ニュース
『昨日深夜から本日未明にかけて、N区を中心に、合計十三の駅の自動改札で不可解な貼り紙が発見されました』
女性アナウンサーの読み上げたニュースに、ヒロナリはちらりとテレビを見た。
朝食の時間。
いつものあまり何を考えているのかよく分からない顔で米を噛んでいた父も、その目をテレビに向けた。
どうやら何者かが、駅の自動改札の切符投入口を塞ぐような形で貼り紙をしていったということらしい。それも一か所だけでなく十三もの駅に。
暇なやつもいるんだな。
ヒロナリは思った。
だが次の瞬間、テレビ画面に映し出されたその紙を見て、息を吞んだ。
「何だ、こりゃ」
父が呆れたような声を漏らす。
「何かの新興宗教か」
『警察は、駅の防犯カメラの画像を解析するなどして、貼り紙をした人物の特定を進めています』
「世の中には、おかしなやつがいるな」
父はぼそりと呟いた。
「小人閑居して不善を為す、だ。やるべき仕事も遊ぶ金もないと、人間はおかしなことをし始める」
そう言って、ヒロナリに言うでもなく言った。
「そういう人間には、なってはいけない」
「うん」
ヒロナリは頷いた。だが、父の教養人ぶった訓戒などほとんど聞いていなかった。
アナウンサーはもう次のニュースを読み始めていたが、胸の動悸は収まらなかった。
さっき映った紙に書かれていた図案。
あれは。
ヒロナリは、それと同じ図案が描かれた箱を開けたことがあった。
それはあのゲームに出てくる暗黒竜の紋章にそっくりだったのだ。
「今日、塾だったよな」
昼休みの教室。
ヒロナリに声をかけてきたのはカズマだ。
授業間の短い休み時間ならともかく、昼休みにさえカズマが教室に残っているというのは本当なら非常事態だったが、今日のヒロナリは驚かなかった。
運動会を翌日に控え、校庭には白線がきれいに引かれていた。遊具には黄色のビニールテープが巻かれ、使うことができなくされている。
今日は休み時間に校庭に出てはいけません、というお達しに、カズマも従わざるを得なかったというわけだ。
「うん、そうだよ」
ヒロナリは頷く。塾は火、水、金の週三日。冬休み明けからはもう一日増える。
「ってことは三条も一緒だろ」
学校では相変わらず、カズマはリンのことを三条と呼んでいた。
「分かんないけど、多分」
「本人に聞いとくわ」
そう言うとカズマは、にっと笑った。
「いつもの公園でな。急いで行くから、早く来いよ」
「うん」
ヒロナリの席を離れカズマはリンの姿を探す。
女子グループの輪の中心にリンはいたが、さすがに声をかけづらかった。カズマがタイミングを計っていると、タカキが話しかけてきた。
「カズマ、最近ガリ勉と仲いいの?」
「え?」
さっきの会話を聞かれていたのだろうか。だが、それならもっとつっこんだ内容を聞いてくるはずだ。タカキというのは、そういう少年だった。
「ああ、まあ」
カズマは曖昧に頷く。
別にヒロナリと仲がいいことが恥ずかしいわけではなかった。恥ずかしかったのは、一緒に遊んでいるのが時代遅れのヘリオス・ネオだということだ。
クラスのほかの子たちが遊んでいるのは、ヘリオス・ネオよりも二代も三代も後の新型機種だ。
「じゃあ、カズマも休み時間に本読み始めちゃうわけ?」
タカキがにやにやと笑いながら言う。
「図書室で毎日、本とか借りちゃってさ。表彰されたりして」
「やめろよ」
毎月、図書室で借りた本の数が多い児童は表彰されることになっていた。ヒロナリは低学年の頃こそよく表彰されていたものの、今は全く名前を聞かなくなった。
もちろんヒロナリが本を読まなくなったわけではない。小学校の図書室の蔵書では物足りなくなったので、自分で古本屋で購入しているのだ。
一方カズマは、図書室にほとんど行ったことがない。もちろん本に興味がないこともあるが、何よりもあの独特の臭いが嫌いだった。
こもった臭いは、カズマの住む古いアパートの暗い部屋を思い出させた。
学校でまでそんなところにいるくらいなら、たとえそれが真冬だろうとカズマは風の吹き抜ける校庭を選ぶ。
「今月の読書王。五年一組、七瀬カズマ君」
「やめろっつうの」
からかってきたタカキを叩こうとすると、さっと身をかわされた。タカキはそのまま逃げていく。
「待て、この」
「待たねえよ」
教室の机の間を縫うようにして、二人でしばらく追いかけっこをする。椅子や机がガタガタと音を立て、女子のグループが迷惑そうな顔で睨んでくるが、カズマもタカキも気にしなかった。
タカキもそれなりに運動神経がいいだけあって、障害物の多い教室では、カズマといえどもなかなか捕まえられなかった。
「へへへ」
机を盾代わりにして、タカキが笑う。
「そう簡単に捕まるかよ」
「俺をなめるなよ」
そう言うとカズマは軽く膝を曲げる。
「おりゃっ」
「げっ」
助走もなしに机を跳び越えたカズマは、そのまま驚いた顔のタカキを捕まえる。
「はい、俺の勝ち」
「マジかよ、ありえねえ」
「俺から逃げ切れるわけねえだろ」
そのとき、カズマはふと教室の向こうからリンが自分を見つめていることに気付く。
リンの視線に気付いたカズマが見返すと、リンは何食わぬ顔で女子同士の会話に戻っていった。
カズマが自転車を乗り付けると、公園にはもうヒロナリとリンが待っていた。
「よう」
カズマが片手を上げると、リンが笑顔で手を振り、ヒロナリもぎこちなく手を上げる。
さっそく三人で並んでベンチに座り、揃ってヘリオス・ネオを取り出す。
「今日こそミダスフの砦をクリアしようぜ」
カズマは言った。
「大丈夫か、ヒロ」
「うん。レベルは上げてきたよ」
「リンは」
「私も大丈夫」
「よし」
カズマは公園の時計を見る。午後三時四十五分。まだ時間はたっぷりある。
「それじゃあ行こうぜ」
本体同士をリンクさせた三人は、それぞれが自分のキャラを操作してミダスフの砦を目指す。
「俺、ミダスフの砦に一人でちょっとだけ入ってみたことあるんだけどよ」
とカズマ。
「なんかパズルが複雑だったな。先に進める気がしなくてさ」
「パズルか。そういうの、ヒロなら解けるんじゃない?」
リンが応える。
「得意そうだもん」
「まあ身体を動かすよりは得意だけどね」
ヒロナリは言った。
「あんまり期待されても困るよ」
三人は順調に敵を退け、第四の秘宝の眠るミダスフの砦に辿り着いた。
砦の内部に入ると、フィールドとは雰囲気が一変する。石畳の床の上を、ここで初めて見るモンスターたちが動き回っているのが見えた。
「右の奥の方に、上に上がる階段が見えるんだけどさ」
カズマは言った。
「そこまで行けねえんだよ」
「ゆっくり進もう」
リンが言う。
「ザコも結構強いよ」
「そうだね。時間はあるから、慎重に行こう」
三人はそれぞれのキャラクターを操作して、敵を排除しつつ奥へと進んでいく。
「やっぱ三人だと違うな」
カズマが感心したように呟く。
「安心感が違うっつうか」
「うん。特にこういうダンジョンだとそう思うね」
「あ、ヒロナリ、そっちから敵来るぜ」
「え。うわっ」
「私が食い止める。ヒロは下がって」
「うん。魔法撃つから、少し待ってて」
そんな風にして順調に進んでいた彼らを阻むように、両開きの扉が現れた。
扉の前には暗黒竜の紋章が描かれ、一定の間隔で閉じたり開いたりしている。
「この扉を通れば階段まで行けそうだけど」
リンの言葉に、カズマは頷く。
「だろ? ここからだと通れそうなんだけどさ。近付くと閉まっちまうんだよ」
「そうなの?」
「ああ」
果たして、三人が近付くと扉はばたんと閉じたきり、開かなくなってしまった。
「ほら。通れなくなった」
カズマは苛立ったように言う。
「何か仕掛けがあるんだよ」
「そうみたいだね」
リンの魔法戦士は、しばらく扉や周囲の壁を押したり剣でつついたりしていたが、諦めたように息を吐いた。
「ヒロ、何か閃いた?」
だがヒロナリからは反応がなかった。リンは画面から顔を上げる。
「ヒロ?」
「え?」
画面を食い入るように見つめていたヒロナリは、その声にようやく我に返った。
「大丈夫? 何か別のこと考えてた?」
「あ、ああ。ごめん」
ヒロナリは気を取り直す。
「しっかりしろよ、ヒロ」
「うん。大丈夫」
リンとカズマにそうは言ったものの、確かにヒロナリは全く別のことに気を取られていた。
自動で閉じたり開いたりする扉。その前に描かれた暗黒竜の紋章。
あれ。これって、朝のニュースによく似てるな。
そんなことを考えていたのだ。