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後編



夜会の日から、私は変わった。

ジュラン様の言いなりになるお飾りの妻を、完璧に演じている。


「今日も醜いわね、ローレン。そんな顔で、よく生きていられるわね。私だったら、耐えられないわ」


シンシアさんは、用もないのに毎日私の部屋へやって来て嫌味を言う。最近は、()()ではなく、()()()()と呼ぶようになっていた。

清々しいほど私を嫌っているので、騙していることに罪悪感などない。


「ちょっと! 何か言ったらどうなの!? 」


「……」


私が、言葉を返すことはない。

謝ったところで、彼女は満足出来ずに止むことのない罵声を浴びせて来るからだ。何も言い返さなかったら、すぐに飽きて部屋から出て行く。


「つまらない女ね!」


捨て台詞を吐いてから、部屋を出る。

つまらないと言いながら毎日現れるのは、ジュラン様も夜会の日から変わったからだ。


「ローレン、食事だ」


前までメイドが運んで来ていた食事を、何故かジュラン様が運んで来るようになった。


「ありがとうございます」


外出もほとんど許されず、部屋からもほとんど出してもらえない。まるで囚人のような扱いだ。

ロード侯爵に会わせないようにする為だろうけど、会うつもりなどない。こんなことに、彼を巻き込みたくないからだ。


そんな毎日が過ぎていき、シンシアさんのお腹が目立ち始めた。


「食事だ。

それと、シンシアの腹が目立って来た。子供が生まれるまで、お前は部屋から出るな」


最近は、自由に外に出ることが許されなくなっていたからか、そう言われても今までとさほど変わりはない。


「……分かりました」


私の返事を聞いてから、ジュラン様は部屋を出て行った。我ながら、従順な演技が上手く出来たと思う。


数日前、レイバンが調査の結果を知らせて来た。

結婚式の日に襲って来た男性の娘の名前は、マーニャさんというらしい。ジュラン様は私と結婚をする前に、彼女と付き合っていた。私と婚約してからも付き合っていたようだ。

マーニャさんは、ジュラン様に捨てられ自害した。そのことを知ったマーニャさんの父親が、ジュラン様に復讐しようとしたということだ。

浮気相手は、シンシアさんだけではなかった。浮気相手は、私の方だったのかもしれない。そして、マーニャさんが亡くなった。

あの時、『彼は、私の夫です!』と、マーニャさんの父親に言った。知らなかったとはいえ、何て酷いことを言ってしまったのだろう……


外に出られなくなったのは、シンシアさんも同じだ。外出することが出来ずにストレスが溜まるのか、シンシアさんは1日に何度も私の部屋を訪れるようになった。


「お腹の子供が重くて、足が痛いの。ローレン、揉んでくれない?」


ノックもせずに、部屋に入るなりソファーに座るシンシアさん。足をソファーに乗せ、マッサージするように催促してくる。

ソファーの前に跪き、言われた通りに彼女のふくらはぎを揉む。


「いい眺めね。平民の足を、マッサージする気分はどう? 仕方がないわよね、あんたは醜いんだから」


顔を覗き込みながら、私をバカにしてくる。そんな彼女と目を合わせることなく、ふくらはぎを揉み続ける。


「本当につまらない女ね。まあ、あんたがジュラン様と結婚してくれたから、邪魔者だったマーニャが死んでくれて、私がジュラン様の1番になれたんだから、感謝はしているわ」


気持ち良さそうに目を閉じ、とんでもないことを言い出した。どうやら、シンシアさんはマーニャさんを知っていたようだ。


「ちょ、痛いじゃない!!」


「すみません……」


無意識に、ふくらはぎを揉む手に力が入っていた。本当にジュラン様のことを、何も知らなかったのだと思い知らされた。

ジュラン様となら、幸せな家族になれると思っていた。上辺だけを見て、信じてしまったあの頃の自分を殴ってやりたい気持ちだ。私がジュラン様と結婚していなかったら、マーニャさんは生きていたかもしれない。


1時間程マッサージをさせると、満足したのか部屋から出て行った。シンシアさんと入れかわりで、ジュラン様が食事を運んで来る。


「食事だ」


毎日毎日、私を見張るために食事を運んで来るジュラン様。

相変わらず私の顔を見ることはなく、話もせずに食事を置いて出て行く。


ジュラン様が出て行った後、ベロニカが部屋に入って来る。


「レイバン様に、外出出来なくなったことをお話しました」


部屋から出ることの出来ない私は、ベロニカだけが外と繋がる手段だ。出入りを制限されないように、ベロニカにも2人に従順なフリをしてもらっている。


「ありがとう。レイバンは、元気だった?」


「はい、お元気でした。ローレン様を、心配しておいでです」


「私は心配ないと、伝えておいて」


私はダメな姉だ。こんなに弟に心配をかけて……




自室から出られないまま、半年の月日が過ぎ、シンシアさんのお腹の子は順調に育っていた。

そんなある日、シンシアさんは邸から出られないことに我慢の限界を迎えたのか、カーラを連れて外出した。


シンシアさんはすぐに邸に連れ戻され、離れに軟禁された。それ以来、シンシアさんを見ることもカーラを見ることもなくなった。


そして1ヶ月ほど経ったある日、ジュラン様が赤ちゃんを抱いて私の部屋を訪れた。


「俺達の子だ。可愛いだろう?」


確かに可愛い。だけど、あなたの子であっても私の子ではない。


赤ちゃんを見たことで、結婚式の時の気持ちを思い出してしまった。あの日は、愛する人の子供を生んで、幸せになれると夢見ていた。


「シンシアさんは、どうされたのですか?」


外出をしたと聞いた日から、シンシアさんを1度も見ていない。


「あいつは、言いつけを守らなかったからな。邸から追い出した」


ジュラン様は、平然とそう言った。

子供を生んだばかりの母親を、追い出したとはどういうことだろうか……


「シンシアさんは、その子の母親ですよ!?」


「そんなことは、お前に言われなくても分かっている。あの程度の女など、いくらでもいるからな。子供を生んだなら、用済みだ」


シンシアさんの心配をしているわけではないけど、お腹を痛めて我が子を生んだ女性に対してあまりにも酷い言い草だ。女性を何だと思っているのだろうか……

怒りが込み上げて来たが、あともう少しの間は、大人しくしていなくてはならない。怒りを抑えて、平静を装う。


「その子の面倒は、私が見ましょうか?」


赤ちゃんが心配になった。ジュラン様が子供を愛しているとは思えず、赤ちゃんを放っておくことが出来なかった。


「この子の面倒は、ハイリーが見る。お前は、今まで通りで居ればいい」


「ハイリーって?」


「俺の愛する人だ。とても美しい女性で、俺は幸せだ」


呆れて言葉が出ない。

新しい愛人を、いつの間にか連れ込んで居たようだ。本邸に姿を現していたら、ベロニカが気付くだろうから、離れからは出ていないのだろう。


「俺は、この子の出生届を出しに行ってくる。父上もお喜びになるぞ!」


ジュラン様は、子が出来たこともノーグル侯爵に話していなかった。シンシアさんのお腹の中にいる時に、邸に会いに来られたら困るからだ。

医者も買収していた。だが、その医者はレイバンが買収した。ジュラン様が役所に出かけた時、行動開始だ。ようやく、待ちに待ったこの日が来た。


「行ってらっしゃいませ」


ジュラン様はハイリーさんに赤ちゃんを預けて、役所に出かけて行った。ハイリーさんを、メイドとして雇ったようだ。メイドなら、一緒に居ても不自然ではない。

だけど、もうそんなことどうでもいい。もうすぐ、ジュラン様から自由になれるのだから。


「ベロニカ、行くわよ!」


「はい!」


何も持たずに邸を出る。

この邸で手に入れた物は、何一ついらない。

ベロニカと一緒に馬車に乗り込み、ノーグル侯爵邸へと出発した。


久しぶりに外に出た。邸の中に閉じ込められ、部屋から出ることも許されずに何ヶ月も過ごして来た。永遠にも感じていた日々が、やっと終わる。


ノーグル侯爵邸に到着し、馬車から降りる。


「ベロニカは、このままレイバンに知らせに行ってくれる? 」


「おひとりで、大丈夫ですか?」


「大丈夫よ。もう、演技する必要はないのだから」


そう。ジュラン様の言いなりのローレンは、もう居ない。女性を甘く見たジュラン様に、思い知らせてやるわ。


「ローレン!? 1人で来たのか!?」


執事に応接室へと案内され、数分後にノーグル侯爵が慌ててやって来た。私が1人で来たことに、驚いている。


「お久しぶりです」


ソファーから立ち上がり、頭を下げる。


「まあ、座りなさい」


言われた通りソファーに腰を下ろすと、ノーグル侯爵も椅子に座った。


「急にお邪魔してしまい、申し訳ありません。今日は、大切なお話をする為に参りました」


「大切な話……とは?」


「ジュラン様に、子供が生まれました。ですが、その子は私の子ではありません」


ノーグル侯爵は、目を見開いて驚いている。

その時、ノックの音が聞こえ、メイドがお茶を運んで来た。

メイドがお茶を出している間、気まずい空気が流れる。


「失礼します」


メイドが応接室から出て行くと、ノーグル侯爵が口を開く。


「……愛人の子か。君には、すまないことをしたな」


辛そうな顔で、私の目を見て謝った。


「ノーグル侯爵が、謝る必要はありません。ジュラン様は今、出生届を出しに行っています。私との子だと、申告するでしょう」


辛そうな顔をしているノーグル侯爵に、こんな話をしなければならないのは、心が痛む。どんなにバカな息子でも、ノーグル侯爵にとっては大切な我が子に違いはない。それでも、こうすると決めたのは私自身だ。


「……虚偽の出生届か。そこまでバカなことをするとはな。

あいつは、女性にだらしなくてね。だが、君に出会ってからは、君の話ししかしなくなっていたんだ。君のおかげで、変わったと思っていたんだが……」


ノーグル侯爵は、ジュラン様の女癖の悪さを知っていたようだ。


「変わってはいませんでした。彼は、私と婚約している間も、何人もの女性と関係を持っていた。そのせいで、結婚式のあの日に、命を狙われたのです」


私の運命は、あの日全て変わった。だけど、ジュラン様が付き合っていた女性や、ノーグル侯爵にとっては、最初からそういう人だった。

やり直すことが出来たなら、二度と彼に惹かれたりなんかしない。


「1年近く、罵倒され、侮辱され、虐げられて来ました。結婚してすぐに、妊娠した愛人を離れに住まわせ、離婚することも拒絶され、ずっと邸に閉じ込められて来ました。私はジュラン様との婚姻を、無効にします」


「本当に、申し訳ない……。君の望む通りにしてくれ」


ノーグル侯爵に、謝って欲しいわけじゃない。ジュラン様の本性を見抜けなかったのは、私なのだから。


「ノーグル侯爵には、事実を知っていただきたかっただけです。ジュラン様のことを、どうなさるのかはお任せいたします」


ズルい言い方をした。私からは、何も望んでいないのだと……

ジュラン様が言った通り、ノーグル侯爵は次男のカーター様に爵位を譲るだろう。

レイバンの情報によると、ジュラン様と私が結婚していなかったら、カーター様に譲る気だったようだ。


ノーグル侯爵邸の前には、ベロニカと一緒に、レイバンが乗った馬車が待っていた。


「久しぶり、姉さん」


馬車から降りて、笑顔で手を差し伸べるレイバン。


「姉上と呼びなさい」


レイバンの手をとり、馬車に乗る。

レイバンは、私の弟とは思えないくらい優秀だ。騎士の試験にも最年少で合格して、近衛騎士団の小隊長を任されている。


馬車に乗り込むと、役所へと走り出す。婚姻無効の手続きをする為だ。


「使用人達からの証言もとってある。雇ったのはノーグル侯爵で、ジュランには何の義理もないそうだ。証言してくれたのは、ほとんどがメイドだ。ジュランの女性への扱いは、酷かったみたいだな」


女性を、容姿でしか見ていないジュラン様らしい。


「迷惑かけて、ごめんね」


「姉さんを苦しめたジュランを許せなかっただけだ。家族なんだから、そんな悲しいことを言うな」


「こんなにも姉思いの弟をもって、私は幸せね。でも、姉上と呼びなさい」


「姉上を思っているのは、俺だけじゃなかったけどな……」


「ん? それは、どういう……」


理由を聞こうとしたところで、役所に到着したのか、馬車が止まった。

レイバンが何を言いたかったのかは気になったけれど、一刻も早く自由になりたかった私は、早速役所に入った。


「婚姻無効の手続きを、お願いします」


役所の職員に、笑顔でそう伝える。


「婚姻……無効ですか?」


職員の男性は、驚いている。それは、無理もないことだ。無効にするには、白い結婚であると証明しなければならない。それを証明するのは、かなり難しいだからだ。


「はい、無効です。必要な書類は、こちらです」


この国では、白い結婚が1年以上続いていれば、婚姻を無効にすることが出来る。貴族にとって、跡取りを産むことは重要だからだ。

提出した書類には、使用人達の証言とサインもある。そして、医者の証言とサインも。


「あの……つい先程、ジュラン・ノーグル様から出生届が出されたばかりなのですが?」


「その子は、ジュラン様が愛人に生ませた子です。私の子ではありません。偽りの出生届です」


これで、私は自由を手に入れられると共に、ジュラン様は終わりだ。国を偽った罪で、投獄されることになるだろう。

罪悪感を全く感じていないことに、自分でも驚いている。もっと早く、ノーグル侯爵に全てを伝えていれば、ジュラン様は罪を犯さなくてすんだのかもしれない。そうしなかったのは、ノーグル侯爵を信じていなかったから……というのは言い訳で、ジュラン様に復讐したかったからだ。


数時間後、婚姻無効の申請は受理された。


「姉上、疲れてない?」


受理されるまで、ずっと待合室で待っていた私を、レイバンが気遣ってくれる。

疲れるどころか、最高にいい気分だ。


「全然疲れていないわ。こんなに清々しい気分になれたのは、何時ぶりだろう。次は、お父様に会いに行くわ」


軽い足取りで馬車に乗り込み、クルーガー伯爵邸へと馬車を走らせる。


「いつまでガーゼを貼っておくんだ? 傷跡は消えているんだろ?」


「これはね、今日の夜会で外すつもりなの」


役所から報告を受けた兵が、ジュラン様を捕らえる為に邸に向かっている。だけどジュラン様は、今日の夜会に出席すると使用人が話していた。兵が到着した頃には、ジュラン様は会場へと出発した後だろう。その夜会に、私も出席する。


「夜会に行くのか!? それなら、エスコート役が必要だな」


「レイバンが、エスコートしてくれるんでしょう?」


仕方ないなという顔で、頷いてくれた。

婚姻無効の申請が受理されたばかりだというのに、夜会に出るなんて言い出した私に、呆れているのかもしれない。

レイバンに呆れられても、私の復讐はまだ終わっていない。今日、ジュラン様が夜会に出席するのは偶然だったけれど、自分自身で決着をつけるいい機会だと思った。


「着いたようだね」


窓の外を覗くと、生まれ育った邸が見えて来た。邸に帰るのは、1年ぶりだ。嫁いだ娘が戻って来るだなんて、お父様は思ってもいないだろう。


邸の中に入ると、すごく懐かしく感じる。たった1年なのに、その1年が私にとって長かった。


「ローレン!? レイバンまで、どうしたんだ!?」


私が帰って来たことを執事のボーシュから聞いたお父様が、驚いた顔をしながら出迎えてくれた。


「お久しぶりです、お父様。お元気そうですね」


「急に帰って来たということは、何かあったのか?」


「ジュラン様との結婚は、無効になりました。お父様の期待を裏切ってしまい、申し訳ありませんでした」


お父様はゆっくりと私に近付き、気付いたら腕の中だった。


「……お父様……?」


「可哀想に、こんなにやつれてしまって……

帰って来ないのは、お前が幸せだからと思っていた。何があったかは知らないが、お前は大切な娘だ」


私を抱きしめる腕に、力がこもった。

お父様は考え方が古く、とても厳しい方で、結婚無効だなんて聞いたら激怒すると思っていた。

ジュラン様は私が選んだ相手で、私のわがままで嫁いだ。それなのに、お父様は何も聞かずに優しく抱きしめてくれた。


全てをお父様に話すと、


「ジュランめ! 絶対に許さん!!」


と、激怒した。


「貴族に愛人は当たり前だと、お父様は仰っていましたよ?」


「自分の娘は別だ! あいつは最低なクズだ! たとえ傷が残っても、お前は美しい。こんなにも美しい娘を、侮辱しただなど、許せるはずがないだろう!?」


お父様が、こんなに私を思ってくれていたことを初めて知った。


「父上、落ち着いてください。ジュランは、俺が殺します!!」


レイバンが真面目な顔をして、物騒なことを言い出した。


「お前を、人殺しになどさせられん! 私があいつを殴り殺す!!」


「2人とも、やめて! ジュラン様には、私が復讐するので、手を出さないでください」


私の顔を見た2人が、一瞬怯えた顔をした。

どうやら今、私はものすごく悪い顔をしているようだ。こんな私にしたのは、ジュラン様だ。報いを受けていただかなくてはならない。


「姉さん、今日の夜会に出席するなら、連れて行きたい人がいる。ドレスを借りてもいいかな?」


誰なのか聞いたら、『内緒』と言ってウィンクをした。ドレスを着るならば、女性ということになる。レイバンの彼女だろうか?

そう思っていたけど、レイバンが連れて来た人物は、意外な人だった。


夜会に出るための準備をする。

ドレスは、決まっている。ジュラン様に、3年前の夜会で、初めてお会いした時に着ていたドレスだ。

ガーゼを外し、鏡を覗き込む。1年間、まともに見ることのなかった顔。まるで、自分の顔ではないような錯覚に陥る。傷痕はすっかり消えているけど、1年前の純粋な私ではない。


「ローレン様……本当にお美しいです」


鏡の中で、ウットリしているベロニカと目が合う。それが可笑しくて、2人とも吹き出した。


「ベロニカには、感謝しているわ。ベロニカが居なかったら、とっくにあの邸から逃げ出していた。()()というただのお飾りだった私を、ローレンとして見てくれていたのはあなただけだった」


私の心を支えてくれた……

ベロニカ、レイバン、キャロル、そしてロード侯爵。


「当たり前じゃないですか! 私は使用人ではありますが、ローレン様の友です。昔、ローレン様が仰ってくださったじゃないですか。一使用人の私を、そんな風に仰ってくださるのはローレン様だけです」


「今の私は、昔の私とは違う……

それでも、友で居てくれるの?」


「どのようなローレン様でも、大好きです」


ベロニカは、鏡越しに満面の笑みを見せてくれた。



支度を終えて玄関に向かうと、レイバンが待っていた。


「姉上、迎えの馬車が来ています」


迎え?

疑問に思いながら外に出てみると、とても豪華な馬車がとまっていた。


馬車の前には、ロード侯爵が立っている。

この状況が把握出来ずに、立ち止まったまま動けずにいると、ロード侯爵がこちらに向かって歩いて来る。


どうしたらいいのか分からずに、隣に立っているレイバンの顔を見る。


「ジュランのことを調べてくださったのは、団長だよ。姉さんの助けになりたいと、俺に頭を下げたんだ。ずっと姉さんを想い、影で支えてくれた方だ。エスコートしてもらうのに、ピッタリだろう?」


ずっと遠ざけていたはずのロード侯爵が、私の為に動いてくださっていたなんて……


私の前で立ち止まったハンク様は、手を差し出してにっこりと笑った。


「俺にエスコートさせてくれませんか?」


無意識に、その手を掴んでいた。その手は熱を帯びていく。

ロード侯爵の気持ちが同情だとしても、私の気持ちはハッキリしていた。ロード侯爵と、それほど親しかったわけではないし、お会いした回数も多くはない。それでも私の心は、彼でいっぱいになっていた。

ロード侯爵は、私に勇気を与えてくれた人だ。彼に命を救われ、心を救われた。


「よろしくお願いします」


私の返事に、嬉しそうにはにかむロード侯爵。初めて見る姿に、ドキドキする。

これからジュラン様に、復讐しようとしているくせに、まるで少女に戻ったみたいに浮かれている。

これから私がすることを目の当たりにしたら、ロード侯爵に幻滅されるかもしれない。それでも、私が前に進むためにはこうするしかない。


ロード侯爵が用意してくださった馬車に乗り込み、夜会が行われる会場へと出発する。

ロード侯爵が目の前に座っているのが、まだ信じられない。恥ずかしさからか、顔を見ることが出来ない。


「ずっと目を合わせてくれない気か?」


私の目を見ようと、顔を覗き込まれて心臓の鼓動が跳ね上がる。


「……こんなに長い時間、ロード侯爵とご一緒するのは初めてで、戸惑っています」


今までは、ジュラン様の友人として接して来た。自分の気持ちに気付いてしまったから、これからどう接していいのか分からずにいる。


「俺が、怖いか?」


「怖くなんてありません!」


即答した私を見て、ハンク様はクスクスと笑っている。


「やっと顔を見てくれたね」


あんなに顔を見るのが恥ずかしかったのに、今は彼から目を離すことが出来ない。

大きな藍色の瞳に、形のいい唇。白い肌に、銀色の短髪で、誰もが見惚れてしまう程美しい。ジュラン様以外見ていなかった私の目に、今はとても美しい男性が映っている。


「惚れた?」


からかうように言ったロード侯爵の言葉に、思わず頷いてしまいそうになった。

冗談で言っているのだから、本気で答えてしまったら引かれてしまう。


「ロード侯爵の方こそ、私に惚れました?」


冗談を冗談で返したつもりだった……


「惚れてる。ずっと前から」


思いもよらなかった返事が返ってきた。


「え? あの……な……んで……」


しどろもどろになっている私の頬に、ハンク様の指先が触れた。


「痕が消えて本当に良かったが、残っていても美しかった。ジュランは、俺が君のことを好きだと知りながら、君に近付いた」


頬から指を離すと、ロード侯爵は悲しそうな顔をして下を向いた。


「ジュラン様よりも先に、私をご存知だったのですか?」


「知っていた。君とジュランが初めて会った夜会で、俺は君に想いを伝えるつもりだった。あいつもそれを知っていたのに、君に一目惚れをし、先に想いを伝えた」


「そんなこと、全く知りませんでした……」


悲しそうな目で、私を見つめるロード侯爵。私は彼を、ずっと傷付けていたようだ。


「君をジュランには渡したくなかった。俺が好きだからという気持ちもあったが、何よりジュランは女性にだらしなかったから。だが、ジュランに惹かれていく君を見ていると、何も言えなかった」


だからあの時、『俺は嫌われているからね』と言っていたのか。私のせいで、2人の友情は壊れていた。何も知らずに、彼を傷付けていたことに胸が傷んだ。


「私……知らないうちに、ロード侯爵に酷いことをしていたのですね」


「酷いことをされた覚えはないよ。俺は、君に出会って救われたんだ。君は、覚えてはいないようだけどね」


悲しそうな顔をして下を向いていたロード侯爵の表情が、少しだけ明るくなったような気がする。


「10年前、俺は両親を事故でいっぺんになくし、川辺で1人で泣いていた。その時、慰めてくれた小さな女の子がいたんだ。その子は、好きなだけ泣いていいと、ずっと隣に座って背中を撫でてくれていた。そのおかげで、俺はひとりじゃないと思えた。あの日出会った小さな女の子に、俺は救われたんだ」


その時のこと、覚えてる。泣いていた男の子が、ロード侯爵だったなんて……


「あの日以来、俺は君に夢中なんだ」


心臓が、バクバクして苦しい。

知らなかったとはいえ、ロード侯爵を……ハンク様を傷付けていた私が、彼を愛してもいいのだろうか……

そう思っても、この想いを止めることは出来そうにない。


「ハンク様が、好きです」


ハンク様は予想していなかったのか、目を見開いて驚いている。

“好き”と口にしたことで、想いが溢れだしてくる。


「私のせいで、沢山傷付けてごめんなさい。私の為に、色々してくれてありがとうございます。こんな私を、好きになってくれてありがとう……ハンク様が、愛しい……」


言い終わると同時に、ハンク様の腕に包まれていた。ハンク様の温もりに包まれながら、背中に腕を回す。


「やっと、捕まえた……」


耳元で囁かれ、顔が一気に熱くなった。

こんなに幸せな気持ちになったのは、何時ぶりだろう。すごくドキドキするのに、心地良い。

このまま時が、止まってしまえばいいのに……


幸せな時間はあっという間に過ぎ、馬車は夜会が開かれる会場へと到着した。


「離したくないが、仕方ないか」


馬車が止まると、名残惜しそうに離れる。私も離れたくないけど、抱き合ったまま会場に入るわけにはいかない。


これから私は、ジュラン様を追い詰めようとしている。ハンク様と想いが通じ合ったばかりだというのに、嫌われてしまうかもしれない。

そう考えると怖いけど、これが今の私だ。


ハンク様にエスコートしてもらい、会場へと足を踏み入れる。私達に気付いた1人の令嬢が、まるで幽霊でも見たかのように驚いた顔で固まった。

固まっている令嬢に向かってウィンクをすると、彼女は『きゃ~』と、黄色い声をあげた。


「ローレン様のお顔が……」

「やはり、お美しい……」


今まで見下していたのに、傷が消えただけで手のひらを返す。


「ローレン!?」


周りから視線が集まる中、ジュラン様が私達に気付いた。


「ジュラン様、いらしていたのですね」


出席していることを知らなかったフリをして、ジュラン様に笑顔を向ける。


「傷痕が、消えたのか……やはり、お前は綺麗だ。だが、なぜハンクといるんだ!? 離れろ!!」


傷痕が消えた途端、私の顔をずっと見つめるジュラン様。今となっては、この人の何を愛していたのか分からない。


「離れるのは、あなたです。私達の結婚は、無効になりました。ジュラン様の子を生んでくれたシンシアさん……ではなく、新しい彼女のハイリーさんとお幸せに」


「ローレン……? 何を言っているんだ!?」


私が反撃するなんて思っていなかったのか、本気で動揺している。引き止めようと、私に手を伸ばした。


「触るな! 穢らわしい!

あぁ、ごめんなさい。ジュラン様の愛人に、毎日侮辱されていたので、言葉使いが悪くなってしまったようです。ですが、これが私の本心です」


「お前は、俺のものだ! 誰にも渡さない! ローレン……愛しているんだ!」


正気を失ったように、目が血走っている。彼の愛は、ただの執着としか思えない。


「ジュラン様の愛は、随分薄っぺらいのですね。そういえば、他の令嬢はシンシアさんより醜いと仰っていましたものね。他の方との結婚は、考えられないのですよね?」


私の言葉に、会場にいる令嬢達の表情が変わる。


「それは、聞き捨てなりませんね!」


誰よりもプライドが高いマリアンが、黙っているはずがなかった。


「ローレン、あなた自分が醜いと言われたからって、そんな嘘をつくなんて……見損なったわ!」


最初から、見損なわれるような仲じゃない。


「嘘だと思うなら、私ではなく直接本人に聞いたらどう? ねえ、シンシアさん」


会場の入口から、レイバンがシンシアさんを支えながらこちらに歩いて来る。


「な!? なぜ、お前がここにいるんだ!?」


シンシアさんを見て、顔が青ざめていくジュラン様。

子を生んですぐに、ジュラン様に追い出されたシンシアさんを、レイバンが見つけた。レイバンが夜会に連れて行きたいと言った人物は、シンシアさんだったのだ。

邸から追い出されたシンシアさんは両親を亡くしていて、行く宛てもなく、お金もなく、街をフラフラと歩いていた。そんなシンシアさんを偶然見かけたレイバンが、ジュラン様の愛人だとは知らずに声をかけたそうだ。

まさか、シンシアさんが私の味方についてくれるとは思っていなかった。子を奪われ、無惨に捨てられた怒りから、子を産んだばかりの辛い体でも、この場に来て彼の本性を証言したいと言ってくれた。


「ジュラン様……私の子を、返してください! 私を愛していると仰ってくれたのは、全て嘘だったのですか!? 令嬢達なんかより、私の方が美しいと言ってくれたではありませんか!!」


シンシアさんは、本当に美しい。だからこそ、ジュラン様がそう言ったのだと裏付けられた。自分達は、シンシアさんに負けていると思ったのか、反論する者は誰一人いなかった。


……くだらない。

誰かと比べる必要なんて、ありはしないのに。容姿だけが全てだと思っているジュラン様は、決して誰も愛せないだろう。


「お、俺は、そんなことを言った覚えはない! 他の令嬢は、ローレンより醜いと言っただけだ!」


墓穴を掘るとは、このことを言うのだろう。自ら認めてしまったジュラン様のことを、令嬢達は睨みつけている。そんな中、マリアンは涙目になっている。まさか、マリアンはジュラン様に好意を持っていたのだろうか……

だとしたら、私をあんなに嫌っていたことにも納得が行く。


「ジュラン様……そんなの、嘘ですよね? 私が一番だと、仰ってくれたではありませんか……」


まさかジュラン様が、マリアンにも手を出していたとは……


「お前っ!? 何を言っているんだ!? お前など、知らん!」


私達が婚約していた頃から、社交の場で何度も会話をしていたのを見ている。マリアンを知らないはずはない。


「ジュラン様!? なぜそのような嘘を仰るのですか!? 私はジュラン様に、ずっと尽くして来たのに……」


本気の涙。マリアンは、本気で彼を愛していた。彼女のことは嫌いだけど、裏切られてツライ気持ちは分かる。


「俺にはローレン以外いらない! お前が何をしようと、一番になれるわけがない! 嘘をついているのはお前だ!」


「ジュラン……お前、最低だな」


ハンク様は呆れ顔で、ジュラン様にそう言った。


「う、うるさい! 全部お前が仕組んだんだな!? 俺から、ローレンを奪おうとしても無駄だぞ!! ローレンは俺のものだ!!」


何度も何度も、『俺のもの』と口にするジュラン様に腹が立って来た。ハンク様が仕組んだ? 彼は、ジュラン様がハンク様にしたことを今まで私に話さなかった。そのような方が、そんなことをするはずがないじゃない!


「いい加減にしてください、ジュラン様。私はあなたにされて来たことを、許すつもりはありません。侮辱し、蔑んでおいて、傷痕がなくなったら手のひらを返すような方を、まだ愛しているとお思いなのですか? あなたを愛したことは、私の最大の過ちです!」


「ローレン……俺を捨てないでくれ!」


「ジュラン様には、彼女が何人もいらっしゃるではありませんか。シンシアさん、ハイリーさん、マリアン、そしてマーニャさん。マーニャさんのことを、覚えていますよね? あなたのせいで、自害した女性です」


「……俺は、お前を選んだんだ。マーニャが自害しようと、俺には関係ない」


ジュラン様のせいで人の命が失われたというのに、関係ないと言うの? この人は、狂ってる。


「それでもあなたは、人間なのですか……?」


「お前は、嬉しくないのか!? この世で一番美しいということだ! 傷が消えて、また俺達は元に戻ることが出来るじゃないか! 子供など、シンシアにくれてやる! 俺達の子を作ろう! きっと美しい子が生まれる!!」


嫌悪感……いいえ、恐怖さえ覚える。容姿に執着する彼は、モンスターのように恐ろしい顔をしている。子供を、なんだと思っているのか……怒りが込み上げてきた。


バシンという、乾いた音が会場に響き渡った。


気付いたら、怒りに任せて彼の頬を思い切り叩いていた。


「あなたに子を育てる資格はありません! 美しい? それがなんだと言うのですか!? あなたに必要なのが容姿だけなら、自分の好みの人形でも作って結婚してください! 中身のないあなたを、愛する人なんかいない!!」


感情的になってしまうなんて、大人気ない。叩かれたことに驚いているのか、私が感情的になったことに動揺しているのか、彼は殴られた頬に指先で触れながら身動きひとつしない。

この人に何を言っても、心を変えることなんて出来ないのは分かりきっている。自分だけが大事なジュラン様は、他人が全て道具だと思っていて、いらなくなったら表情ひとつ変えずに捨てる。


その時、会場の入口から兵士達が入って来た。ジュラン様を捕らえに来たようだ。

あなたはもう終わり。沢山の貴族の前で、あなたの本性は暴かれた。貴族は意外とお喋りだから、マーニャさんとシンシアさんのことが国中に広がるのは時間の問題だ。


「ジュラン・ノーグルだな? 国を偽った罪で、連行せよとの命がくだされた。一緒に来てもらおう」


抵抗することもなく、大人しく着いて行く。


殴られたことが、それほど堪えたのだろうか……そう思いながら、連行されて行く後ろ姿を見ていたら、ジュラン様は振り返った。


「ローレン! すぐに戻るからな! また一緒に暮らそう! 俺達は、結ばれる運命だ!」


会場にいる出席者達も、ジュラン様は異常だと認識したようだ。特に女性達の顔が、引きつっている。


彼に出会った時、こんな日が来るとは思わなかった。


ジュラン様、さようなら。私はあなたに、二度とお会いしたくありません。


ハンク様が、そっと私の手を握ってくれた。この手を、離したくない。




「奥様……いいえ、ローレン様、本当に申し訳ありませんでした!!」


シンシアさんが深々と頭を下げて来た。


「頭を上げて。立っているのも辛いはずなのに、この場に来てくれてありがとう」


レイバンがシンシアさんを支え、彼女は頭を上げた。兵士がシンシアさんに気付き、近付いてくる。彼女も連行されることになる。


「あの、シンシアさんは子を産んだばかりです! どうか、その子の為にも軽い罰にしてあげてください!」


ハンク様に、シンシアさんの罪を軽くしてもらえるように頼み込む。


「彼女は、ジュランが出生届を出す前に邸から追い出されている。そんなに重い罪にはならないよ」


「良かった……」


「ローレン様……私なんかの為に、ありがとうございます!」


兵がシンシアさんの体を気遣いながら、ゆっくり連行して行く。彼女は何度も振り返り、頭を下げていた。


「君は優しいな。彼女には、酷い目にあわされていたのだろう?」


「優しくはないと思います。ただ、生まれて来た子には罪はありません。あの子には、母親が必要です。それに、大切なものが出来たシンシアさんは、変わると思います」


この会場に入って一番にジュラン様に言った言葉は、『私の子を、返してください』だった。彼女はきっと、子供を大切に育てるだろう。



ハンク様と私は、数日後婚約をした。




ジュラン様は、国を偽った罪で国外追放となった。ノーグル侯爵が、ジュラン様を跡取りにするつもりはないと証言したのが刑の決め手になったようだ。一度も会ったことのないハイリーさんも、同罪とみなされ国外追放となった。

シンシアさんは、子供を大切に育てるのを条件に、すぐに釈放された。ハンク様が陛下に頼んでくれたのだと、レイバンが話してくれた。


国を追放されたジュラン様を、マリアンが追って行ったようだ。



「お前……なんでここに居るんだ?」


追放されたジュランは、国の検問所で兵士に馬車から降ろされた。そこで待っていたマリアンを、怪訝そうな目で見る。


「私はジュラン様を愛しています! どこまででも、お供いたしますわ!」


「冗談は顔だけにしてくれ。俺はもう、ローレンを裏切らないと決めた。いつか必ず、ローレンの元に帰る」


少しは反省したのか、ローレンを一途に想うと決めたようだ。


「それでも構いません! それまで、おそばに居させてください!」


「断る! 帰れ!!」


背を向けて歩き出すジュラン。マリアンは、諦めるつもりはない。


「嫌です! ジュラン様は、これからどうやって生きて行くおつもりですか!? お金もないのですよね!? 邸から宝石をありったけ持って来ました! 2人で暮らすには、十分ですよ?」


ジュランは立ち止まり、少し考えると……


「……勝手にしろ」


そう言って、また歩き出した。その後を喜んで着いていくマリアン。


ローレンを愛し続けると決めたジュランだが、ハンクとローレンが婚約したことをまだ知らない。二度と手に入らないローレンを、生涯思い続けるだろう。そして、自分を絶対に愛さないジュランと共に生涯暮らすことになるマリアン。


マリアンの持ってきた宝石はすぐになくなり、資金が底をついた。今まで贅沢な暮らしをしていたのだから、質素な暮らしが出来るはずもない。

マリアンは捨てられない為に、働きに出るようになった。

しばらくして、ローレンとハンクの婚約を知り、ジュランは抜け殻のようになる。話しかけても、返事は返ってこない。


「ジュラン様、お食事の用意が出来ました。今日は、豆のスープです」


何を言っても、反応さえしない。ジュランの口元にスプーンを運び、食事を与える毎日。

身も心もボロボロになっていくマリアンは、それでもジュランの元から離れることはなかった。




「今日は君に、プレゼントがあるんだ」


ジュラン様が国外追放となり、平穏な日々が訪れていたある日、ハンク様は私を2人が出会ったあの川辺に連れて来てくれた。


「プレゼント……ですか?」


首を傾げた私に、彼は跪き、小さな箱を開けた。

中には、彼の瞳と同じ藍色の宝石の指輪が入っていた。


「この場所で、君にこの指輪を渡したかったんだ」


そう言って指輪を取り出すと、左の薬指にはめてくれた。


「綺麗……」


「君を必ず、幸せにする。どんな宝石よりも、綺麗な君の心を愛している」


甘い言葉を囁かれ、嬉しくて言葉が出ない。

そっと立ち上がり、彼は私を優しく抱きしめてくれた。


彼が居なかったら、今の私はいない。

彼の言葉が、私を救ってくれた。


少し遠回りしてしまったけど、今は最高に幸せだ。


「……私、子供は3人欲しいです」


シンシアさんが、子供を連れて邸にたまに来てくれる。レイバンが住み込みの仕事を紹介し、働きながら子供を育てている。父親がジュラン様ということもあり、嫌がらせを受けることもあるようだけど、シンシアさんは負けずにやり返しているようだ。

愛おしそうに我が子を見つめるシンシアを見ていると、私も子供が欲しいと何度も思っていた。


「それは困ったな……」


3人は多過ぎたのかと、彼の顔を見上げると真っ赤になっていた。


「ハンク様?」


見上げる私を更に抱きしめて、顔を隠すハンク様。


「俺は、5人欲しい」


「5人……ですか。頑張ります」


抱きしめ合いながら、子供の話をしていたことが照れくさくなり、私の顔も真っ赤に染まる。


「やっぱり、子供はもう少し後にしないか?」


「どうしてですか?」


「2人の時間が、なくなってしまう」


顔が見えなくても、少し拗ねているのが分かる。まだ生まれていない子供のことを考えて、ヤキモチを妬いたようだ。


「分かりました。ハンク様が拗ねるのは困りますから」


「拗ねていない……」


明らかに拗ねた声で言うハンク様が、なんだか愛おしくなった。


「はいはい」


時間が経つのも忘れて、私達はいつまでも抱き合っていた。また明日会えるのに、離れたくなかった。


「このまま、離れたくないな」


同じことを思ってくれていたことが、嬉し過ぎて胸が高鳴る。


「私もです……」


この日から、この場所は2人だけの秘密の場所になった。記念日の度に、ここに来ようと約束をした。


「ハンク様、もう少しだけこうしていたいです」


「もう少しだけ? 俺は、ずっとこうしていたい」


ちょっとだけ負けず嫌いだということも、この日知った。





END

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