ふたり
次の日の朝。
カズマがテレビのチャンネルをNHKに変えたのを見て、母は目を丸くした。
「どうしたの、カズマ。NHKなんて見て」
それから、ぴんときた顔をする。
「あ。もしかして、カズマの小学校がニュースに出たりするの?」
「そんなわけないでしょ」
そう答えるカズマの顔があまりに真剣だったので、母は目を瞬かせる。
「……どうしたの。そんな怖い顔して」
母の問いに、カズマは答えなかった。もう耳に入ってもいなかった。
ああ。やっぱりだ。
カズマは自分の感覚が正しかったことを悟っていた。
だから昨日、ボスのところまで行っておけばよかったんだ。
テレビ画面には、東京湾沿いの埋め立て地へと続く大きな橋が映し出されていた。
報道のヘリが何機もその周りを飛び回っている。
橋はまるで出来損ないの夏休みの工作のように、真ん中からぽっきりと折れてしまっていた。
そして、橋の路面にはあの傷跡が付いていた。
暗黒竜の紋章。
リポーターが、現場で負傷者が出ていることを伝えている。
幸い、今のところ死者は出ていないようだ。だが、橋が壊されたことで交通が大混乱に陥っている様子をカメラが映し出した。
だめだ。早くあいつを倒さなきゃ。
カズマは充電中のヘリオス・ネオを手に取った。
きっと、次は人が死ぬぞ。
「ちょっと、カズマ」
真面目な顔でニュースを見ていたと思ったら、突然ゲームの電源を入れた息子に、母は声を掛けた。
「ゲームなんかしてないで、もう学校行きなさい」
「母ちゃん、真面目な話なんだけどさ」
カズマのいつになく真剣な声に、母は眉をひそめる。
「どうしたの」
「俺、今日学校休んで一日ゲームやっててもいい?」
「はあ!?」
当然、そんなことが許されるわけもなく。
カズマは渋々登校していた。
ほんと、大人って頭が固いよな。学校なんか来てる場合じゃねえのにな。
そんなことを考えながら、それでも教室に着くと真っ先にヒロナリのところへ行く。
「おい、ヒロ。ニュース見たか」
「……うん」
ヒロナリの表情は硬かった。
「やっぱり、カカマナットは昨日倒しとかなきゃだめだったんだ。そうすれば多分、あの橋が落とされることも」
「そんなの、分からないよ」
ヒロナリが、カズマの言葉を遮るように言った。
「はあ?」
カズマはかちんときた。
「なんで」
「だって、そんなの分からないじゃないか。ニュースのあれが、カカマナットの仕業だなんて」
「お前が昨日、自分で言ったんだろうが」
カズマはヒロナリを睨みつけた。
「あれはカカマナットだって」
「そうだけど、でも」
ヒロナリは怯えたようにうつむく。
「よく考えたら、そんな証拠はないし。あれは僕の勘違いだった」
「なあ、ヒロ」
カズマはヒロナリの脇にしゃがみこむと、下からその顔を覗き込んだ。
「俺たち、昨日公園で見たよな。空を横切ってくでっかい化け物」
非現実的な光景。
煌めくエメラルドグリーンの鱗の一枚一枚までが、はっきりと見えたのだ。忘れるはずもない。
「あれは異界で見た化け物とおんなじやつだった。そうだろ?」
ヒロナリは答えない。
「あのな、別に俺はお前のせいだとか言いたいわけじゃ」
「ちょっとカズマ、何してんの」
背後から険しい声を上げたのは、小峰レイナだった。
「六宮、泣いてるじゃん。何で朝から泣かせてんだよ」
「うるせえな、泣かせてねえよ」
カズマは立ち上がった。確かに傍から見れば、カズマが怯えているヒロナリに因縁をつけているようにしか見えなかった。
だが、ヒロナリは泣いてなどいない。うつむいたまま、硬い表情で唇を噛んでいた。
小峰の向こうでリンが二人の様子を見ている。だが、何も言わなかった。
「とにかく」
ヒロナリは声を潜めた。
「お前、今日も塾だろ? あの公園に集合な」
ヒロナリは返事をせず、カズマもそこを立ち去るしかなかった。
放課後、自転車を飛ばしてきたカズマを、いつものベンチで手持ち無沙汰の様子のリンが出迎えた。
「よ」
リンが笑顔で手を上げる。
「おう」
カズマはリュックからヘリオス・ネオを取り出しながら、返事をする。
来る前にテレビで見たワイドショーは、やはり壊された橋のニュースでもちきりだった。
テロがどうとか、物騒な言葉が飛び交っていた。
さすがに、ドラゴンに壊された、などと言っているニュースはなかった。
だが、カズマは知っている。
あれは、カカマナットという異界のドラゴンのやったことだ。
「橋、ヤバいよな」
カズマは言った。
「ね。ヤバい」
リンが答える。
そんな言葉だけで通じ合えることが、カズマには少し嬉しくもあった。
その意味が通じるのは、この世界でたった三人だけだ。
しかし、残る一人はなかなか姿を現さなかった。
「ヒロ、来ないかもな」
「ケンカしたの?」
リンが心配そうにカズマの顔を見る。
「してねえよ」
カズマはため息をついた。
「なんか、よく分かんねえ。俺には頭のいいやつは何考えてんのかさっぱり分かんねえよ」
リンはくすりと笑う。
「カズだって頭いいじゃん」
「良くねえよ。バカにしてんのか」
カズマはリンを睨む。
「もう転校してきて二週間も経つんだから、分かってんだろ。俺は国語の教科書もまともに読めねえし、算数も理科も社会も全然分かんねえ。学校なんかギムだから通ってるだけだよ」
「ああ、それを頭が悪いって言ってるの?」
リンは笑顔のままで首をかしげる。
「それなら、カズマは確かに頭悪いね。うん」
「だから、バカにすんなって」
「でも、それ以外はカズって頭いいじゃん」
「は?」
「私はカズもヒロも頭いいと思うよ。種類が違うだけで」
「頭がいいのは、お前とヒロだよ。頭がいいやつしか行けない塾に行ってんだから」
「頑固だなあ」
リンが楽しそうに笑う。
「まあそれもカズのいいところだよね」
「何言ってんだ、お前」
意味分かんねえ、と言ってカズマは公園の時計を見た。
もうとっくに三人揃っていていい時間だった。
「だめだ、やっぱり来ねえ」
カズマはヘリオス・ネオの電源を入れた。
「今日は二人でやろうぜ」
だがリンは首を振った。
「二人じゃカカマナットを倒せないよ。ヒロもいないと」
「そんなこと言ったって、来ないもんは仕方ねえだろ」
「それでも、だめ」
なんだよ、こいつも頑固かよ。
カズマはまたため息をつく。
俺たち三人とも頑固だ。
「やらないなら、俺だけでやる」
カズマは言った。
「このままカカマナットをほっといたら、次は何を壊すか分かんねえし。今度こそ人が死ぬかもしれないからな」
「それは」
リンは顔を曇らせた。
「確かに三人だと進みやすかったけどさ」
カズマは言った。
「だけどミダスフの砦のときと違って、絶対三人いなきゃ先に進めないってところはなかったぜ」
そう言うと、もうリンに構わずゲームを始める。
「……ほら。やっぱり頭いい」
「え?」
カズマが画面から顔を上げると、リンは大人びた表情で彼を見つめて微笑んでいた。
「そうだね。カカマナットをほっとけないもんね」
そう言うと、リンもヘリオス・ネオの電源を入れた。
「私もやる」