昼食
午前最後の大きな見せ場である学年ダンスを終え、カズマは教室に戻る。
「十二時四十分には必ず教室に戻ってください」
いつもとは違う華やいだ雰囲気に、みんなやはり興奮してざわざわしている。
「十二時四十分には必ず教室に戻ってね、いいね!」
森先生が何度も口を酸っぱくして繰り返した。
「はい、それではお昼にしてください」
その言葉とともに賑やかな声が弾けた。
「やばい、うちの親どこにいるんだろ」
「おい、やまだ。うちと一緒に食おうぜ」
そんなことを言い合いながら波が引くようにみんなが出ていった後、教室には三人の子供が残った。
カズマ、ヒロナリ、そしてリン。
「あれ、お前らも親来てないの?」
もしかしたら自分一人かもしれないと覚悟していたカズマが意外に思って尋ねると、リンが軽く頷いた。
「うん。うちは共働きだから。日曜日は休みだけど、土曜日は二人とも仕事」
「ふうん」
そういえばリンの家のことを何も知らなかったことにカズマは気付く。
「うちも母さんが用があるから」
とヒロナリが言う。
「そっか。まあうちも仕事」
そう言ってから、カズマは「偶然だな。よりによってこの三人だけなんて」と笑う。
「そういえばそうだね」
リンが今気づいたように笑う。
「じゃあ今から三人でヘリオス・ネオやる?」
「いいな、それ」
カズマも笑みを浮かべた。
「本当に持ってくればよかった」
「いや、それはやめた方がいいよ」
ヒロナリがまじめくさった顔で言ったので、カズマは白けた顔で彼を睨む。
本気のわけないだろ、つまんねえやつだな。
だが、ヒロナリの言葉は意外なものだった。
「だって次のボスを倒してまた異界に飛ばされたら、帰ってきたときにはもう運動会が終わってるかもしれない」
それを聞いてカズマとリンは顔を見合わせた。
異界に行くと時間の流れがおかしくなるというのは、昨日三人が感じたことだ。
運動会がすっかり終わった後に、ヘリオス・ネオを持ってぴょこんと帰ってきた自分たちの間抜けな姿を想像して、カズマは噴き出した。
「確かに。ヒロ、なかなか面白いこと言うじゃん」
「本当だね。リレーに穴開けちゃう」
リンも笑う。自分の冗談が予想以上に受けたので、ヒロナリは照れくさそうに笑う。
「そうだ。ヒロ、見てたよ。徒競走で二位だったね」
リンが小さく手を叩く。
「おめでとう」
「本当は一位になれたと思うんだけど」
ヒロナリは恥ずかしそうに言った。
「お前、ゴールテープの切り方が分かんなかったんだろ」
カズマが口を挟んだ。
「それで足を止めただろ」
「うん」
ヒロナリは頷く。
「来年は止まらないように気を付ける」
「本番に強いんだね、ヒロって」
リンが言った。その声に、純粋な称賛の響きがあった。
「練習の時よりも、ずっとよかった」
「それは、カズマ君がアドバイスをくれたから。そのおかげで」
「え、そうなの」
リンが目を丸くする。
「カズ、やるじゃん」
「別に大したこと言ってねえよ」
カズマは嫌な顔をした。
「走ったのは自分なんだから、胸張っときゃいいんだよ」
「ありがとう。本当にこんな順位が取れると思わなかった」
「だから、やめろって」
「カズも惜しかったね」
リンが言う。
「最後の最後で井上君に抜かれちゃったんだね」
「僕には、ほとんど同着に見えた」
ヒロナリも言った。
カズマが二位になったのは、正直驚きだった。
走る速さの順位などまるで興味のないヒロナリだったが、彼の目にもカズマの走りは他の子と比べて別格だと感じていたからだ。
けれど確かにカズマの今日の走りには、いつもの迫力がなかった。
「もういいよ、その話は」
カズマはそっぽを向く。
自分が負けた話なんて、長々としたくはなかった。
徒競走が終わった後、興奮状態のタカキはいろいろなやつを捕まえては、「ついにカズマに勝ったぜ、俺が学年一位だ」と嬉しそうに話していた。
それが本当に癪に触って、殴り飛ばしてやろうかと思ったほどだ。タカキの母の誘いに負けて、一緒に昼飯を食う羽目にならなくてよかった。
「かけっこで二位になるのなんて、生まれて初めてだよ」
不機嫌にそう呟くと、リンもヒロナリも口をつぐんだ。
二人ともカズマから視線を逸らすように何となく窓の外を見る。
ああ、くそ。
カズマは苛立ちをどうにか抑える。
タカキもまあ速かったとは思う。それでも余計なことを考えずに本気で走っていたら、俺が負けることはなかった。絶対に。
そこまで考えたところで、終わったことをぐじぐじと考えるのはやめた。
「リンは一位だったな」
気を取り直すように、そう声をかける。
「お前、足速いよな」
「昔から、走るの得意なんだよね」
リンは微笑む。
カズマが学校でもリンと呼んだことに、ヒロナリは気付く。ここには自分たち三人しかいないからだ。
グラウンドには明るい流行りの歌が流れている。お弁当を食べるたくさんの家族で、夏祭りか何かのようににぎやかだ。
逆にいつもはたくさんのクラスメイトの声でうるさいくらいの教室は、不思議なほどに静かだった。
「異界みたいだね」
ヒロナリがぽつりと言った。
「え?」
窓の外を見ていたリンが振り返る。
「異界?」
「うん。あの明るい校庭が本当の現実世界で、僕らだけはこの教室っていう異界に閉じ込められているみたいだ」
「ああ」
リンは納得したようにもう一度外を見た。
「そうか、それで異界」
「そういやあの異界も高い壁で囲まれてたな」
カズマが思い出したように言った。
「あそこ、そんなに広い場所じゃなさそうだったな」
そのとき、がらりとドアが開いて、森先生が入って来た。手に自分のお弁当を持っている。
「ごめんごめん、お待たせ。じゃあ食べようか」
「はい」
三人は先生と机をくっつけて、弁当を机の上に出す。やはり親が来ないといってもヒロナリもリンも手作りの弁当を持ってきていた。
カズマもコンビニの袋に入ったのり弁を取り出す。これだって母ちゃんのくれた金で買った弁当なんだから、母ちゃんが作ってくれたのと変わらない。
「みんな、ダンスすごくよかったよ」
森先生は笑顔で言った。
「午後の六年生の組体操も楽しみだね」
はい、とリンが明るく答える。
「その後はリレーだ。七瀬と三条は選手だよね、頑張って。六宮、僕らはしっかり応援しような」
リンとヒロナリが明るく返事するのを聞きながら、カズマは黙って米を噛んだ。
ああ、そうか。今日、もう一回走るのか。めんどくせえな。