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徒競走

 二位の旗の後ろに並ぶのは、運動会というものに参加し始めて以来初めての経験だった。

 いつも四位や五位の旗の後ろでうずくまって砂をいじっていたから。

 それでもヒロナリの心は晴れなかった。

 自分が切れるはずだったゴールテープが、幻のように目の前にちらついていた。

 隣のやつみたいに、余計なことを考えずにあのまま突っ込めばよかっただけなんだ。

 ヒロナリは校庭の砂を手でかき集め、指の間からこぼして落とす。

 僕が一位だったはずなのに。この砂みたいに掴んだと思ったら砂のようにこぼれ落ちてしまった。

 いや。

 掴もうとして手を伸ばすこと自体をためらったんだ。そうしたら、ほかの子に取られてしまった。ただそれだけのことだ。

 人生で初めての、徒競走一位。

 それはこの先どんなに勉強したところで得られるものではない。

 今日が唯一のチャンスだったのかもしれない。

 後悔とともに顔を上げると、グラウンドの向こうで走る順番を待って並んでいるカズマと目が合った。

 カズマはヒロナリを見ると腰に手を当てて、にやりと笑った。

 なかなかやるじゃん。

 そういう意味なのか。それとも、

 ほら、俺の言ったとおりだったろ。

 そんな意味なのか。

 カズマの真意は分からなかったが、その笑顔がヒロナリの気持ちを少しだけ楽にした。

 おお、と大きなどよめきが上がって、ヒロナリはグラウンドに目を向ける。

 走っているのは、リンだった。

 女子の一番速い組。

 五年生ともなれば、その迫力は低学年とは段違いだ。

 風のようなスピードで、五人の女子が駆け抜けていく。みんな、速い。ヒロナリとは走り方からしてまるで違う。

 その中で、身体一つ分前に出ているのがリンだった。

「あの子、誰?」

「あんな子いたかしら」

 応援の父母からもそんな声が漏れる。

 リンほど目立つ子なら、去年まで気付かなかったわけがない。それで戸惑っているのだろう。

 リンのすぐ後ろを、去年まで学年女王だった小峰レイナが必死に追っている。けれど最後の直線でリンとの差はさらに開いた。

 すごいな。

 大歓声を受けながらゴールテープを切ったリンの姿を見ながら、ヒロナリは思う。

 やっぱり僕とは違う世界の人間だ。

 日の当たる道を歩くことを約束されたような人種。

 僕はといえば、必死に勉強した先にほのかな明かりがあるのかもしれないというわずかな希望に縋って生きているような人間だ。

 近付いてきたリンが、二位の旗の前にいるヒロナリを見てにこりと微笑んだ。

 ヒロナリは思わず目を逸らしてうつむく。

 人は希望がなければ生きていくことはできない、と言ったのは誰だっただろう。

 ヒロナリはそんなことを考えた。

 偉人の言葉ではなく何かの漫画の台詞だったかもしれない。だから僕はつまらない希望を持っているんだろう。

 女子の最速組がゴールしたことでいったん静かになりかけた校庭が、またすぐに歓声に包まれる。

 男子の一番速い組がスタート地点につこうとしていた。


「今日こそお前に勝つからな、カズマ」

 タカキの声を背に、カズマは一番外のレーンに入る。

 ここを走るのが一番気持ちいいんだ。

 カズマは思った。

 内側のちまちましたところよりものびのび走れる。それに、コーナーを曲がった後で内側のやつとの差が全然縮まっていなかったときのどよめきを聞くのが好きだ。

「いちについて。よーい」

 ぐっと腰を落とす。

 ぱん、という軽い音。それと同時にカズマは飛び出した。一気に加速。

 蹴り上げた土が後方に舞うのが、靴の音だけで分かる。

 今年もいつも通りだ。

「がんばれー!」

「いけ、カズマー!」

 友達や観客の応援もよく聞こえる。


 カズマぁ!!


 少し裏返ったようなその声が、今年は聞こえなかった。

 怒ったときに上げる大声とはまた違う。

 その中に、親としての誇らしさをたっぷり含んだ華やかな声。みんな見て、うちのカズマを。誰よりも速く真っ先に駆け込んでくるあの子を。そんな気持ちが溢れていて、カズマ本人までくすぐったくなるような母の声。

 それが今年はなかった。

 ああ、失敗したな。

 いまさらながらにカズマは思った。

 母ちゃんがどんなに騒いでも、やっぱり今日は運動会だって言えばよかった。

 一位になる俺を、見てもらえばよかった。

 一年に一回くらい、母ちゃんのあんな声を聞ける日があってもよかった。

 そんな心とは裏腹に、身体はぐんぐんと前に進む。

 ゴールテープがどんどん近付いてくる。

 毎年、カズマに切られるために張られた白いテープ。

 そこに飛び込んで、今年の徒競走も終わりだ。

 カズマがゴールしようとしたそのとき。

「タカキー!!」

 野太い、まるで男のような声がした。

 タカキの母の声だった。

 それと同時に、カズマが切るはずだったテープに誰かの身体が先に飛び込んだ。

 えっ。

「やったー!」

 そのまま駆け抜けた後、飛び上がって喜んだのは、タカキだった。

「やった、ついにカズマに勝った!」

「タカキー!!」

 タカキの母が、手に持ったカメラで撮影することも忘れたように飛び跳ねて喜んでいる。

「よっしゃあー! 勝ったぜー!!」

 タカキが母にⅤサインを出した。

 負けたのか、俺。

 係の児童が駆け寄ってきて、カズマを二位のフラッグに導く。

 ヒロナリも座っている、その旗の前に。

 俺が二位?

 退場の音楽が流れ始め、全員が立ち上がる。

 運動会の徒競走で、カズマは生まれて初めて負けた。





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― 新着の感想 ―
[一言] カーチャンが居なくて良かったのか、声援があったら負けなかったのか…
2023/10/13 17:43 退会済み
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