵をヒロナリの魔法使いが魔法で蹴散らしてくれるので、目の前の敵に集中することができるのだ。
ヒロナリも、
「近くの敵を気にしなくていいから、魔法がじっくり使えるよ」
と嬉しそうに呟く。
これ、すげえな。
カズマは思った。
互いの役割が明確に違うので、仲間割れを起こすこともない。
「ごめん、撃ち漏らした」「いいよ、俺が潰す」
「悪い、そっち行ったわ」「大丈夫、この程度のダメージなら」
そんな風に声をかけ合いながら、結果、驚くほどあっさりとボスモンスターのもとに辿り着くことができた。
一人だけの時には考えられなかったスムーズさだった。
岩を噴き上げて登場した巨大なカメとワニのあいの子のようなボスモンスター、レヲ・テミオ。
「さあ、来たぜ」
「うん」
レヲ・テミオはやはり戦士の武器も魔法使いの魔法も受け付けなかった。
「くそ、やっぱ効かねえな」
「いつもこいつにやられるんだ」
「とにかく、いろいろ試してみようぜ」
「分かった」
しばらく試行錯誤を繰り返した後。
魔法使いが稲妻の魔法を撃ち込んだ後に戦士が斧で叩くと、レヲ・テミオの甲羅の色が変わった。
「うおっ!」
カズマは声を上げる。
「これ、いけるんじゃねえの」
「うん」
稲妻の魔法と、斧の攻撃。
それを繰り返すと、レヲ・テミオの攻撃方法が変わった。明らかにダメージを与えている証拠だ。
「斧が効かなくなった」
「稲妻と斧の組み合わせじゃなくなったのかもしれない。僕は炎を撃ってみる」
「よし、俺も剣に切り替える」
再びの試行錯誤。正解は、炎と槍だった。
「きた! これなら勝てる」
「うん」
二人がダメージを与え続けると、ついにレヲ・テミオは爆発四散した。
「よっしゃー!」
カズマが左手を上げてハイタッチを求めると、ヒロナリはそれにぎこちなく応じる。
画面に、『異界の扉が開きました。』というメッセージが表示された。
「やったな」
「うん」
頷き合った次の瞬間だった。
突然、周囲が静かになった。
さっきまで聞こえていた、商店街のスピーカーから流れる音楽や道路を走る車の音、近くの家の犬の遠吠え。そういうものが、いっぺんに消えた。
「えっ」
二人は、いつの間にか見知らぬ古い門の前に立っていた。
錆の浮いた金属製の門には装飾とともに文字のようなものが彫られているが、二人には読めなかった。
もう夜になっていたはずなのに、青い空には太陽が輝いている。
「何だ、これ」
カズマは周囲を見回した。
テレビで見たことのある、どこかの外国の庭園のような場所だった。天気はいいのに、霧のようなもやがかかっていて、遠くが見えない。
門の先には道が続いているのだが、人の気配はなかった。
「異界……なのかな」
ヒロナリが言った。
「僕たち、本当に異界に飛ばされちゃったのかも」
「まさか、そんなわけ」
とっさにそう否定しかけて、カズマは自分の目の前の状況に沈黙する。
さっきまで確かに公園にいたのに、『異界の扉が開きました』というメッセージを読んだ直後に、ここにいた。
これが異界ではなければ、じゃあ何だと言うんだろう。
二人が持っていたはずのヘリオス・ネオは、いつの間にか消えていた。
「どうなってんだ、これ」
「……とにかく、先に行ってみよう」
ヒロナリがそう言って歩き出す。
その意外な勇敢さに驚き、カズマは慌てて後を追った。
「おい、待てよ」
道の両脇には、名前の分からない美しい花々が咲き誇っていた。ヒロナリはその間をずんずんと進んでいく。
「待てって」
カズマは置いていかれないように、その後に続く。
やがて、小さな黒いテーブルが道を塞ぐように置かれている場所に出て、道はそこで終わっていた。
「宝箱だ」
ヒロナリが言う。
テーブルの上に、金属製の小箱が置かれていた。
言われてみれば、宝箱のようにも見えた。
蓋に彫られた紋章に見覚えがある。確か、これは。
「暗黒竜の紋章だ」
「うん」
「じゃあこの中に秘宝が入ってんのかな」
「多分……」
ヒロナリが箱に手を掛ける。
「おい、気を付けろよ」
カズマは思わず声を上げた。
「罠がかかってるかもしれねえぞ」
だが、ヒロナリはためらうことなく箱の蓋を上げた。
カズマも、後ろから箱の中を覗き込む。
けれど、何も見えなかった。ヒロナリが箱を開けた瞬間に箱から粒のような光が溢れ、たちまち二人を包み込んでいたからだ。
気付くと、二人は公園のベンチに並んで座っていた。
カズマが持つヘリオス・ネオの充電残量表示が赤く点滅している。
その画面には、
『第三の秘宝を入手しました。』
というメッセージが表示されていた。
「……今の、何だったんだ」
カズマが呟くと、ヒロナリが我に返ったように立ち上がった。
「僕、もう帰らないと」
「え?」
「こんな時間まで外にいたら、怒られちゃう」
確かに、いつの間にか時間が経ってしまっていた。もうすでに九時近い。
カズマにとっても、今の出来事が何だったのかを考えるよりも、とにかく家に帰らなければまずい時間だった。
「じゃあ」
そう言って駆け出していこうとするヒロナリの背中に、カズマは声を掛けた。
「おい、ヒロナリ」
「え?」
ヒロナリが驚いたように振り返る。
「面白かったな。俺、今日初めて、ゲームってめちゃくちゃ面白いんだと思ったぜ」
「……うん」
ヒロナリもためらいがちに頷いた。
「僕も、まあ」
ヒロナリも面白かった。ボスを倒せたときは、興奮もした。
けれどカズマのように手放しに面白かったと言うことはできなかった。親に隠れてやっているゲームを面白いと感じることに、どこか罪悪感のようなものがあった。
ヒロナリのそんな複雑な心境を知る由もないカズマは、
「また一緒にやろうぜ、ヒロナリ」
と無邪気な笑顔を見せる。
「うん。時間があれば」
曖昧に頷いた後で、ヒロナリは不思議そうに付け加えた。
「ガリ勉って呼ばないんだね」
「え? ああ。だってお前、すげえ勇気あるんだもん」
カズマは答えた。
「俺、知らなかった。お前、ガリ勉だけのやつじゃねえじゃん」
それはカズマの偽らざる感想だった。
「なんでビビらずに宝箱開けられたの」
「別に、大した理由はないけど」
ヒロナリは照れたように笑う。
「物語の中の勇者なら、あんなところでためらわないと思ったから。僕もそうしただけだよ」
「は?」
カズマにはぴんと来ない言葉だった。
「本を読むと、そういうことが書いてあるのか?」
ヒロナリはどう答えたらいいか分からず首をかしげる。
「まあいいや」
カズマは細かいことを考えない。ただ、素直にヒロナリを称賛したかった。
「とにかくお前はすげえよ。お前のこと、もうガリ勉なんて呼べねえよ」
その言葉にくすぐったそうな顔をして、ヒロナリはもう一度「じゃあ、また」と言うと走り去っていった。
彼の背中を見送ってから、カズマも自転車に跨った。