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異界の穴

 エメラルドグリーンの竜が翼をばさりと広げた。

 大きい。

 ヒロナリは目を見張った。

 太古の時代の恐竜というのは、こんな感じだったのだろうか。

 だが竜は翼を広げただけで、それ以上羽ばたきはしなかった。代わりにその大きな口を開けた。

 ギザギザの、不揃いの牙が太陽の光を受けて妖しく輝く。

 うお、口もでけえ。牙一本だけで俺の頭くらいあるんじゃねえの。

 カズマがそう思ったとき、ドラゴンは吼えた。

 それと同時に、二人の周囲の草花が激しく揺れた。

「うわ」

 二人は思わず耳を押さえる。はっきりとした鳴き声は聞こえなかったが、それでも庭園全体を揺るがすような何かがその巨大な口から発されたのだということが、二人にも分かった。

「カズマ君、僕はまだゲームでそこまで行ってないんだけど」

 ヒロナリは細い足を踏ん張って声を張り上げた。

「カカマナットってどういうボスなの」

「俺もまだよく分かんねえ」

 カズマも手で耳を押さえたまま叫んだ。

「だけど、ミダスフの砦を抜けた後で次の街に行ったら、いきなりあいつが飛んできて街をぶっ壊したんだ。それで、街の人からあいつはカカマナットっていう名前の悪いドラゴンで、カカマナットの山に棲んでるって言われた」

「その山が次のダンジョンっていうわけか」

「多分な」

 ダンジョンのボスが前もって顔見せをしてくる演出。

 今までなかったことだ。

 単調な攻略ゲームに少しだけ物語の味付けが加わり始めた。

 ヒロナリがそんなことを考えられたのも、ごく一瞬のことだった。

 バキバキ、という不穏な音がした。

 庭園の植え込みがカカマナットの巨大な足で踏み潰されたのだ。

 ドラゴンは明らかにこちらに向かってくる。

「やばい」

 カズマは恐怖で固まっているヒロナリの肩を叩いた。

「ぼうっとするな、ヒロ。逃げるぞ」

「う、うん」

 でも、どこへ。

 とにかく、あいつから離れなければ。

 二人は元来た道を駆け戻った。すぐに古い錆びた金属製の門が見えてきた。

 その先は、深い霧に包まれている。

 そう言えば今まで異界に飛ばされた時はいつも目の前の門をくぐることばかり考えていた。自分たちの背後の霧の中に戻ろうなんて考えたことはなかった。

「あの霧の中に入っちゃえば、うまくまけるかも」

「そうだな」

 ヒロナリの言葉にカズマもすぐに同意した。

 だが、二人がそのままの勢いで門をくぐろうとした時だった。

「だめ!」

 鋭い声が二人を制止した。

 驚いて足を止め振り返ると、茂みの向こうからリンが手を振っていた。

「その霧の中に入っちゃだめ! 二人とも、こっちへ!」

「リン、お前今までどこにいたんだよ!」

 カズマがそう言って、リンの方へと駆けていく。

 ヒロナリもそれに続こうとしたが、再びカカマナットが吼えた。

「うわっ」

 五感全てを揺さぶられるような感覚に、ヒロナリは思わず地面に蹲る。

「ヒロ!」

 リンが声を上げたのを見て、カズマもそれに気付く。

「しっかりしろ、こんなところにいたら踏み潰されるぞ」

 カズマに腕を掴まれて無理やり立たされたヒロナリは、なんとか足を動かした。

「こっち!」

 リンは茂みの奥へ手招きする。

「頑張って、ヒロ」

 茂みをかき分けると、そこにちょうど子供一人が通れるくらいの穴が開いていた。

 といっても、ただの穴ではない。穴は空中を引き裂くようにして口を開いていた。穴の縁は、ピントがずれてでもいるかのようにぼやけている。

「ここから元の世界に戻れると思う」

 リンは言った。

「行こう、今のうちに」

「お前、ほんとに今までどこにいたんだよ」

 カズマは不満そうにリンを睨んだが、今はそれどころではないことは彼にも分かっていた。

「ここに飛び込めばいいのか?」

「うん」

 リンは頷く。

「詳しくは、後で話そう」

「分かった。ちゃんと話せよな」

 カズマは穴を覗き込んだ。まるでブラックホールのように真っ暗な穴の向こうは、何も見えない。

「ええいっ」

 カズマは覚悟を決めて飛び込んだ。

 ぐにゃり、と身体の歪む感覚があった。

 うぐ、と歯を食いしばったときには、カズマは砂っぽい空気に包まれていた。

 隣に、ヒロナリとリンがいる。

 ここは、グラウンドの隅っこだ。

「戻れたのか」

「そう、みたいだね」

 ヒロナリが頷いて周囲を見回す。

「小学校の校庭だ」

「よかった」

 リンが立ち上がったときだった。

「こらあ!」

 突然の大きな声に、三人はびくりと身体を震わせた。

 見ると、体育の貝原先生が走ってくるところだった。

「お前たちまだ残ってたのか! こんな時間まで! 早く帰りなさい!」

「こんな時間?」

 顔を上げると、校舎の外壁に掛けられた時計の針は、間もなく六時を指そうとしていた。

「異界に行ったせいだ」

 ヒロナリが呟く。

「また時間が飛んでる」

「やべえ」

 カズマは顔を歪めた。

「母ちゃん、今日は晩御飯には帰ってくるって言ってた」

「僕も早く帰らなきゃ」

 三人は貝原先生に厳しく注意された後で、急いで家路についた。

 異界の話をしたかったが、カズマもヒロナリも家に帰ることで頭がいっぱいで、今日はそれどころではなかった。

「また、月曜日な」

 カズマが手を振ると、リンがくすりと笑う。

「カズ、月曜日は学校に来ちゃだめだよ」

「え?」

「月曜は運動会の振替え休日だから」

 とヒロナリも言った。

「次に学校に来るのは、火曜日だよ」

「あ、そうか」

 カズマは頭を掻いた。

「じゃあ、それまでに二人ともちゃんとレベル上げとけよ」

 照れ隠しに、カズマは大きな声で言った。

「三人でカカマナットをぶっ倒すからな」

「うん」

「そうだね」

 夕暮れの交差点で、三人は手を振り合って別れた。



 カズマの母は、体操着で帰ってきたカズマの姿を見て全てを悟った顔をした。

「ああ」

 と小さく息を吐いて、顔を両手で覆ってしまった。

「母ちゃん、忙しそうだったから」

 何も言われていないのに、カズマはそう言い訳した。

「でも俺、ちゃんと頑張ったよ。かけっこはタカキに負けたけど、リレーで取り返したから。クラスは優勝したし」

「……お昼はどうしたの」

「コンビニで買った。あ、お釣り返すよ」

 カズマがランドセルをまさぐってレシートに包まれた小銭を取り出すと、母は首を振った。

「それは今度、自分でお菓子でも買って」

「え、いいの」

「……ごめんね、カズマ」

 母は言った。

「来年は、ちゃんと見に行くから」

 自分に言い聞かせるような言い方だったので、カズマは何も言わず小さく頷いた。



 ヒロナリの方はといえば、帰りが遅くなってしまったことについて、意外にも母からは叱責を受けなかった。

 運動会を見に来なかったことに引け目を感じているのだろうか、とヒロナリはとりあえず解釈した。何かを考えている母の表情が少し気がかりではあったけれど。

 だが、そんな不安は次の日のニュースを見た驚きで霧散してしまった。


「次は、少し不思議な話題です」

 といつもの朝のニュースのアナウンサーが言った。

「都内各地で、ドラゴンのようなものが空を飛んでいるのを見たという目撃情報が相次ぎました」

 えっ。

 ヒロナリは顔を上げてテレビを見た。

『視聴者提供』というテロップ付きの画質のあまり良くない動画には、青い空が映っていた。そこを、さっと何か黒いものが横切った。

「今の場面を一時停止して拡大してみますと、このように」

 アナウンサーの説明に合わせて、その影がテレビ画面にアップで映る。

「確かに言われてみればドラゴンのような形に見えなくもないですね」

 アナウンサーは少し笑いながら言った。

「専門家によりますと、もしもこれが何かの生き物であれば、動画から見て、大きさ十数メートルに達する計算になるということで、地球上にはそんな巨大な空を飛ぶ生き物は存在しませんので、これは生き物ではないだろうと」

 飛行機、何かの影、蜃気楼、色々な可能性をアナウンサーがコメンテーターと語り合っていたが、ヒロナリの父は、

「くだらん」

 と一蹴した。そんな話題がニュースになっているのが心底不快なようだった。

「ネッシーやUFOと同じだ。幽霊の正体見たり枯れ尾花、と言ってな、何か変なものだと思って見るから、勝手に脳がそれを何か変なものに置き換える。そういう連中は自分の見たいものを勝手に見ているに過ぎない」

 そう言ってから、お決まりの台詞を付け加える。

「そういう人間には、なってはいけない」

「うん」

 頷いたけれど、ヒロナリには分かっていた。

 あれは、ドラゴンだ。

 自分の鼓膜を震わせたすさまじいその咆哮が、まだ耳の奥に残っているかのようだった。


 あれは、カカマナットだ。


 どうしよう。

 異界のモンスターが、こっちの世界にやってきてしまった。




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― 新着の感想 ―
[一言] リンの「わたし一人で分かってるわ」感がすっごく気になる気になるぅぅぅぅぅ… ここで切るなんてやまだ様のいけず!w
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