違和感
いつもの公園の、いつものベンチ。
「よし、ここまで来たな」
カズマはヘリオス・ネオの画面から目を離すことなく、明るい声で言った。
「やっぱり二人でも何とかなるじゃん」
「そうだね……」
一方のリンは頷きながらも、どこか覚束ない表情だ。
「二人でも、か……」
二人は、昨日ヒロナリと三人で解いたパズルの先まで辿り着いていた。
一度解き方さえ分かってしまえば、パズルは簡単だ。ヒロナリが解いてくれたやり方をなぞるだけでよかった。
戦士と魔法戦士は、肩を並べて道の先へと進む。
画面が切り替わり、BGMが変わる。
「来た。ボスだ」
カズマの呟きに、リンも頷く。
このBGMは、ボス出現の合図だ。
画面に映し出されたのは、カカマナットの棲みかだった。
あちらこちらに、捕食したとみられる人や動物の骨が転がる、岩だらけの山頂。
その荒涼とした景色は、粗いドット絵で表現されているとはいえ、不気味な音楽と相まって何となくぞっとするものがあった。
「俺が前に出る。リンは魔法のサポートを頼む」
カズマは言った。ヒロナリの魔法使いがいない以上、そうするのがベストだと思った。
「うん、分かった」
二人は画面に集中して、ドラゴンの出現を待った。
けれど、ボスキャラはいつになっても現れない。
「あれ?」
一向に変化のない画面に、焦れたカズマは自分の戦士を画面のあちこちに行かせてみる。
「ここじゃねえのかな、ボス戦」
「でも音楽も変わったし、ここのはずだけど……」
リンがそう答えたときだった。
ぽん、という軽い音とともにカズマのヘリオス・ネオにメッセージが届いた。
「え?」
ぽん。
ぽん。
ぽん。
立て続けにいくつものメッセージを受信する。
「なんだ、これ。俺のヘリオス・ネオ、ついにいかれたか」
そう言いながらカズマがメッセージボックスをクリックすると。
『異界との交信を開きました。』
『異界への送信の準備が完了しました。』
『異界からの受信の準備が完了しました。』
『そのままでお待ちください。』
『そのままでお待ちください。』
『そのままでお待ちください。』
『そのままでお待ちください。』
意味不明なメッセージがずらずらと並ぶ。
「なんだ、これ」
カズマは画面から顔を上げた。
「おい、リン……」
隣に座っていたはずのリンの姿は、消えていた。
「え?」
『送信を開始します。』
『送信中です。』
『送信中です。』
『送信中です。』
カズマのヘリオス・ネオには、メッセージが送られ続けた。
「ちょっと、待てよ」
しかし、メッセージは止まらない。
『送信中です。』
『送信中です。』
『送信中です。』
そして。
『送信を完了しました。』
『受信を完了しました。』
しばらくの、静寂。
カズマはヘリオス・ネオを手に、ふらりと立ち上がった。
そのまますたすたと歩き出す。
ぽん、と音がした。
『異界との交信は正常に処理されました。』
翌日、ヒロナリの近くにカズマは寄ってこなかった。
リンは、欠席だった。
公園に行かなかったことを責められるのではないかと思っていたヒロナリは、ほっとした。
カズマが来なければ、ヒロナリのところに来る友達は他にはいない。ヒロナリはまたいつもの孤独な立場に戻った。
休み時間には、一人、読書をする。
放課後になったら、真っ直ぐに家に帰り、塾へと向かう。
それでいい。
それでいい、ということにした。
これ以上母さんを裏切ることは、僕にはできないから。
もうヘリオス・ネオを持ち出すこともしなかった。
あの公園に行って、二人が仲良くゲームをしていたら、決心が揺らぐかもしれない。
そう思うと、公園からも自然と足は遠のいた。
塾の自習室で、授業が始まるまで自習をする。
謎の爪痕のようなものが各地に残されているというニュースからは、極力目を背ける。
僕には関係のない話だ。
そう自分に言い聞かせる。
リンは翌日も、その翌週の月曜も火曜も欠席だった。
先週は「リンちゃん、今日欠席だって」「えー、さみしい」などと言い合っていた女子が、もうリンのことをほとんど話題にしなくなっていた。
先生も、朝の会でリンの欠席について一言も触れなかった。
ヒロナリは、ぼんやりと違和感を覚えた。
なんだかおかしい。
まるで、みんなが知らず知らずのうちに三条さんの存在を薄めていっているような。
元からそんな子はいなかったんだよ、と誰かがみんなに囁いているかのような。
そわそわと落ち着かない気持ちになった。
おかしいと言えば、カズマの態度も妙だった。
どこが妙とは、はっきり言えない。
相変わらず教科書を読むのは下手だし、走るのは速い。
ただ、何と言えばいいのだろう。
誰かに話しかけられればそれにいつも通り応対するのだが、その応対の仕方が、まるで本当のカズマの応対を一生懸命なぞっているかのような。うまく言語化できないのだが、ヒロナリにはそんな風に見えた。
誰かに話して「そういえばそうだね」と共感してもらえるほどのはっきりとした違和感ではなかったし、そもそもヒロナリにはそんなことを話せる相手は誰もいなかった。
教室の窓の向こうで、空が不意に翳った。
ヒロナリは窓の外を決して見なかった。
最近、見かけることが多くなっている気がするからだ。
エメラルド色の、あの巨大なドラゴンを。
その日の塾の前、ヒロナリは意を決してあの公園に足を向けた。
行ってみて、そこでカズマがいつも通りヘリオス・ネオをやっていれば、それでいい。声もかけずにそっと立ち去ろう。
そこに、学校を休んでいるリンも一緒にいたりしたら、ヒロナリはさらに安心するだろう。
学校を休んで公園でゲームをするなんて良くないことだが、彼の通う塾には、学校は休んでも塾は絶対に休まない、という強者もいた。本質的には、それと変わらないのではないか。
だから、ヒロナリは公園の入り口に見慣れた自転車が立てかけてあるのを見て、ほっとした。
それはカズマの自転車だった。
よかった。来てるんだ。
公園にちらっと目を走らせるが、いつものベンチにはカズマの姿はなかった。
姿はなくても、自転車があるということは、ここにいるということだ。トイレにでも行っているのかもしれないし、他の友達を見つけたのかもしれない。
とにかく、カズマは元気だ。
僕の思い過ごしだ。鉢合わせする前に帰ろう。
だがヒロナリは、公園から立ち去ろうとしたときに、あることに気付いてしまった。
カズマの自転車のハンドルに、黄色い紙が巻かれていた。
この公園を管理している市役所の、放置自転車警告ステッカーだった。
そこに書かれた日時を見て、ヒロナリはぞっとした。
最後にカズマと話したのが、先週の水曜日。その翌日、木曜日の午前十時。
その時間から、この自転車は動いていないことになる。
えっ。
ヒロナリは公園の入り口に立ち尽くした。
いつものベンチには、誰も座っていない。しばらく待っていたが、やはり誰も来ない。
どうして。
自転車を置きっぱなしでカズマが帰ることなんて、あるだろうか。
いつも、まるで自分の足のように乗り回していた、この自転車を。
次の瞬間、ヒロナリの違和感が恐怖となって背中を伝った。
じゃあ、あれは。
今、学校に通っているのは、あれは、誰。