杖
「杖、出してみろよ」
三人が身を隠す岩の向こうで、カカマナットの鱗が地面に突き刺さる音が響いている。
まるで道路工事を思わせる轟音だが、カズマがここは安全地帯だと言った通り、岩陰は無風状態だった。
「ほら、早く」
カズマに促され、ヒロナリはおずおずと右手を前に突き出した。
「こんな感じ……かな?」
「いいんじゃねえの」
カズマの答えは投げやりに聞こえるが、本人にそのつもりはないようだ。語彙が足りないだけなのだ。良く言えば感覚的ともいえる。
以前のヒロナリなら、彼の返答に内心でむっとしていただろう。けれど今は、カズマのことが分かる。
「多分できるよ。やってみろって」
考えるよりも先に身体が動くカズマらしい言葉だった。
ヒロナリはリンを見た。リンも笑顔で頷いてくれた。
「いいと思う」
さすがにリンはそれだけでなく、言葉を続けた。
「そのまま、杖をイメージしてみて」
「どんな杖を?」
笑顔のまま、リンは首を振る。
「それはヒロにしか分かんない」
「え?」
「正解はヒロしか知らないもの」
リンは言った。
「ほら、私たちが動かしてるキャラって、ヘリオスネオの画面の中ではただの二頭身のドット絵だけど、頭の中のイメージでは違うでしょ? 考えたことない? このキャラが現実にいたらどんな風だろうって」
僕の魔法使いが現実にいたら?
そんなこと、考えたこともない。
「僕は……」
返答に困って、ヒロナリはカズマを見た。
「カズマ君は?」
「俺か? 俺の戦士は、まあ俺そのまんまだよな。ちょっとだけ足が長くなったり背が高かったり、筋肉が付いてたりするけどよ」
カズマはそう言って笑う。
「だって俺の分身なんだから。そうだろ?」
「……」
「私も」
少し恥ずかしそうにリンが言う。
「実際の私より少し大人っぽいけど、基本的には私自身のイメージ。だってその方が感情移入できるし」
「知らねえやつを動かしても面白くねえからな」
「それは人によると思うけど」
リンはカズマの言葉に苦笑し、ヒロナリを見た。
「ヒロの頭の中でも、きっともっと具体的なイメージの魔法使いが動いてると思う。私もカズもそう。だから自分のイメージ通りの武器を出せたのよ」
二人の持つ弓は、大きさもデザインも違う。
リンの弓は細く、複雑な模様が彫り込まれていた。カズマの弓はまるで鎌倉の武士が使うような長いもので、色は黒一色だ。
だが確かに二人が持つのにふさわしいだろうとヒロナリは思った。
ヒロナリは、突き出したままの自分の右手を見た。まだ空っぽのままの右手を。
「僕は……あまり考えたことがないよ。ゲームのキャラはゲームのキャラだ。現実にいたらどうとか、そういう空想をしたことがない」
「えぇ?」
カズマが顔をしかめる。
「ゲームから広がるだろ? 似たようなマンガ読んだり、アニメ見たりしたらさ、そういうのが混ざったりして」
「漫画は読まないよ。アニメも見ない」
ヒロナリは答える。
ゲームは、ゲームだ。現実ではない。
むしろ、息の詰まる実際の生活をひと時だけでも忘れさせてくれるものだ。
ヒロナリはそこに現実の自分を投影しようとは思わなかった。
この場所にたどり着くまでの苦しい一人プレイの中で、確かにヒロナリはゲームの中の魔法使いと自分の感覚がリンクするような感覚を覚えた。
だが、ゲームをプレイしている自分とゲーム内のドット絵とはあくまで別物だ。
やられれば悔しいが、それはキャラクター個人に対する感情移入とは違うものだった。
だからヒロナリの頭の中で動いている魔法使いは、いつも見慣れたあの粗いドット絵のままの姿だ。
「まあ、何でもいいよ」
カズマが焦れたように言った。
「とにかく目をつぶってイメージしろよ。杖だ、杖」
「うん……」
ヒロナリは言われるがままに目を閉じた。
魔法使い。
その言葉からは、外国の小説の挿絵で見た長い白髭の、いかにも魔法使い然とした老人の姿が思い浮かびはしたが、それは自分の操る魔法使いのイメージとは重ならなかった。
ヒロナリの中で、「暗黒龍の秘宝」の魔法使いは、やはりあのごく限られたドットで表現された二次元の存在だった。
「うえっ?」
カズマが妙な声を上げた。
「ヒロ、それって」
リンの声も上擦っていた。
「え?」
ヒロナリは目を開ける。
彼の手の中に、杖が現れていた。
「それ、見たことあるな」
カズマが言った。
「ゲームそのまんまじゃねえかよ」
彼の言うとおりだった。ヒロナリが握っているのは、直線で表現されたゲームそのままの杖だった。ぐるりとねじ曲がった先端部分も、直角に曲がっていた。
「言ったじゃないか、僕にとってはゲームはゲームだって」
情けない気持ちで、ヒロナリは言った。
「こうなるに決まってるよ。だって僕は他のゲームなんてほとんどやったことがないんだから。漫画もアニメも知らない。イメージなんて」
「だからって、お前」
「見た目は関係ないよ。人それぞれ、イメージがあっても変じゃないよ」
助け舟を出してくれたのはリンだった。
「そんなことよりも、魔法が使えることが大事でしょ」
「おう、そりゃそうだ」
カズマはすぐに切り替えた。
「やってみろよ、ヒロ」
「う、うん」
ヒロナリは角ばった杖を構えた。
見た目のごつさの割に、重さはあまり感じない。せいぜい雨傘程度だ。
「確か……」
ゲームで魔法を使うとき、魔法使いは杖を前に突き出して……
「ファイアボール!」
四角い杖の先端から、四角い炎が飛び出した。
「出た!」
「ゲームのまんまだ!」
リンとカズマが歓声を上げる。
「うん……」
炎までドット絵なのか。ヒロナリは、近くの地面に落ちた火球を恨めしそうに見る。
「それじゃあ私も魔法に切り替えるね」
リンが弓を持った手を伸ばすと、弓は消えて代わりに細身の剣が現れた。魔法戦士のリンは、杖ではなく剣で魔法を放つのだ
「じゃあ次のタイミングで撃ち込んでみましょう。カズはカカマナットの様子をよく見ておいて」
「おう」
「三条さん、僕はアイスロケットを使うよ」
「あ、そうだね。何が効くか分かんない相手に、二人で同じ魔法使っても仕方ないもんね。さすがヒロ」
同じドット絵ならせめて、火球よりも氷の塊の方が直線的で違和感が少ない。
氷の魔法に切り替えたのはそれが一番の理由だったが、ヒロナリはそれを言うのはやめておいた。
岩の向こうから断続的に続いていた、鱗の刺さる音がやんだ。
「今だ!」
ヒロナリとリンは岩陰から飛び出した。
「ファイアボール!」
リンの剣先から飛び出したのは、紛うことなき本物の火の玉だった。
火球はエメラルドの龍に吸い込まれていき、小さな爆発を起こした。
「効いた!?」
「分からない。変化はなさそうだけど」
そう答えながら、ヒロナリは杖を突き出す。
「アイスロケット!」
飛び出したのは、鋭く尖った氷の弾。ドット絵とはいえ様になっていた。
しかし氷弾は龍の鱗を貫くことなく、その表面で粉々に砕け散った。
「だめだ」
「別の魔法を試そう!」
カカマナットの攻撃の合間に、二人は使えるだけの魔法を撃ち込んだ。だがカカマナットに顕著な変化は見られなかった。
「時間だ、急げ!」
最後まで粘ってカカマナットに稲妻の魔法を撃ち込んでいたリンを岩陰に引き込んだカズマは、悔しそうに岩を蹴った。
「魔法も効かねえ。どうすりゃいいんだ」
「手持ちの魔法は全部試したものね」
リンもさすがに疲労の色を隠さなかった。
「何か……見落としがあるのかな」
「三人揃ったんだ。何かあるだろ」
カズマはもう一度岩を蹴った。
「くそ。あいつが下りてくりゃ、斧でぶった切ってやるのに」
「……そういえば」
ヒロナリは思い出した。
「僕、一人でここに来る途中で何度かレベルが上がったんだけど、一つ新しい魔法を覚えたんだった」
「マジか」
「うん。でもあんまり使い勝手が良くないから、ほとんど使ってないんだ。もしかしたら、それが」
ヒロナリはドット絵のような杖を握りしめる。
「……いや。あんまり期待はできないな」
「どうして?」
「ポイズンエリアっていう毒の魔法なんだ。地面に毒のフィールドを作って、そこを通る敵にダメージを与えるっていう」
「ちょっと使い方の特殊な魔法だね」
「うん。しかもこっちが通ってもダメージを受けるから」
「あぶねえな」
カズマは嫌な顔をした。
「いくら地面に毒地を作ったって、あいつは空から下りてこねえんだ。意味ねえだろ」
「そうだよね……」
ヒロナリは唇を噛んで、地面を削る鱗の音を聞いていたが、やがて顔を上げた。
「……待てよ。もしかして」




