ニュース
謎のドラゴン出現のニュースは、日曜日の朝だけに留まらなかった。
月曜日、振り替え休日でまだパジャマのヒロナリと違って出勤前の父は、
「またこのくだらないニュースか」
と顔をしかめた。
テレビでは、ドラゴンの形に見えなくもない影のようなものが空を横切る映像を繰り返し流していた。
目撃情報は、昨日よりもさらに増しているという。
「テレビでなんか流すからだ」
父は吐き捨てるように言った。
「それを真に受けて、自分でもそれを見たかのような暗示にかかる。そういう判断力の弱い人間が世の中には山ほどいるんだ」
そういう人間になってはいけない、とヒロナリに言うと、父は新聞をたたんで立ち上がった。
自分でもそれを見たかのような暗示。
食パンをもそもそと噛みながら、ヒロナリは考えた。
僕も、そうなんだろうか。異界であのカカマナットの威容を目にしたから、それで些細なニュースに敏感に反応してしまっているんだろうか。
こういうとき、ヒロナリよりも多分に野性に近い感覚を持つカズマであれば、疑問も持たず、あれはカカマナットだと無邪気に信じただろう。
だが、ヒロナリはもう、この社会では自分の感覚などと言う曖昧なものよりも理論をしっかりと付き詰めていくべきなんだと考えるようになっていた。
だから、このニュースを自分の中でどう消化していいか分からず、結局、朝食の後は自分の部屋に戻って塾の問題集を開いた。
その合間に密かに繰り返したレベル上げには、かなりの熱が入ったのだけれど。
「よう、ヒロ。今日の放課後、いつもの公園な」
火曜日、学校の下駄箱で顔を合わせたカズマは、まるで呑気な様子だった。
ヒロナリは考えまいとしても考えてしまって、少し憔悴すらしていたというのに。
「カズマ君、ニュース見た?」
「は?」
カズマは怪訝そうな顔をする。
「ニュースなんか見るわけねえだろ」
何のニュースかも聞くことなく、カズマは即答した。
「ニュースって、大人が見るもんだろ」
一昨日から繰り返し報道されているというのに、カズマは知らないのだ。あの竜の影が東京の上空を飛び回っているというニュース自体を。
「いや、子供でも見るよ」
問題はそこじゃないと思いながら、ヒロナリはついついそこを指摘してしまう。
「俺は見ねえよ」
バカにされたと思ったのか、カズマはむっとした顔をする。
「俺たちに関係ないことばっかりだろ、ニュースなんか」
カズマにすれば、それは当然の感覚だった。
どこかの街で殺人事件が起きようが、どこかの国で戦争が起きようが、自分には別に何の関係もない。スーパーの野菜が高くなったとして、それを自分でどうできるわけでもない。
自分に関係するとすれば、せいぜい天気予報くらいだが、傘がなくても雨が降ってきたら走って帰ればいいのだから、見なくたって問題はない。
「うん、ええと」
ヒロナリが何と言おうか困惑した時。
「二人ともおはよう」
後ろからリンが元気に声を掛けてきた。
「よう、三条」
「あ、三条さん」
ヒロナリはほっとした。カズマの雰囲気が、ぐっと柔らかくなった。それに、リンならニュースを見ていないことはないはずだ。
「三条さんはニュース見た?」
「ニュース?」
リンはカズマと同じ顔をした。
「何の?」
「いや、何のって」
調子が狂ってしまったヒロナリは、それでも何とか気を取り直す。
「ドラゴンの爪痕が」
「ドラゴン?」
カズマとリンは顔を見合わせる。
「何言ってんだ、お前」
「いや、だから高速道路で」
「あー、それ俺も見た見た!」
突然後ろから声を掛けられて、ヒロナリはびくりと身体を震わせた。
「タカキ」
カズマが少し嫌な顔をする。この三人で話をしているときには、他の子に入ってきてほしくなかった。
タカキが嫌いとかそういうことではなく、タカキは最新機種のゲーム機を持っているからだ。
そんな人間の前でレトロゲームの仲間入りをしそうなヘリオス・ネオの話なんかして、笑われたくはなかった。
ヘリオス・ネオを笑われると、この三人でこっそりと育んだ絆のようなものまで笑われたような気になる。
「俺も見たぜ、あのニュース」
そんなカズマの気持ちなどお構いなしに、タカキは嬉しそうに言った。
「あれだろ、建設中の高速道路に」
「あ、うん。それ」
ヒロナリが頷く。
「高速道路?」
リンがきょとんとする。
「何の話?」
「いや、だからさ」
教室までの廊下で、タカキが説明したところによれば。
週末から、謎のドラゴンのようなものが東京の上空を飛んでいたという目撃情報が相次いでいた。
だが今朝、さらに大きなニュースが流れた。
現場は、建設中の高速道路だ。
その突き当り、高架の道路が途切れて崖のようになった場所に、巨大な爪痕のようなものが残されていたのだという。
ニュースに映し出された映像では、獣の爪のようなもので、アスファルトがまるで木の皮のように削られていた。
残された傷跡は、それぞれが幅1メートル、長さ十数メートルにも及ぶ巨大なものだったことから、ドラゴンのようなものの目撃情報と相まって、ドラゴンの爪痕ではないか、というニュースが駆け巡ったのだ。
ヒロナリの父は、「テレビで流すからこういう愉快犯が現れる」と怒っていたが、ヒロナリはそれどころではなかった。
だが、タカキの話を聞いたカズマの反応は鈍かった。
「ふうん、そんなニュースがあったのか」
「ドラゴンだよ、ドラゴン」
タカキははしゃいだ声で言った。
「退治に行こうぜ、カズマ」
「空飛んでたら、捕まんねえだろ」
それを聞いて、リンも笑っている。
そんな話をしているうちに教室に着いた。
タカキが離れたタイミングで、ヒロナリは二人に囁いた。
「その傷跡が、暗黒竜の紋章にそっくりだったんだ」
「え」
それでようやくカズマの顔色も変わった。
「カカマナットだよ、きっと」
ヒロナリは言った。
「僕らと一緒に、この世界に来ちゃったんだ」
「まさか、お前」
あれはゲームだぜ。そう言い切れない不思議なことは、すでに彼らの周りにいくつも起こっていた。
カズマはリンの顔を見た。
リンも厳しい顔をしていた。
「今日の放課後」
リンは言った。
「できるだけ早く、あの公園に集まろう」