消失した主体 (藤海昇さんのコメントを受けて)
今更ではあるが、自分が以前書いたエッセイ「芥川・太宰・漱石」に、藤海昇さんが書いてくれたコメントを読んだ。秀逸なコメントで、私がまた考えなければ問題を与えくれたという点で、藤海さんに感謝したい。
藤海さんは、丸山眞男を引きながら、私のエッセイを補修・修正してくれている。それは明治における「公」と「私」をどう考えるかという問題だ。
私は丸山眞男の意見が百パーセント正しいとは思っていないものの、95パーセントくらいは正しいと思っている。ただ、残りの5パーセントが割合に問題になるのではないかと思っている。以下、藤海さんのコメントを参考に考えてみよう。
藤海さんは明治時代において「公」と「私」が完全に融合されてしまった過程について説明されている。それによって「国体」というものができあがり、国家と個人は完全に繋がり、個人はその内面を世界に融合させる存在にしてしまった。これは今の世の中を見てもさほど変わっていない。
我々が、「私」と言えば卑小な生活・趣味の事しか考えられず、「公」と言えば、硬直した考え方で、東大とか、政府がどうしたこうしたとか、要するに既存の権威の事しか考えられない。絶望はこの二択でしか「考えられない」という点にあるのだが、この二択以外の考え方というのは、全く我々の想像できないものだろう。
我々の思考力が、歴史的経緯によって規制されているというこの事実こそが、精神の自由が我々の世代に不可能な所以なのだが、我々は絶望する権利すら失われてしまっている為に、かえって楽天的になってしまっている。ここに我々の白痴的様相がある。絶望する事すらできないという絶望的状況がある。
藤海さんは以下のように書いている。
「しかし、日本は明治維新の過程で天皇の権威と将軍の権力を1つにしてしまい、本来別でなければならないはずの権威と権力が合わさった状態でいわゆる「国体」というものが完成してしまいます。この為「公」と「私」が明確に分離せず、「公」が「私」に無制限に介入可能な状態が生まれてしまったのです。」
これは本当にその通りだと思う。だから私が「芥川・太宰・漱石」というエッセイで書いた文脈もまた修正されなければならない。藤海さんは次のように修正してくれている。
「漱石は「公」を強烈に信頼する、というより「公」と「私」を分離して考えられたからこそ、「公」が「私」の中に無制限に入り込んでくる乃木希典という人間を客観視して書けた、というのが丸山の論理から見える漱石像なのではないかと思われます。」
私の書いた文章では、漱石は「公」というものを強烈に感じていたからこそ、それに反する「私」も徹底的に描けた、となっている。しかしそれは間違いだった。実際には明治政府の施策によって、「公」と「私」とが一つに融合され、全てが一つに溶け去ろうとしていたからこそ、それに敗北してゆく「主体」の姿を描けたのだと思う。この「主体」は、「私」とは違うものと私は考えたい。
これは私にとっては大切なポイントとなっている。漱石の「それから」における主人公の恋愛が、今の恋愛小説とは全然違う意味となっているのは、主人公の行為は、ただの私的行為ではないからだ。漱石は、「私」と「公」が融合され、全てが一つに統合されていく中において、日本近代文学において唯一と言っていいほど、「主体」の存在というものを究明する事ができた。
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藤海さんは漱石がそうした作品を作る事ができた理由を以下のように推測している。
「漱石はまだ大日本帝国憲法と教育勅語による天皇主権確立前の日本を知っていた世代で、イギリス留学の経験もあってか「公」と「私」の区別のない明治という時代に強い違和感を抱き、それ故に「公」と「私」を区別した小説を書けたと考えられるかもしれません。」
藤海さんの意見は納得できるものだ。ただ私は自分なりに考えてみたい。
私が考えるのは明治維新という現象だ。これは、冷静に振り返ってみると、今の我々の常識とは全く違うものではなかったか、と思う。歴史家の安丸良夫は、明治時代の宗教政策によって、日本人の精神に巨大な革命が起こったと主張している。それは一言で言えば、「精神の中央集権化」とでもいうものだ。
日本には各地に土俗的な宗教、信仰、慣習などが存在していた。それらは根強いものであって、江戸時代においては、江戸幕府に脅威にはならない程度にその存在は許されていた。しかし明治政府になって、日本が近代国家に生まれ変わる途上で各地の、独自宗教や習俗は徹底的に糾弾された。中央集権化の徹底は当然、通信技術や鉄道網の発達などが大きく関わっている。
これによって、日本社会は一つに統一されるものとなり、日本は天皇を中心とする体系となった。国家的宗教は「神道」というように統合された。我々はいわば、自身の記憶を失われている為に、こうした姿こそ「本当の日本だ」と思われているのだが、明治以前の日本は、実際にはもっと多様性のある世界だったのだろう。
おそらく明治以前は「自分は日本人だ」という観念すらもなかったろう。各地の人間は自分達の各々信じる信仰によって生きており、それは幕府の政策とは相容れないものだった。ただ幕府としてもそれらを根こそぎにできなくても、キリシタンのような脅威にならない限りは放っておかれた。
言ってみれば、日本人とか日本という国は、「これこそが日本だ」という概念ができあがると共に、その多様性を失い、全体が統合され、結果としては衰亡の道を辿っていったと言えるかもしれない。これは不合理な見方かもしれないが、物事というのは一つの完成に至った地点が衰亡の始まりだというのは普通の事であるし、私にはそれほどおかしいとは思われない。
もちろん、明治以前の日本が薔薇色の素晴らしい国だったという事はないだろう。それに、日本が統一化されるのは、帝国主義が極まる世界に列強諸国と対抗する為に必要な措置だっただろう。ただ、それらについて「考える事」すら許されず、その枠内のみでしか思考できない我々の頭脳のあり方を考えてみると、歴史というものがいかに我々の深層を支配しているものかと考えざるを得ない。
(だからこそ、「天才」は偏った時代・地域にしか生まれないのだろう。個人の想像力や才能で全てを成すのは不可能だ)
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明治維新の話に戻す。明治維新というのは、今で言うと、山口と鹿児島が連合で東京に攻め入ってくるというような話だ。現代ではとても考えられない。SFのネタとしては面白いかもしれないが、現代の我々はそんな事は馬鹿話としか受け取らないだろう。
もし今、同じ事が起こったら右翼系の人は「反日」と山口ー鹿児島を非難しただろう。考えてみれば妙な話ではある。
そもそも今のネトウヨは、何故かみんな自民党支持だが、どうして「自民党=日本」となるのか。明治維新は、時の主権である幕府を倒したわけだから、彼らはテロリストであり、起こった事はクーデターだ。しかしそんな風に、明治維新を非難する人はほとんどいない。今、日本の為に政府を転覆させようとする集団が現れたら、人は「反日」と彼らを非難するだろう。「日本≒政府」のような思考が人々に十分浸透しているからだ。
だから、明治維新を起こした人達の精神構造は我々とは全然違ったものだとしか思えない。私もまだ突き止めてはいないが、皇国史観のようなもので、日本という国を明治以降の、天皇中心の単一の概念で捉えるのは無理ではないかと思っている。日本というものの可能性、多様性は、人々が頭で思っているものよりももっと広いものだったろう。
明治人は、そういう日本というものをかろうじて知っている世代だった。柳田国男なども、民俗学の大家としか見られていないが、彼が失われていく日本をすくい上げようとしていたと考えると、彼の民俗学の背後には強烈な思想性があったという事になる。その思想は、左翼や右翼という二項対立では捉えられないものだ。
例えば、内村鑑三のような人も、今の右翼からすると全く捉え難い。彼は「2つのJ」を自分の人生の中心に据えたが、一つはJesus、つまりキリストで、もうひとつはJapan、つまり日本だ。「日本」と「キリスト」を自分の人生の中核に据える内村鑑三という人物。今の人は多分、彼をこう批判するだろう。「そんな事言っても、キリスト教なんて外国のものじゃないか。日本のものじゃないないじゃないか。おかしいだろう」
こうした問題を私は今は解くつもりはない。ただ、今の通念では捉えられない明治人のほうが、現代の頭のいい誰彼よりも遥かに豊かな問題を抱いていると私は感じているというだけだ。
だから、三島由紀夫のナショナリズムは、私には狭苦しいものに感じてきたし、作家としての三島もそれほど評価していない。三島の頭の良さと彼の純粋な国粋主義は、どこか人工的な匂いを感じていて、本来、文学になくてはならない土壌的な豊かさというものが欠けている。
しかし、それは日本だけではなく、誰しもが悩んでいる問題でもある。ロシア文学も、チェーホフ以降は下がり目になっている。ソ連になってロシア文学はほとんど殺された。日本においては、明治時代を頂点としてそれ以降は下がっている。その事は、三島由紀夫の過度な頭脳性と、彼の人工性と関連している。当然、今を生きる私も、三島的なものの延長にいるので、三島由紀夫を批判して「自分は違う」と安穏と言っておられない。
私はこれら全ての問題を解こうとは思わない。もう問題を解くという考え方をそれほど有効とも思っていない。それよりも解くべき問題を抱えている事の方が大切だと思っている。
明治の人々には、失われていくある物が見えていたのだろう。漱石の作品に「主体」というものがはっきり刻印されているのは、彼が維新志士の気概を継いでいる為だと私は考えている。実際、漱石は「維新志士のような気概で文学をやりたい」と言っていた。
シモーヌ・ヴェイユが、西欧のロマン主義というのは、熱情溢れる青年達が、政治的出口を塞がれた故の運動だったと語っていた。同じ事が漱石の小説にも言えるのではないか。「それから」の代助の社会に対する敗北は、維新志士が政治的行動を奪われ、その為に、恋愛のような私的行為に走るしかないという、「主体」の敗北を描いたものだったのではないか。私はそんな風に考える。
漱石や内村鑑三のような人は、自分達が何に敗北してゆくのかを知っていた。明治政府は、自分達が勝者になった事により、明治維新のような事が可能であるような芽を摘みに行った。幕府を倒した自分達のような、強烈な反逆精神を奪おうとしていた。それは過去の自分達を否定する行為ではあったが、権力を握った「今」の自分達を最大限、肯定する行為だった。
漱石は自分達が何に敗北していくかを知っており、その姿を描いた為に、日本近代文学においても傑出した存在になった。それから時間を隔てて、今に至ると、もはやあらゆる行為は、単なる原子論的個人のする私的行為であるか、「政府=国家」のような形での公的な行為に分解される他ない。世界のどこを見渡しても「主体」は存在しない。文学が死滅した所以である。
こうした世界においては、絶望する権利すら奪われている。絶望する為には、失われた何かを知っていなければならない。しかし今を生きる我々は失われたという記憶そのものが奪われている。その為に、我々はかえって楽天的になっている。
絶望する事すらも奪われた我々は、私的行為の中に喜びを見つけるか、自分を投げ出し、公=国家に奉公するしかなくなっている。そのどちらにも過去の偉大な理想「天」「道」「神」「自然」のようなものは見当たらない。我々が今生きているのは、そういう世界ではないか。
我々はそのような世界で、思考の不自由の中にいるが、その不自由性を知覚する事すらできないので、かえって世界の有様や自己の意志のあり方を、自由であるとか多様性とか感じてはしゃぎ回っている。それが現在なのだろう。