パターン
岩場に足をとられながら、危なっかしくヒロナリが駆け寄ると、カズマとリンは満面の笑みを浮かべて出迎えた。
「来てくれると思ってたぜ」
カズマは言った。
その頬が土で汚れている。
「これで戦える。な、リン」
「うん」
リンも頷く。その顔もやはりすっかり汚れていた。
「ヒロが来てくれたから、何とかなると思う」
「二人とも、ずっとここにいたの」
ヒロナリの問いに、二人は顔を見合わせる。
「ずっとって言うか、まあ」
「うん。一時間くらい経ったかな」
二人の呑気な物言いに、ヒロナリは大きく首を振る。
「そんなわけないよ。二人とも、もう一週間もいなかったんだから」
「えっ」
「マジで」
二人とも驚いた顔をしたが、特に大きく反応したのはカズマの方だった。
「一週間!? 俺、一週間も休んでんの? 一年からずっと皆勤だったんだけど!」
そう叫んだ後で、はっと顔を青ざめさせる。
「っていうか、母ちゃん心配してるよな。先生何か言ってたか? もしかして警察とか呼ばれてんの?」
「あ、ううん」
ヒロナリは首を振った。
「学校には来てる。カズマ君じゃない誰かが」
「は?」
「だから、誰も気付いてない。僕以外は」
「……どういうことだよ」
カズマが声を潜めたときだった。
頭上で獣の甲高い鳴き声がした。
周囲の岩がぶるぶると震えるほどの大きさ。
本当の野生の声。
ヒロナリにとっては、昔遠足で行った動物園でしか聞いたことのない類いの声だった。
「え、今のって」
「来やがった」
「うん」
カズマとリンは厳しい表情で頷き合う。カズマが空を指さした。
「カカマナットだ」
ヒロナリは頭上を振り仰いだ。
太陽の光が目に入って、顔をしかめる。だがその光はすぐに何か巨大なものに遮られた。
エメラルド色に輝く鱗。
それは現実の世界でも何度か目にした光景。
巨大なドラゴンが飛来したのだ。
「うわ……」
「ヒロ、こっち」
名前を呼ばれて振り向くと、リンが岩陰へと走っていくところだった。
カズマはもうそこから顔だけを出している。
「ここが安全地帯なんだ!」
安全地帯。
まるでゲームのような言い方だな、などと妙に冷静に考えながら、ヒロナリはリンの後を追った。
その背後で、甲高い金属音。
走りながら振り向くと、エメラルド色の尖った金属片が岩に突き刺さっていた。
「えっ」
ヒロナリの顔くらいの大きさの金属片。当たったら即死間違いなしの代物だった。
「早く!」
リンが岩陰で手を振っている。
「急いで、ヒロ!」
返事する余裕もなく、ヒロナリは必死に走った。
背後で何度も金属音が響き、舞い上げられた岩の破片が肩や背中に当たった。
「うわ、うわ」
ヒロナリがようやく岩陰にたどり着くと、カズマとリンがヒロナリの腕を掴んで引っ張りこむ。
「あれ、何」
激しく喘ぎながら尋ねると、カズマが「あいつの鱗だ」と答えた。
「ああやって、自分の鱗を地面に降らせて攻撃してくるんだ」
「それって、ゲームと同じなのかな」
「分かんねえ」
それはそうだ。つまらないことを言った、とヒロナリは思った。
ゲームではまだ誰もカカマナットと戦ったことがなかった。
ボス戦の場所であるはずの岩山の最上部にたどり着いても、そこにカカマナットが現れなかったからだ。
「だけど上空にいるってことは、攻撃には弓しかねえだろ?」
カズマの言葉で初めてヒロナリは、彼が長い弓を握っていることに気付いた。
「え? カズマ君、それ」
「あ?」
「いつの間にそんな武器を持ってたの」
「ああ、これか?」
「私も持ってるよ」
リンは細い流麗な弓を手にしていた。
「この世界なら、必要だと思えば出てくるみたい。剣でも斧でも、自分のキャラクターが装備してるものなら」
「出てくる……?」
「おう。剣も槍も出るぜ。そうだ、ヒロ、お前は杖出せよ」
「いきなり出せって言われても」
ヒロナリは異界に順応しすぎている二人に戸惑う。
「どうすればいいのか」
「お前は魔法使いなんだから、杖がなきゃ戦えないだろ」
「だから、どうやって出すの」
「必要だなって思えば出てくるから。ほら、早く」
カズマの説明は要領を得ない。
ヒロナリがうろたえている間も、岩場の向こうからは激しい金属音が響いている。
不意にカズマはその音に耳を澄ました。
「ちょっと数が減ってきたな」
「え?」
「リン、もうすぐやむぞ」
「うん」
戸惑うヒロナリを尻目にカズマとリンは頷き合うと、弓を手に岩陰から上空を窺った。
そのとき不意に、金属音がやんだ。
「ヒロ、とりあえず見てろ」
そう言い残し、カズマが岩陰を飛び出した。
ヒロナリが返事をする間もなく、リンもそれに続いていた。
上空のドラゴンに向けて二人が弓を引き絞った。並んで弓を引き絞る姿は、まるで鏡写しのようだった。
二人が矢を放つ。矢はどこから出てきたんだ、と思ったが、それは矢というよりも光の筋のようなものだった。
そういえばゲームに弓矢の本数制限はなかったな、などとヒロナリは頭の片隅で考える。
光の矢は上空のエメラルド色のドラゴンに吸い込まれていった。
そのたびにドラゴンはわずかに身をよじるような素振りをしたが、二人の攻撃が効いているかどうかは定かではなかった。
矢を幾本も浴びたドラゴンが突然、大きな叫び声を上げた。
「うわ」
思わずヒロナリは自分の耳を手で覆う。それほどに、怪物の咆哮は強烈だった。
その叫び声に反応したかのように、地面に刺さっていたたくさんの鱗が宙に浮かび上がった。鱗はきらきらと輝きながら、上空のドラゴンの身体へと戻っていく。
「くそ、終わりだ」
「急いで」
そんなことを言いながらカズマとリンが岩陰に転がり込んできた。
その直後、再び激しい金属音が断続的に鳴り響き、ヒロナリは身を竦めた。
「見たか?」
開口一番、カズマはヒロナリに言った。
「あいつの攻撃パターン。お前も分かっただろ?」
「う、うん」
呆然としながらもヒロナリは、目にした光景とそこから割り出した情報を口にしていた。
「ええと、鱗を地上に放つ攻撃が一定時間続くよね。鱗がある程度地上に刺さったら、今度は鱗が自動的にあいつの身体に回収される。その繰り返し」
ゲームの攻略みたいだ。そう考えると、だんだんと心が落ち着いてきた。
「攻撃がやんだ後、鱗が戻っていくまでに少し空白の時間がある。それがこっちの反撃のタイミング」
「ヒロ、すごい」
リンが歓声を上げ、カズマがヒロナリの肩を乱暴に叩く。
「やっぱお前、頭いいな。あんな一瞬で見抜けるのかよ」
「いや。でもそれくらいは」
「俺たちなんか、何回も死にそうになってやっと気づいたのにな」
「うん。本当に、ヒロが来てくれてよかった」
「そんな、別に」
二人の率直な称賛の言葉がくすぐったくて、ヒロナリは身体をよじった。
「だけどそんなことよりも」
と自ら話題を変える。
「僕が来るまでに、どれくらいあいつに矢を撃ったんだい」
「結構撃ったよな」
「うん。もう十回近く今のを繰り返してる」
「ああ……それじゃあ多分、二人の攻撃は効いてないよ」
「やっぱりか?」
「うん。そこまで当てれば、ダメージが通ってるなら攻撃パターンに変化が出るはずなんだ。ボスの攻撃パターンって、だいたい三回くらい変わるでしょ?」
「そうね」
リンが頷く。
「カカマナットの攻撃は最初からずっと変わってないわ」
「じゃあやっぱり効いてねえのか。だけど剣や斧じゃあいつには届かねえし。っていうことはだ」
カズマは期待を込めた目で、ヒロナリを見た。
「ここはお前の魔法が必要な場面ってことだ、魔法使い」




