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2. 英雄の敗北

閲覧ありがとうございます。


 家庭科の授業は男子2、女子2の四人班だった。

 ある日の授業で男女一名ずつが休み、班は小井沼ともう一人の女子だけになってしまった。高校生だから、『夫婦じゃん』『初の共同作業』と揶揄われ、小井沼の方はヘタクソな笑顔を浮かべながら歯切れの悪い反応を返していた。

 五十分で料理、食事、片付けを済ませなければならないので、彼らは話している暇もなく黙々と卵を溶いたり野菜を切ったり、鍋をかき混ぜたりしていた。

 女子の方が慣れているのか料理をしながら、やることがないと突っ立っている彼に洗い物をするよう指示を出した。誰かが『怒られてるぞ』と笑った。

 出来上がった料理を二人で食べた。

 いただきます、と言ったっきり黙々と食べる小井沼に、

『おいしいね』

と、彼女が言った。

   *

 何時間も同じような景色を見ている。

 小井沼は何でもない小石に躓き転倒した。川辺の湿った土に体を打ちつけ銃や剣ごちゃごちゃと音を立てた。黒いボロ布のマントが頭に被さり、

「(痛ってぇ)」

と、カミカゼが嘆いた。

 地面にぶつけた肘も膝も、小井沼に痛みは感じられない。何かが当たっているという漠然とした触感があるだけだ。

 立ち上がろうとしたが長時間の歩行により脚が笑ってしまい、片膝をついたままゼェハァと息をついた。鼓動はもはや早いのを通り越して緩慢に、大量に血を吐き出しており動きを止める寸前に思われた。

「(大丈夫かよ)」

「(もう死ぬ)」

だが自分を待ち、無言で見下ろしてくる影を畏れて、地面に転がった兜を拾い這ってでも進まねばと唇を結んだ。

 しかし、釣鐘のような合金の兜は女によって拾い上げられ、

「仕方ないわね」

と、川の近くの平らな岸に運ばれた。

「(休憩だ)」

カミカゼが耳では理解できない言語を翻訳して彼に伝えた。

 安堵の溜め息をつき、彼もガマやゴボウの花が咲く清流のほとりに腰を下ろした。

 シンデレラは苔の生えた倒木に腰掛け、彼の兜を投げて寄越した。そして油紙に包まれた得体の知れぬ黒い塊も。

「説明は彼から聞いて」

「(そりゃ”アドマルマイト”だ。飴みたいなもんで舐めて食べる。腹は膨れないが栄養を摂るための携帯食だ)」

「これも」

塊を見つめている彼に、もうひとつ今度は板状の何かを渡した。白っぽい板チョコのような見た目だが、手触りからいうと厚みのあるガムだった。

「(”トゥシクラ”だな。食べたら分かるが凄まじく固い。ずっと口に入れて噛んでればたちまち腹が膨れるっていう非常食だ。味はない)」

「食べて。砂が落ちきったら出発する」

そう言った彼女は地面に砂時計を置いた。これだけは小井沼もよく知ったもので、上から下に黒い砂が落ちていた。

 カミカゼの話を聞きつつ何ともなさげに“アドマルマイト”を舐めると、その瞬間に貝の煮汁とレバー、砂糖を黒くなるまで煮詰めたようなとにかく濃過ぎる味が味蕾を潰した。

 舌をタールでコーティングされたみたいに濃縮された味という味がべったりとはりつき、彼は舌を出したままヒイヒイと喘いだ。

「なに…?」

シンデレラの眉間に皺が刻まれる。

 急いで“トゥシクラ”に齧りつき味を掻き消そうとしたところ、口内の水分という水分が奪われ髪ゴムのようなそれを若干ではあるが柔らかくし何とか噛みちぎって飲み込むことができた。しかしそれが胃袋に辿り着いた瞬間、顎は食べることを諦め胃は満腹であると偽りの申告をし、たちまち食欲を消し去ったのである。

「(画期的だろ?)」

「(水、水…)」

彼は四つん這いで川に向かった。

 清流の水面に包帯で顔を隠した男が写る。それが今の小井沼浬であった。

『元の顔には戻らない』

と言って、医者は日光や虫除け、人の目を遮るための兜を渡した。実際、手脚も他人から——カミカゼから受け継いでおり、意思の半分つまり種々の権利の半分をカミカゼと分かち合っている状態であり、まだ彼を小井沼たらしめているものは目と輪郭、声、臓器ぐらいであった。

 顔に手を挿れ水面の鏡を割ってしまうと、水を掬って口と喉とを潤した。晩年雪に覆われているという“口無し山”から流れてくる水は指先がかじかむほど冷たい。

 そして奇妙な味がした。

「(硬水だから?)」

「(こうすい?)」

「(いや、話しかけたわけじゃ…いや、味がかなり水道っぽくて)」

「(つまり?どういう味なんだ?)」

「(血の味…かな)」

すると右手に力が篭もり、シンデレラを呼ぼうと彼が提案した。

 彼女は倒木に座って背中を丸め、赤みがかった茶髪を簾にし、“トゥシクラ”をゆっくりゆっくり食べていていた。

「(ほら、呼べ)」

「え、しっ、ぅ、シンデレラ、さん!」

上擦った声が森に響き、彼女はハッとして若葉色の大きな瞳を彼に向けた。もぐ、もぐ、と咀嚼した(のち)に上の前歯を覗かせたまま胃を満たすだけの食糧を飲み込む。

 細い喉が波打った。

 彼女はすぐさま立ち上がるなり上流の方へと歩いて行って、途中、川に浸かる死体を見つけた。産毛のびっしりと生えた棘か何かに胸を貫かれており、山を転がって来たのか表面の損傷が激しかった。更に進むと崖の上へ這い上がろうとする兄妹を見つけた。彼らもシンデレラに気がついて、妹を肩車していた齢十歳くらいの兄が振り向き驚いた拍子に足を挫き、二人揃って地面に崩れ落ちた。

 妹の方は顎を打ちつけ泣き叫んだ。

「(子供?)」

「(狡猾な“キメルヒェン”かもしれない)」

「(“キメルヒェン”?)」

「(“セミテオス”の創り出した元愛玩動物。人間を兎、犬、猫…とにかく奴らの気に入った動物と交配させたものだ)」

声は小井沼らにも届いており、カミカゼの説明を聞いた彼は龍美といるときに出会った半獣の少女を思い出した。

 無惨に殺害されたウサギの少女のトラウマが、彼の肌を粟立たせる一方で重たい腰を上げさせた。カミカゼもシンデレラが心配だと言って彼女のもとへ行くよう右脚を前に出させた。

 しかしア、と言って左足が前に出るのを踏ん張ったため、彼は転びそうになった。

「(なに?)」

「(兜はどうした?銃も構えろよ)」

カミカゼの指摘は尤もであったが、

「(そんなことか…ステルス魔法とかそういうんじゃないわけ)」

小井沼は兜を拾いながら不服を漏らし、勿論それもカミカゼに筒抜けであったため何を言ってるんだと鋭い声が親や教師に叱られた悪い記憶のように反響し、胃を締めつけた。

 見よう見真似で銃を構え木々の間を走り出したものの、

「(こんなことすら出来ないのか)」

と言うカミカゼのボヤきもまた、小井沼に筒抜けなのであった。

 シンデレラは森の中で突っ立っており、特に襲われている様子もなければ静かな声で会話をしていた。

「お母さんは何に襲われたの?」

「えっえっ…変な、デカいムカデみたいなやつう…うっうっ…速くて、よくわかんない棘みたいなの飛ばしてきて…えっえっ」

「ああ、“アンテオス”のペット…ここも危険か」

と、冷静に呟く彼女の前で、兄妹は「糸巻き」のようになって——つまり深緑の棘がついた「蔓」に絡め取られ、地面に転がったまま泣きじゃくっていた。

 後ろから近づいて来た小井沼を勢いよく振り返り、「この子たち馬に乗って来たんですって」と肩を竦めた。

「回収して早く行こう。時間はとっくに過ぎているはず」

「だけどこの子らは?」

「なに?」

彼は言わんとしていることを身振り手振りで伝えた。

 子供達に巻きついていた蔓はいつのまにか解けていたが、抱き合って泣くしかできない彼らを指差し「置いて行くのはあんまりだ」と訴えた。すると彼女も理解して、小井沼の意見にも理解を示した。

 だが、

「無力な人間を三人も抱えて旅なんかできない。それに!こいつらは理想郷を信じる私たちの敵そして私たちは≪花の都≫を信じるこいつらの敵。助けたところで“ケープ・コッダー”の住人は敵の情けを受けた裏切り者を生かしてはおかない。だからこいつらを助けるべきなのは私たちじゃない。何でもは出来ないの、わかった?」

と言って小井沼に馬を探しておくよう命じ、自身は砂時計を回収しに下流へ戻った。

 子供は泣き続けた。

 しかし出来ることは何もなく、銃を下ろすなとカミカゼに叱られた。

「(くそ…)」

悪態をついたから、ついでに銃を撃ってしまったのかと思った。

 しかしそうではなくカミカゼが咄嗟に引き金を弾き、地面から這い出た『“アンテオス”のペット』——ムカデを何十倍にも大きくした文字通り虫唾の走る生き物へ銃弾を撃ち込み、黒光りする頭部を粉々に粉砕してしまった。黄色い液体が飛び散り、小井沼も生理的に覚えた強い不快感をそのまま悲鳴に変え、偶然命を救われた子供たちも涙をひっこめ飛び起きるなり、絶叫しながら二人でどこかに逃げて行った。

 頭の中でカミカゼがケラケラと笑った。

「(自分で撃って自分で怖がってる!まるっきり頭のおかしい奴じゃねえか!)」

「俺じゃない!」

「(確かにお前じゃない。でも餓鬼を助けられて満足だろ?)」

子供たちとは逆方向へ逃亡する彼にカミカゼが言い聞かせた。

「(お前が頼ったんだ、俺を。俺に撃てと言ったんだ)」

「そんなわけ…」

頭の中で喋るのも忘れ、必死に否定する彼だが、先程のムカデ擬きは頭を砕かれたくらいでは死なず土の中を這って追いかけて来るぞと脅され、実際に振り返ってみると土がミミズ腫れのように盛り上がり、「棘」が地面を突き抜けて彼の方に飛んできた。

 小井沼は混乱し足を止めそうになったが、カミカゼが意図的に転倒させたことで「棘」は肩を掠めただけで木の幹に刺さった。

 遂にムカデ擬きは地面を割り、棘だらけの尾から体を弓形にして姿を現した。だが転んだ拍子に誤って引き金を引いた彼は、たまたま銃弾をムカデの腹部に命中させ動きを止めることに成功した。

 それに気づかず伏せたまま怯えている小井沼に、

「(敵を見ろ!今だ、二つ目の節を撃て!)」

カミカゼが剣幕を張る。

 泣きべそをかきながらも何とか仰向けになった彼は言われた通り、二つ目の節、つまり一番最初に破壊した頭部の次の節を狙って引き金を引いた。弾は外れた。

「ううう!」

腰を引き摺って逃げようとする彼にカミカゼが怒鳴る。

「(近づいて撃て!)」

「近づく?あれに?」

「(いいから速くしろ!お前は勇気を出せ、俺が撃つ!)」

そうするのは大した仕事ではなかった。

 小井沼は震える脚で立ち上がるなりムカデの腹へ突進し、カミカゼが絡みついてくる長い肢体を銃で跳ね除け、自身の頭上にきた敵の頭部を至近距離から撃ち抜いた。

 ヤカンが沸騰したときのような金切り声を上げてムカデはのたうち回り、最後はトグロを巻いて絶命した。

 無数の長細い足から解放された小井沼は千鳥足になって、雑に兜だけを外して木の幹に手をつくと、

「おえ」

中腰になって吐いた。

「おえおえ」

それでも耐えきれず、地面に蹲ると水っぽいゲロを吐いた。せっかく食べた“トゥシクラ”がお麩のようになって出てきた。

「うー」

「(気持ち悪いな。好きなだけ吐けよ。背中はさすってやれないが)」

「うー」

「(頑張ったな)」

「ううー」

吐き気に伴うものか、或いは緊張からの解放か、目の縁を溢れ出た涙は顔の包帯に染み込んでいった。

   *

 山の尾根からは見渡す限りの草原と青空が広がっていた。冷たい空気が肺を浄化し、カミカゼが気持ちいいと声を弾ませた。

 白馬の背中には小井沼、その後ろにシンデレラが乗って手綱を握っていた。乗馬経験のない彼は手綱を任されないで良かったと内心ヒヤヒヤしていたが、心の声を聞き取ったカミカゼにまたも呆れられた。

『(馬にも乗ったことないって、貧乏だったのか?それとも引き篭もりか?)』

『(俺のいた世界じゃ馬なんて時代遅れの乗り物だよ。普通は徒歩か電車とか、車。機械で移動する)』

『(機械で?それって馬よりいいのか?)』

『(まあ…速いし)』

『(へえ。それじゃあ操縦も難しかったんだろうな。やるじゃないか)』

実は運転免許も持っていなければ実家も車を持っていないという今と大して変わらない状況なのだが、カミカゼもそれを知っての皮肉なのか、彼は適当に相槌を打って周りの景色に意識を移した。

 黄色い小花の咲く緩い斜面を降り、小川の流れるなだらかな谷間を進んで行った。妖精の一匹や二匹くらい飛んでいそうな雰囲気だと彼は思ったが、草や花で羽を休めているのは虫などの見知った生き物だった。

「あ、チョウチョ」

「何か言った?」

つい口から溢れ出た独り言にシンデレラが反応する。

 小井沼は「チョウチョ…」と言って、白い蝶を指さした。羽には黒子のような黒い紋があり、ひらひらと飛んで川辺の赤い花にとまった。

「へえ、チョウチョっていうんだ、あれ。食べられるの?」

まさかと思い首を横に振る。

 それから彼はバッタを、鱗雲を、蓮の花を教えた。彼女は草原を駆けながら興味深そうに辺りを見渡し、それこそピアノの上で硝子ケースにしまわれたフランス人形の如き美しい顔で頷いた。

 小さな朱色の唇が「よく知ってるのね」と呟く。

「私達は生きるのに必要なことと、身の回りのことしか知らないから…」

馬が小川を走り抜け、水飛沫が散った。

 ひややかな薄靄が空を覆い始める。

「(俺たちは戦争が再開されるまでの二百年間、誓約により道が閉ざされ外の世界を知ることなく生きてきたんだ)」

カミカゼがシンデレラの言葉を継ぐ。

「(だから俺たちの代はここへ来たのも初めてだ。何ならさっきのムカデ擬きや“ケープ・コッダー”の連中だって所謂話には聞いていたが…ってやつだ。正直、俺たち以外に人がいるのも不思議なものさ。ましてやお前みたいな“追放者”なんて)」

「(それはお互い様だよ…“楔”が無い俺にとっちゃ何もかもが御伽噺で…何も解らない)」

「(そうか…)」

小井沼の無知度合いは彼がカミカゼを延命させるべく、転じて彼が生き延びるために治療を施された直後から明らかになっており、それは拠点の人間たちを愕然とさせた。

 だがもしも小井沼が“楔”を所有するかつての戦死者であり、強い思想と過去を持つ人物であったならばカミカゼを延命させるための『器』になり得なかっただろうと村人——第三拠点を支配した“ハクラ”の民は(かえ)って『神の恩寵』だと感謝したらしい。

 そうは言っても言葉が通じず、戦闘経験も無い、地理にも疎い、馬にも乗れないとなると図体が大きいだけの赤子と変わらない——カミカゼが思い悩むのを小井沼は「そうであろう」と聞いていた。

   *

 二百年の休戦がもたらしたものは平和と、そして澱みだった。

 四人の“調停者”が持てる力全てで創り上げた“封印”は、彼らに敵わぬ全ての人民、獣、生命の移動を阻み、力の移動つまりは暴力の噴出を防いだ——同時に物資、情報、思潮の伝播も滞り、世界の時はおおよそ止まった。

 その後に起きたことは格差の拡大と文化の深化だった。

 特に格差は“誓い”——小井沼が未だに『魔法』と呼ぶそれに強く現れた。と言うのも殆どの“誓い”が何らかの宗教に基づき、多くの信徒は巡礼の果てに神への従順が認められ“”を拝領することで人智を超えた力、“誓い”を使えるようになるからだ。移動が出来なくなれば当然巡礼も出来なくなるため、二百年前に神への宣誓を済ませた者あるいは地理的に神と近い者しか力を得られなくなる。結果として戦力に偏りが出始め、そして人々の中に新たな主義が現れた。

 旧き法の君主、


名を捨てた「英雄」

鐘の聴衆——ロスコン・デ・レイエス

女神に似たる者——ヴィリディス

支配者を持たぬ「異教徒」


 これらに加え、合理主義と疾しい劣等感から生まれた敗者の法、


姿が見えぬ「自由の支配者たち」

亡き帝国の「平和主義者」

同胞——タワーリンチ


 世界はおおよそこの七つの勢力に分かれ、独自に憎悪と憧憬、愛情を育みつつ二百年後の今、再びの大戦を迎えた。

 それに対して二百年前の時代に生き、そして戦いの為に呼び戻された“追放者”らは小井沼のような不幸を除き、依然として“誓い”なり“叡智”なりの強大な力を持って即座に戦場へ出られたため、それ故に尊ばれた。彼らは戦いを、血を、死を知る者だった。

 さて、つまり小井沼というのは現状で例えるなら力の格差に負けた、何ら恩寵も愛情も受けぬ戦争が始まればすぐに洞窟へ隠されるような弱者と同じ、またはそれ以下の存在だった。

 しかし弱者は弱者のままなのだろうか。

 否。

 元はと言えば移動を制限されただけで巡礼を行えば“誓い”も使えるようになるのだから、戦争が始まり、文字通り道が開けたのならば、“誓い”をせんと志すのならば、ただ向かえば良いのであった。

 小井沼も同様に“誓い”を手にする術があった。問題はその人自身ではない、環境と森羅万象の理である。

「(俺たちが信じるのは≪花の都≫だと言ったな。それが神の名前だ)」

二百年前に滅びた村、灰色の石を積み上げてできた家の中で小井沼とカミカゼは火を見つめていた。

「(二百年前、女神のため…ハイドラを信じる全ての同胞のため、ヴィリディスと共に戦った俺たちの先祖は…神の名誉と権威、見返りのない搾取のために倒れ、確信した。もはや女神は存在しない。≪過ぎ去った英雄≫のように我々を捨ててどこかに消えたのだと。休戦の誓約が結ばれるまでの間、先祖たちは無駄死にした血族がもう一度蘇らないだろうかと嘆き悲しみ……そして“花の都”に救われたんだ。つまり、)」

「(生き返ったって?死人が?)」

「(そうだ。いいか、それが“誓い”の力だ。誓いとは決意の大きさ、誠実さ、行動によって表される。願望とは違うんだ)」

「(へえ…)」

「(反応薄いな)」

「(そりゃあ、え?死人が生き返る?なら俺を使わなくたって生き返れたんじゃ?)」

「(それに関してはお前が“誓い”を手にできないように、俺も≪都≫を呼べなかったんだ)」

カミカゼの指が、銃身をカツ、カツ、と叩く。

「(二百年前の生き残りが…)」

腕と脚の繋ぎ目に雷鳴のような痛みが走り、銃を叩く指が突然誰かに引っ張られて関節が外れたと言わんばかりに強く痙攣した。つられて腕も大袈裟に震え、恐怖から制御が効かなくなった体に小井沼は悲鳴を上げた。

「わあああ!」

「なんなの?あなた狂った?」

床にマントを敷き、既に寝ていたシンデレラが乱れた髪のまま飛び起きた。

 慌てふためく彼にカミカゼが続ける。

「(奴らはお前と同じ“追放者”だ。だが聞いたこともない、伝説にも残っていない。あの《破滅的な奴》に俺たちの目論見は完全に破壊され、≪花の都≫を迎えるための“指”も壊されてしまった。結果として俺は半ば死に、お前は半ば生き延びた)」

「ま、待て!そんな言い方しないでくれ俺はアイツらに、アイツらのために生かされただけで!俺を、俺を俺をまだ責めるっていうならこの戦争が悪いんだ!俺もアンタたちと同じだ、戦争が憎い……憎い……」

「ねえ、カミカゼ聞こえてるんでしょう?この頭のおかしい“追放者”を黙らせて。」

蹲り、椅子の下に隠れようとする小井沼へ、長旅と婚約者を失ったことで疲弊しきったシンデレラが青々とした怒りで満ちる視線を投げつけた。

 胸の底から溜め息をつき、口をへの字に曲げる。

「(シンデレラ…)」

「なんでよ…耳障り!もう…」

彼女は肩で大きく息をするなり背中を向けて床に戻った。

   *

 指先の悴むような冷たさであったに違いない。だが小井沼を終夜起こしていたのは朝靄と共に一層厳しくなる寒さではなかった。寝ても覚めない、そんな恐怖から逃れるために一日中瞼の裏を眺め続け、床板に置いた体は骨が悲鳴を上げていた。

 それゆえシンデレラがまだ日も昇り切らぬうちに目を覚まし、彼を置いて家を出て行ったことにも気がついていた。

「(カミカゼ…起きてる?)」

体は横たえたまま、床の溝に溜まる雪のような埃を見つめていた。少し眼球を動かすだけで眉間の辺りに痛みが走る。

 頭の中で彼はクスクスと笑った。

「(起きてないわけあるか。お前が起きてるのに)」

「(ああ、そういう感じなんだ…じゃあ、気づいてる?シンデレラがどっかに…)」

「(何も残ってないか?)」

言われて体を起こし、彼女が寝ていたところを見る。

 マントの敷かれていたところだけ綺麗に埃がとれており、彼女は白い屑と共に消えてしまったのかと思いきや食べ物などの入った包みが椅子の側に残されていた。

 すると扉が乱暴に開け放たれ、朝のためか若干血色の悪い彼女がポーチを取りに戻って来た。

「あなた達も立つのよ。ここを出るわ。早く!」

小井沼はもともと眠気などあったものではなく、冴え切った頭で荷物をまとめ、暖炉に火が点いたままでないかを確認し彼女を先に出させるため扉を開けた。

 こっちだと言われて廃村を出ようとしたところ、遠目にも馬を駆って近づいて来ようとする兵士達——そして彼らを空から追い回すパラスケーニスラが見え、小井沼たちは廃村に戻り古びた聖堂の落とし戸を開いて中に隠れた。

 土壁に覆われた地下の部屋は灯りがいっさい入って来ず、彼は自分の心臓がドクドクと血を吐いているのを全身で感じた。

「“ケープ・コッダー”の敗走兵よ…“アンテオス”に戦いなんか挑むから」

と言うシンデレラの声もどこから聞こえているのか、

「アンテオス…アンテオス、なるほど」

適当に相槌を打った先に彼女はおらず、私はここだと踵を蹴られた。

 恐る恐る振り向いて、彼女の爪先を軽く小突いた。そうだ、そこだと彼女も頷いた気がした。

 シンデレラもカミカゼも「兵士が死ぬのを待とう」と言って暗闇の中で息を殺し、天井の床を見つめていた。だがしばらく経って予想に反し、足音が聞こえ、村の中に兵士達が入って来た。

 内心絶望している小井沼に、

「(正気を保て。どうせすぐに移動する)」

と、カミカゼが忠告する。彼は無言で頷いた。

「(彼女にも言ってやってくれ。「大丈夫」だと)」

「(なんて言えばいい?)」

カミカゼに教えられた言葉を、

「シンデレラ、」

「なに?」

ぎこちない発音で伝えると、暗闇で表情は見えなかったが、彼女は小さくフと笑って、このような危機的状態でそう聞こえるのはおかしいが、おそらく元はそのように喋り、声を聞かせていたのだろうという優しげな声音で返事をした。

 その言葉をカミカゼが彼に伝えることはなかった。

「(俺を挟むなよ)」

小井沼のボヤきに、頭の中で笑い声が響いた。

 だが、次の瞬間小井沼を除く二人が間抜けな声を出し、息を呑んだ。

 頭上で座っているのか或いは横たわっているのかやけに近く聞こえる声で、兵士が、


「《英雄》さえ負けるんだ。もう終わりだ」


と誰かに話した。


「えっ?」

「(え?)」


更に兵士は続けた。

「いったいどこの国が、あの“追放者ら”を寄越したんだ?」

「聞いたこともない。《英雄》は本当に負けたのか?」

「ああ。負けたさ。それも、


戦わずしてな!」

読んでくださってありがとうございました。

次回もよろしくお願い致します。

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