前編
「ローレン、君を愛している。君のような美しい妻を娶ることが出来て、俺は幸せだ」
私の名前は、ローレン。クルーガー伯爵の次女に生まれた。
18歳の誕生日、2年間婚約していた侯爵令息のジュラン・ノーグル様と結婚をした。
4歳年上で、金色の髪に青い瞳の美しい容姿のジュラン様。とても優しくて、何より私を愛してくださっている。
2年前の夜会で初めてお会いした時に、ジュラン様に見初められ、熱心に邸に通ってくださり、次第に私はジュラン様に惹かれていった。
だけど、幸せだったのは結婚式までだった。
「ジュラン・ノーグル! 貴様の命はここまでだ!!」
結婚式から帰る途中、数人の男達が馬車の前に立ちはだかった。 使用人が斬られ、馬車の扉が強引に開かれ、ジュラン様が引きずり降ろされた。
ジュラン様を追いかけて、私も馬車から降りると、
「い、命だけは、助けてくれ! 金なら、全部持って行って構わない!」
地面に額を擦りつけながら、ジュラン様は命乞いをしていた。
「金なんかいるかっ!! 貴様がしたことの報いを受けろっ!!」
必死に命乞いをしているジュラン様に、剣を振り上げる男性。
その瞬間、私はジュラン様に駆け寄り、彼を背に庇っていた。そしてそのまま、男性は剣を振り下ろしてきた!
男性が振り下ろした剣は、私の左頬をかすめ、真っ赤な血が滴り落ちる。
男性は私がジュラン様の前に飛び出したことに気付き、振り下ろそうとした剣を止めようとしたからか、顔を斬られただけですんだようだ。
「退けっ! お前に恨みはない!!」
男性は私を払い除けようとするが、私が退いたらジュラン様は殺されてしまう。
「彼は、私の夫です! 決して、退きません!」
すごく怖くて、足がガクガク震えている。だけど、彼を守るためなら命など惜しくない!
「それなら、お前も死ねーーーッ!!」
男性はもう一度、剣を振り上げた!
私は死を覚悟して目をつぶる……
その時、一際大きな声が辺りに響き渡った!
「そこまでだ!!」
目を開けると、その声と共に男性の持っていた剣が地面に落ちて、男性はその場に崩れ落ち膝をついていた。
声の主は、ハンク・ロード侯爵。この国の近衛騎士団長だ。そして、ジュラン様のご友人でもある。
ロード侯爵が、男性の剣を振り払ってくれたようだ。
男性が兵に連行され、安堵からか力が抜けて、私はその場にしゃがみ込んだ。
「大丈夫か?」
見上げると、ロード侯爵が手を差し出してくれていた。彼が居なかったら、私はこの世に居なかっただろう。
「ありがとうございます」
ロード侯爵の手を借り、立ち上がる。
「ハンク! 俺の妻に、気安く触るな!!」
襲われてブルブル震えていたジュラン様が、嫉妬からか、ロード侯爵から私を引き離す。助けてもらったというのに、正直いってその嫉妬は嬉しくない。
「ローレン……その顔は……!?」
先程、男性の前に立ちはだかった時に斬られた左頬のことを言っているようだ。掠めただけだと思っていたが、触れてみると思ったよりも深く切れている。
「大丈夫です。ジュラン様がご無事で、本当に良かった」
ジュラン様は私の手を両手で握りしめ、涙を流した。
「……すまない。俺を庇ったせいで、君の美しい顔に傷がついてしまった……」
私の為に涙を流してくれるジュラン様の手を、ギュッと握り返す。本当に無事で良かった。
私達の乗った馬車を襲った男性達の狙いは、復讐だったようだ。ジュラン様に恋をした平民女性が、結婚のことを知り自害した。ジュラン様に剣を向けた男性は、その女性の父親だった。ロード侯爵は、その計画を知り、男性達を見張っていたことから、駆け付けるのが早かったようだ。
娘を想っての犯行……だけど、人を殺してしまったのだから、死罪は免れないだろう。
事件からしばらくして、傷口を見るために鏡を見ながら顔のガーゼを外してみる。傷口は塞がっていたが、痕が少し残っていた。
「ローレン、ガーゼは貼っていなさい!」
傷口は塞がっていたので、ガーゼをとって部屋から出ると、少し怒ったような声色でジュラン様がそう言った。
「ですが、傷はもう塞がっています」
いつもの優しいジュラン様とは別人のように感じてしまい、緊張しながら返事をした。
傷は塞がっているのだから、ガーゼを貼る必要はない。
「その醜い顔を、俺に見せないでくれ。隠さないのなら、俺の視界に入るな」
ジュラン様はそれだけ言うと、私の顔から目を背けて自室に戻って行った。
まさか、彼がそんなことを言うとは思わなかった。あんなに愛してくれていたのに、顔に傷が出来たら醜いと言い放った。
もしかしたら、聞き間違えかもしれない……そう思いたいけれど、現実はそんなに甘くなかった。
それ以来、ジュラン様は私を避けるようになり、同じ邸に住んでいるというのに、顔を合わせることもなくなった。
そして1週間後、ジュラン様は平民の女性を邸に連れて来た。
「初めまして、シンシアと申します。奥様の代わりに、私がノーグル侯爵家の跡継ぎを産むことになりました」
シンシアさんは、笑顔でそう言った。
言っていることが、全く理解出来ない。
ノーグル侯爵家の跡継ぎをシンシアさんが産むということは、ジュラン様は私との離婚を望んでいるということだろうか?
「シンシアには、離れに住んでもらうことにした。彼女は身篭っているから、優しくしてやってくれ。腹が大きくなりだしたら、お前も邸から出るな。子供は、俺とお前の子として育てる。
醜い顔のお前を、抱くことが出来ないんだ。分かってくれ」
何を……?
何を、分かれというの?
シンシアさんの言ったことも、ジュラン様の言ったことも、全く理解が出来ない。
いっその事、お前は醜いから離婚してくれと言われた方がマシだ。
何もかもがショックで、私の中で整理出来なくなっていた。そんな私の気持ちなどどうでもいいようで、2人はそのまま離れに消えて行った。
「奥様、大丈夫ですか?」
メイドが心配して、声をかけてくる。
「……ええ、大丈夫よ。部屋に戻るわ」
部屋に戻るとベッドにうつ伏せになり、枕に顔をうずめる。1人になると、様々な感情が押し寄せて来た。
怒りが込み上げて来たと思ったら、悲しみが押し寄せる。愛している人からの裏切り……
「……っ……ぅ……ぅぅっ……」
枕に顔を押し付けながら、泣き続けた。
どれくらい泣いていたのか……
気付いたら、窓の外はすっかり暗くなっていた。
少しだけ冷静になった頭で考えても、ジュラン様の行動は理解が出来ない。
あれ程、愛していると言っていたのに、愛人を連れて来ただけでなく、子供を生ませるなど、最初から愛していなかったとしか思えなかった。全てが、偽りだったのだろうか……
結婚してから、1度もジュラン様に抱かれてはいない。私の身体を、気遣ってくれているのだと思っていたけど、私が醜いから抱きたくなかっただけのようだ。
私は、ジュラン様の何を愛していたのだろう……
彼と婚約してから一緒に過ごした日々は、すごく幸せだった。私に向けてくれたジュラン様の笑顔が大好きで、結婚したら毎日彼の笑顔が見られるのだと思っていた。
それなのに、結婚式以来、彼の笑顔を見ていない。あの事件以来、私に笑いかけてくれなくなっていた。
傷痕が残っているのを見て、彼は私を見限り、愛人を連れて来たのだろう。もう私は、ジュラン様にとってただのお飾り妻になったのだと悟った。
だからといって、納得はしていない。納得出来るはずがない。
妻が醜いから、愛人に子を生ませるなんて聞いたことがない。必要がないなら、私と別れればいい。
正直、こんな目に遭わされているというのに、それでもジュラン様を愛している自分に腹が立つ。
彼は、私を愛していない。それならば、私が身を引けばいい。
そのことを伝えようと、離れに行くことにした。
玄関までは普通に歩いて来られたけど、玄関を出た途端、足が動かなくなった。
ジュラン様が、シンシアさんと……
考えないようにしていたことが、急に頭に浮かんで来た。それでも無理やり足を動かし、進んで行く……
「こんな所で、どうしたんだ?」
声が聞こえて、我に返った。
「……ロード……侯爵?」
気付かないうちに、いつの間にか門の前まで来ていたようだ。
離れに向かうはずだったのに、ここから逃げたいという気持ちが、邸の外に足を向かわせていたみたいだ。
ロード侯爵は、私の様子がおかしいと感じたのか、心配そうな顔をしながらこちらを見ている。
「何か、あったのか?」
2人は友人同士だけど、シンシアさんのことは知らないのだろうか……
「……いいえ、何もありません。ジュラン様に会いにいらしたのですか?」
ロード侯爵に話したところで、何も解決しない。
「いや、ジュランは俺には会わないよ。俺は嫌われているからね」
「どういう意味ですか?」
私とジュラン様が出会う前から、ジュラン様とロード侯爵の仲がいいことは噂で聞いたことがあった。それなのに、嫌われているとはどういうことなのか。
「さあ……どういう意味だろうね。
今日は、君に会いに来たんだ。そろそろ、ガーゼが取れる頃だと思ってね」
言いたくないのか、はぐらかされてしまった。
「心配してくださり、ありがとうございます。少しだけ痕が残ってしまったので、ガーゼはこのままにしておくことにしました」
結局私は、ジュラン様の言う通り、ガーゼで傷を隠すことにした。そうしたところで、醜いことには変わりがないのだけど……
「……痕が、残ってしまったのか」
暗い表情になるロード侯爵。
ロード侯爵も、ジュラン様と同じで私を醜いと思っているのかもしれない……
そんなことを考えてしまうほど、私は疑心暗鬼になっていた。
「女性の顔に傷痕が残ることが、どれ程辛いことなのか俺には想像がつかない。だが、君の魅力は容姿だけではない。それを、忘れないでくれ」
ロード侯爵のその言葉が、私の心の闇に光を照らした。
「……ありがとうございます」
お礼の言葉しか出ない。これ以上何か言えば、涙が溢れてしまいそうだった。
「何かあったら、いつでも話を聞くから。なんて言ったら、またジュランに怒られてしまうな。だが、本心だ。じゃあ、今日は失礼する」
ロード侯爵は優しい笑顔を残して、馬車に乗り込み帰って行った。
ロード侯爵に勇気をもらった私は、そのままジュラン様とシンシアさんの居る離れへと向かった。
離れには、1度も来たことがなかった。
結婚式の帰りにあんな事になり、お義父様であるノーグル侯爵が用意して下さった邸の中を全て把握する時間もないまま、ジュラン様は愛人を連れて来た。
新婚生活を、2人で送れるようにと気を使って用意してくださったのに、愛人が暮らすようになるとは、ノーグル侯爵も思っていなかっただろう。
離れに着くと、中から楽しそうな笑い声が聞こえて来た。少なくとも、取り込み中ではなさそう。
息を整えてから、部屋のドアをノックした。
「入れ」
2人の時間を邪魔されたからか、さっきまで楽しそうな声だったジュラン様が不機嫌そうに返事をした。
こんなことで、怯むわけにはいかない。意を決して、ドアを開けて中に入った。
「何の用だ?」
私の顔を見ることなく、不機嫌どころか怒ったように言い放つ。彼の青い瞳に、私はもう映ることがない。
ジュラン様はソファーに座り、膝の上にシンシアさんを横抱きにして乗せている。その姿はあまりに自然で、2人が夫婦なのではないかと思えて来る。
私は1度も、あんな風に触れられたことはない。
胸が苦しい……愛する人が、私以外の女性と……
「用がないなら、出て行け。お前の顔など見たくない」
ショックで声が出ない私に、容赦なくキツイ言葉を浴びせてくる。
こんな扱いを受けなければならない程、私が何をしたの?
そう聞きたかったけど、感情的になったら負けだと思った。
「お聞きしたいことがあります。私の顔を見たくない程お嫌いなのに、なぜ離婚しないのですか?」
そんなことも分からないのかという顔をする、ジュラン様。
呆れているのが伝わって来る。
「離婚などありえない。他の令嬢は、君より醜いからな。俺は、美しいシンシアと居たいんだ。だが、平民のシンシアと結婚をしたら、父上は弟のカーターを跡継ぎにする。俺がノーグル侯爵家を継ぐには、お前が妻でなくてはならないんだ」
悪びれもせず淡々と語るジュラン様に、ゾッとした。
やっぱり、この人の考えなんて分かるはずもなかった。なぜ私が、この人の為に犠牲にならなくてはならないの? こんな扱いをされているのに、無条件で彼に従うなんてありえない。
彼を愛していた気持ちが、消え去って行く。幸せだった2年間が、まるでモヤがかかったみたいに思い出せなくなる。
「……離婚してください」
そう言ったところで、素直に離婚してくれるはずがない。それが分かっていても、言わずにはいられなかった。
「しないと言ったはずだ。それに俺と別れたら、お前のような醜い女と誰が結婚してくれるんだ? お前は、大人しく俺の奴隷でいろ」
鼻で笑いながら、彼は私を侮辱してくる。
「クスクス……ジュラン様、そこまで言ったら、流石に可哀想じゃないですか。奥様、泣かないでくださいね?」
私を奴隷だというジュラン様。私を見ながら、クスクスと笑う愛人。
この人達は、人を何だと思っているのだろう……
「用がすんだなら出て行け。その顔を見ていると、吐き気がする」
この部屋に入って来てから、ジュラン様は一度も私の顔を見ていない。それでも吐き気がするというなら、別れればいい。なぜ、こんな屈辱に耐えなくてはならないのか……そう思ったけど、考え直した。
「失礼します」
部屋から出て、ドアを閉める。
素直に部屋を出たのは、彼の言う通りにしようと考えたからではない。この先、自分の子を産めないどころか、他人の子を自分の子として育てるなんて耐えられない。いいえ……その子でさえ、私には触れさせもしないだろう。
幸せな結婚のはずだったのに、結婚して全てが変わってしまった。もう二度と戻ることはない。
私は、ジュラン様に復讐しようと決めた。
彼が望んでいるのは、お飾りの妻。言うことを素直に聞いていれば、シンシアさんのお腹が大きくなるまでは好きに過ごせるはず。
シンシアさんが子を産んだ時、ノーグル侯爵に全てを話す。そうしたら、ジュラン様はノーグル侯爵家を継ぐことは出来ないわ。
その日から私は、好きに生きることにした。
ただ、ガーゼだけは毎日貼っていた。理由は、ガーゼがないと外出することを許されなかったからだ。
「これからは、食事を部屋でとるようにとのことです」
メイドのカーラは、私の部屋を訪れて眉ひとつ動かさずにそう言った。カーラは、ジュラン様がシンシアさんの為に雇ったメイドだ。
元から居た使用人達は、少なからずシンシアさんに嫌悪感を抱いていた。その為、シンシアさんに尽くしてくれるメイドが必要だったのだ。
私の顔を見たくないジュラン様は、使用人を使って命令してくる。私が食事を部屋でとるようになると、シンシアさんは、食事を本邸の食堂でとるようになった。
そして、1ヶ月が過ぎた。
「ベロニカ、出かけるから準備して」
ベロニカは、最近この邸のメイドになったばかりだ。元々は、クルーガー伯爵家のメイドだったのだが、お父様にお願いしてこの邸のメイドにしてもらった。お父様からの好意だと思ったジュラン様は、申し出を断ることが出来なかった。
お父様はまだ、ジュラン様とのことを何も知らない。お父様は古い人間だから、貴族に愛人がいるのは普通のことだと考えている。ジュラン様が離婚を望んでいない以上、愛人に子供が出来たからといって、離婚することは許さないだろう。
ベロニカと共に、友人のキャロルの邸へお茶会に出かける。
社交の場には、結婚してから1度も出席をしていなかった。ジュラン様は、私を同伴せずに1人で参加していたからだ。
キャロルは、もうすぐ結婚をする。シンシアさんのお腹が大きくなっている時期だから、結婚式には出席させてはもらえないだろう。
一言でも祝いの言葉を伝えたかったから、お茶会に参加することにした。
オシャレをするのは、1ヶ月ぶり。顔に貼ってあるガーゼが、全てを台無しにしている。
邸に着くと、キャロルが出迎えてくれた。
「来てくれてありがとう! 会いたかったわ!」
「私も、キャロルに会いたかった!」
キャロルは嬉しそうに私の手を引き、お茶会の会場である庭園に連れて行く。
「皆様! ローレンが来てくれました!」
キャロルの言葉に、皆いっせいにこちらを向いた。
なぜここに居るのか分からないといったような顔で、皆が私を見てくる……。どうやら、私は歓迎されていないようだ。
「ローレン、元気だった? 顔に傷痕が残ってしまったと、ジュラン様から聞いたわ。あんなに美しかったのに、可哀想……」
重苦しい空気の中、1番に話しかけてきたのは、伯爵令嬢のマリアン。可哀想だなんて、全く思っていないのは分かっている。マリアンとは、そんなに仲は良くない……というより、一方的に嫌われている。
「マリアンも元気だった? 傷痕は、気にしていないから、大丈夫よ」
「気にしていないなんて、嘘でしょう!? 容姿しか取り柄がなかったあなたには、何もなくなってしまったのよ!?」
大袈裟に驚いたふりをし、皆に聞こえるような大きな声で侮辱してくる。
周りから、クスクスと笑い声が聞こえる。皆、そう思っているということだろう。
「マリアン! そんな言い方はないんじゃない!?」
いつも大人しいキャロルが、私の為に怒鳴り声をあげた。
「そう? ローレンは、ジュラン様にも見放されているじゃない。それはそうよね、ジュラン様はローレンの容姿にしか興味がなかったのに、その容姿がそれじゃあね……」
キャロルは、私を庇ってくれた。それだけで、十分だ。
ジュラン様のことを分かっていなかったのは、私だけだったのだと思い知らされた。
それに、顔に傷痕が残っただけで、こんなにも周りの態度が変わってしまった。皆、ジュラン様と同じだったということだろう。
「私が居ると空気が悪くなるから、今日は帰るね。キャロル、結婚おめでとう」
キャロルに別れを告げ、逃げるように馬車に乗り込んだ。
「ローレン様、もうお帰りになるのですか? 何か、あったのですか?」
馬車で待っていたベロニカが、心配そうな顔でこちらを見る。
「何もないわ。久しぶりだから、少し疲れてしまったの」
心配させたくなくて、笑顔を作る。
「私の前では、無理して笑わないでください。気付かないと思いました? 何年、ローレン様にお仕えして来たと思っているのですか?」
ベロニカは、私が幼い頃からずっと世話をしてくれていたメイドだ。どんな時も、私の味方でいてくれる。
「……あなたには、隠し事は出来ないわね。でもね、本当に大丈夫なの。確かに、この顔のせいで嫌な思いはしたけれど、それと同時にスッキリしたのよ」
容姿しか見ていなかった人達、上辺で付き合っていた人達、私のことをよく思っていなかった人達がいっせいに私を拒絶した。
ほんの少し顔に傷痕が残っただけで、去っていった人達に興味なんてない。
そう思わせてくれたのは、ロード侯爵だ。あの日、ロード侯爵に会わなかったら、私は自分の殻に閉じこもっていたかもしれない。
「スッキリ……ですか。お強くなられたのですね」
ベロニカには、全てを話してある。
「そうね……強くなるしかなかったからかな」
あの時は本当に悲しかったけど、これでよかったのだと思えた。私の顔に傷痕が残らなかったら、彼の本性を知らないまま、結婚生活を送っていたかもしれない。そう考えると、ゾッとした。
邸に戻ると、お客様がいらしているのか、見慣れない馬車が止まっていた。
ベロニカは、玄関のドアを開けようとしてやめた。
「どうしたの?」
ベロニカは振り返り、『しーっ』と口元に人差し指を立てた。
「旦那様が、お客様と喧嘩をしているようです」
小声でそう言うと、ドアに耳を寄せた。
「ベロニカ!? 盗み聞きはよくないわ!」
ベロニカと場所を代わり、玄関を開けようとした時、
「ローレンのことは、お前には関係ないだろう!? もう二度と来るな!!」
私の名前が出て、動きを止めた。
なんとなく……なんとなくだけど、ジュラン様と話しているのはロード侯爵ではないかと思った。
「出て行け!!」
考えている間に、玄関が開いた。
ドアにぶつかりそうになり、慌てて離れると、ジュラン様に押されて出て来たロード侯爵と目が合った。
「ローレン……」
ロード侯爵の目を見つめたまま、動けなくなった。
「ローレン! お前は中に入れ!」
私が居ることに気づいたジュラン様が、私の手を引っ張った。
「乱暴にするな!」
私の手首を掴むジュラン様の腕を、ロード侯爵が掴んだ。ジュラン様は私の手首を離し、
「俺の妻だ!」
そう言って、ロード侯爵の手を振り払った。
「ローレン、部屋に戻れ!」
このままここに居ては、ロード侯爵にご迷惑がかかる。ジュラン様の言う通り、大人しく部屋に戻ることにした。
廊下を歩きながら、はあ……と、大きなため息をつく。私が部屋へ戻ろうと歩き出した時の、ロード侯爵の悲しそうな顔が頭から離れなかった。
話しの内容から、ロード侯爵は私のことを心配して来てくださったのに、私は何も言うことが出来なかった。
私はまだ、ジュラン様の妻だ。私と関わったら、悪い噂を立てられるかもしれない。ロード侯爵は、私に関わらない方がいい。
「あら、お早いお帰りですね。お茶会は、楽しかったですか?」
考え事をしていたからか、シンシアさんが目の前に来るまで全く気付かなかった。
「……ええ、楽しかったわ」
当然のように、本邸に居座る愛人。なんだか、笑えてくる。
「本当に? ジュラン様は、奥様の悪口を言いまくっているようだから、辛い目にあいませんでした?」
シンシアさんは、何が言いたいのだろう? 彼女の目的が分からない。真意が分からず、彼女の顔を見る。
「奥様を見てると、イライラします。
なんの苦労もしないで育って来たんでしょう? 綺麗な顔に、綺麗な服、綺麗で豪華なお邸で何不自由なく生きて来たくせに、男に裏切られたくらいでこの世の終わりみたいな顔をして……あんたなんか、不幸になればいい」
これが、シンシアさんの本性ということね。
「失礼するわ」
言い返すことなく、部屋のドアを開けて中に入る。
「つまらない女ね!!」
ドアの外から、シンシアさんの声が聞こえた。
言い返したい気持ちはあるけど、ジュラン様にもシンシアさんにも、大人しく言いなりになっていると思わせなくてはならない。私が何をするか気付かれてしまったら、対策されてしまうかもしれないからだ。
幸い、カーラ以外の使用人は、私の味方とまではいわないけれど、少なくともシンシアさんの味方ではない。何人かは、私とジュラン様が白い結婚であることを証言してくれるだろう。
「ローレン様を侮辱するなんて……許せません!」
シンシアさんが去って行く足音を聞き、ずっと黙っていたベロニカが怒りをあらわにした。邸の玄関から、波風を立てないように空気のように振舞ってくれていた。
「ベロニカは、感情を抑えるのが苦手だものね。それでも、私の為に我慢してくれてありがとう」
「ローレン様が耐えていらっしゃるのに、私が台無しにするなんてことは絶対に出来ません!」
ベロニカが来てくれて、本当に良かった。1人だったら、逃げ出していたかもしれない。
私は逃げたくない。何も反省しないで、ジュラン様がノーグル侯爵家の当主になることを阻止しなければならない。彼が領民の為を思っているとは、とても思えないからだ。
「レイバンに、手紙を渡して来て欲しいの」
レイバンは、私の1つ歳下の弟だ。
私の行動は全て見張られているので、レイバンにジュラン様のことを調べてもらっている。
あの事件が起こるきっかけになった、平民女性の自殺が気になっていた。 一方的に好意を持っていた男性が結婚したくらいで、自殺するほど追いつめられるとは思えなかったからだ。
もちろん、そういう人も中にはいるかもしれない。 だけど、彼女の父親はジュラン様を殺そうとした。一方的に好意を持っていただけならば、そこまでするだろうか……。彼は1度、私を殺すことを躊躇った。そんな人が、一方的な理由であんなことをするとは思えなかった。
レイバンへの手紙には、ロード侯爵にこれ以上私に関わらないように伝えて欲しいと書いた。
ロード侯爵は、陛下からも信頼されている近衛騎士団長で、とても優秀な方だ。私のせいで、彼に迷惑をかけたくなかった。
ロード侯爵が邸を訪れてから数日が経ったある日、珍しくジュラン様が私の部屋を訪れた。
「お前にドレスを用意した。今日の夜会に、共に出席するから準備しろ」
淡い水色のドレスを無造作にベッドに放り投げ、表情一つ変えることなく、ジュラン様はそう言った。
今まで1度も社交の場に私を連れて行かなかったのに、どういうつもりなのだろうか。
「私が、ご一緒してもよろしいのですか?」
正直いって、行きたくない。
「2度言わせるな。さっさと着替えろ。俺は、玄関で待っている」
どうやら、行かなければならないようだ。
ジュラン様が置いて行ったドレスに着替え、ベロニカにメイクをしてもらう。
「ローレン様……傷痕が……」
メイクをする為にガーゼを外したベロニカが、驚いた様子で手を止めた。
「どうしたの?」
「見てください! 傷痕が、消えています!」
ベロニカに言われ、急いで鏡を覗き込む。すると、傷痕はどこにもなかった。
傷痕を見られたくなかった私は、いつも自分でメイクをしていた。自分でも傷痕を見たくなかったからか、ガーゼを外した時、よく見てはいなかった。
いつから、傷痕が消えていたのだろうか……
傷痕が消えて、嬉しいという感情はある。だが、消えたことをジュラン様に知られるわけにはいかない。
今更、前のジュラン様に戻ったところで、愛せるはずがない。彼の本性を知ってしまったのだから、元には戻れない。計画通り、進んでくれなくては困る。
「もう一度、ガーゼを貼って」
ベロニカは、悲しそうな表情を見せた。
「傷痕が消えても、ガーゼを貼らなくてはならないのですね。こんなにも美しいのに、隠さなくてはならないなんて……」
「傷が残ったことで、今まで信じて来た人達の本性を知ることが出来た。見た目は、私にとってそんなに重要じゃない。私自身を、ちゃんと見てくれている人がいればそれでいい」
「本当に、お強くなられましたね。ローレン様の美しさは、容姿だけではありません。それが分からない方々に、ローレン様の美しいお顔を見せて差しあげる必要はありませんね!」
ロード侯爵と、同じことを言ってくれたベロニカ。こんな風に思ってくれる人がそばに居てくれて、私は幸せ者だ。
支度を終えて玄関に行くと、待ちくたびれてイライラしているジュラン様が立っていた。
「どれだけ待たせるんだ!? 行くぞ!」
ドレスを持って来た時も、今も、私の顔を見ようとしないジュラン様。こんな人を愛していたなんて、見る目がなさすぎだ。
「申し訳ありません」
心にも思っていないことを、口にするのにも慣れてきた。この人は、まさか私が裏切るとは思っていないだろう。
ジュラン様は、溜息をつきながら先に馬車に乗り込む。分かってはいたけど、私に手を貸してくれる気はないようだ。
ドレスの裾を持ち上げ、何とか1人で馬車に乗り込み、ジュラン様の正面に腰を下ろす。
気まずい空気が流れる中、夜会が行われる会場へと馬車が走り出した。
会場に到着すると、ジュラン様はさっさと1人で先に行ってしまった。『共に出席する』 と言っていたのに、置いていかれた。ますます、私を連れて来た意味が分からない。
馬車から降りて会場の中に入ると、この前のお茶会の時と同じで、皆がジロジロとこちらを見てくる。
「ローレン?」
声をかけて来たのは、キャロルだった。キャロルは、婚約者のダグラス・オージー伯爵と出席していた。
「ローレンが、夜会に来るなんて珍しいわね。ようやく、私の婚約者を紹介出来るわ!」
オージー伯爵の手を引いて、少し先からこちらへ向かって歩いて来た。
「ダグラスよ。私の愛する人」
頬を染めて、幸せそうな笑顔を見せるキャロルを見ると、私も幸せな気持ちになった。
キャロルには、愛する人と幸せになって欲しいと心から思っている。
「初めまして、ローレンです」
「初めまして、ダグラス・オージーです。お話は、キャロルから毎日のように聞いています。とても心が綺麗な方だとか」
キャロルが、私のことをそんな風に話してくれていたなんて嬉しい。
オージー伯爵も、嫌な顔ひとつせずに笑顔で接してくれている。キャロルが選んだ人は、とても素敵な人で安心した。
「私なんかよりもずっと、キャロルの方が心が綺麗ですよ。キャロルを、幸せにしてあげてください」
「ローレン……ありがとう!」
目に涙をいっぱい溜めながら、私の両手を握るキャロル。
「あら、最近はよく会うわね。皆が楽しんでいるのに、そんな顔で来るなんて、空気が悪くなるとは思わないの?」
私を見つけたマリアンが、また嫌味を言いに近寄って来た。
「空気を悪くしているのは、マリアンじゃない!」
キャロルは、私を背にかばうように前に立つ。
「キャロルのくせに、生意気ね。ローレンが居ないと、何も出来なかった弱虫だったのに、どうしちゃったの?」
「俺の婚約者を、侮辱するのはやめろ!」
「オージー伯爵、女性同士の話に割り込んで来るなんて、不躾じゃなくて?」
キャロルは、あまり社交的な方じゃない。見た目が地味だからと、令嬢達に虐めにあっていた。その虐めのリーダー格だったのが、マリアンだった。それが許せなかった私は、すぐにキャロルと友達になった。マリアンは、それが面白くなかったのか、私を敵視するようになった。
「不躾なのは、あなたの方よマリアン」
大人しくしていなければならないのは分かっているけど、我慢が出来なかった。
「ローレンたら、そんなマヌケな顔で偉そうにしても、怖くなんかないわ。夫に愛されない女なんて、哀れね」
この前のお茶会の時のように、皆に聞こえるように大きな声で話すマリアン。マリアンの少し先に、ジュラン様の姿があった。まるで他人事のように、こちらの様子を見ている。
あなたなんかに、何も期待していない。
「憐れなのは、君の方だ」
この声……
振り返らなくても、誰なのか分かってしまった。
……ロード侯爵だ。
私には関わらないように、レイバンが伝えてくれたはずなのに……
「な!? 私は憐れなんかじゃありません! なぜロード侯爵が、ローレンを庇うのですか!?」
「そうだ! なぜハンクが、俺の妻を庇う? ローレンに近付くな。ローレンは、俺のものだ!」
他人事のような態度だったのに、ロード侯爵が現れるとすごい勢いで近付いて来た。
ジュラン様が、夜会に私を連れて来た理由がやっと分かった。ロード侯爵に、みんなの前で私を自分のものだと言うためだった。
私のことなど何とも思っていないくせに、ロード侯爵の優しさを踏みにじるジュラン様が許せないと思った。ロード侯爵はただ、私に同情しているだけだ。それは分かっているのに、私の心は彼に惹かれ始めていた。
「それなら、もっと大切にしたらどうなんだ? ローレンを守るのが、お前の役目だろう!? 」
「……もう、やめてください。私がここに来たのが、間違いだったのです。帰ります」
ロード侯爵にご迷惑をおかけしたくなかったのに、結局ご迷惑をおかけしてしまった。ジュラン様にどう思われようと、ここには居たくない。
「帰るぞ」
ジュラン様は、私の手を引いて会場から連れ出す。今すぐこの手を、振り払ってしまいたいという感情が押し寄せて来る。私達が愛し合っていないことを、ほとんどの人が知っているのに、この茶番は何なのだろう。
それでも私は、彼と完全に別れるために茶番を続けなくてはならない。これは、彼の本性を見抜けずに愛してしまった、愚かな私への罰なのだろう。
手を引かれたのは、会場から出るまでだった。会場から出ると、ジュラン様は手を離して1人で馬車に乗った。私はドレスの裾を持ち上げ、自分で馬車に乗り込む。
「お前まさか、ハンクに色目を使っているのか!?」
馬車が走り出すと、いきなり怒鳴り散らされた。
「そんなこと、していません!」
「あいつは、お前のことなんか何とも思っていないからな! あいつに色目を使っても無駄だ! お前のような醜い女は、誰にも愛されはしない!」
この人は、どれほど私を侮辱すれば気がすむのだろうか……
ロード侯爵に惹かれ始めているのは事実だけど、色目を使ったことなんて1度もない。
ジュラン様、私はあなたが大嫌い。




