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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
取り返しのつかないことを…… 
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笹森さんは「メールか……」と聞こえるか聞こえないかのボリュームで零し、記憶を辿るように黙り込んだ。

けれどそれは僅かな時間だった。


「そのメールの全文が読めない以上はっきりとは言えないが……、おおよその想像はつくかもしれない。なぜ彼女がそのメールを書いたのか、また、なぜ送らないままだったのかも」

「それ本当ですか?」


前のめりになった私を、笹森さんは上品な苦笑いで迎えてくれる。

けれど幾ばくかの困惑も混ざっているかのような、決して大歓迎ではない相好だった。



「……実はさっきの話には続きがあるんだ。工藤さんから二度目の告白をされた俺は、一度目よりははるかに彼女のことを好ましく思っていた。それは恋愛感情というわけではなかったけれど、少なくともその時点で最も好ましく思える女性になっていた。そして二度目の告白の返事で、俺は彼女にそのことを伝えた。後から考えれば、なんて思わせぶりな態度だったんだと反省したよ。ただ、彼女が俺のために恋人のふり(・・)を演じてくれたことに感謝してると、その気持ちを伝える意図でそう言ったんだ。すると彼女は、『じゃあ今すぐは無理でも、このままふり(・・)を続けたら、もしかしたらふり(・・)でなくなるかもしれませんね』、そんなことを言っていた。正直、俺もその可能性が皆無ではないと感じていた。彼女は俺の実家や肩書にはさほど興味を示さなかったし、賢くて明るくて、淀んだところのない清々しい人だったからね。社内で彼女のことを悪く言う人間はいなかったほどだ。だが、そんなやりとりのあった直後、俺は琴子と出会ってしまったんだ」


笹森さんと理恵の過去の話に突如として登場してきた自分自身に、私は心臓がキリリと痛んだ気がした。


「……あの食事会ですね?」

「そうだ。工藤さんからは……いや、率先してたのは市原だったが、その食事会には俺以外にもうちの社員が数名参加するし、社外でも二人で会っているところを見せられるいい機会だからと、以前から何度か誘われていた。俺達の他にも事情を知る市原がいるから安心だとも言っていた。残念ながら仕事の都合で出席叶わないことが続いたが、ある日、偶然仕事のキャンセルがあって、急遽参加することになった。そのとき、俺は琴子と出会って、一目で恋に落ちた。………こんな話を聞かせて済まないね、北浦君」


すっと、笹森さんの目線が私から逸れた。

私も気になったけれど、蓮君は「いえ、平気です」とさらりと答えてみせた。

それだけでなく、「どうぞ続けてください」と促したほどだった。


「では遠慮なく………琴子と出会って、確かな恋愛感情を抱いた俺を一番に悩ませたのは、工藤さんとの恋人のふり(・・)だった。酷い男だと思われるだろうが、万が一琴子が俺と工藤さんを本物の恋人同士だと勘違いしようものなら、間違いなく俺は振られるだろう、それが気がかりでならなかった。だが、会食のあとも、俺は工藤さんに正直な想いを打ち明けることができなかった」

「まあ、当然といえば当然だな。散々期待持たせるようなことを言ってたんだから。にもかかわらず即刻関係を切るようなら、お前は鬼だよ」


俺の親友が人間で本当によかったよ。

和倉さんは棘を埋め込んだような物言いをした。

親友だからこその厳しい意見だ。

そして笹森さんも否定しなかった。


「まったくその通りだな……。琴子、俺は琴子を手に入れたくて、無我夢中だったんだ。そのせいで、それまで世話になっていた工藤さんを気にかけることさえ、忘れてしまったのかもしれない……。大人の男が情けないだろう?一目惚れですっかり舞い上がっていたんだからな」


笹森さんはそう言って自嘲したけれど、誰かを本気で好きになったとき、自分でもコントロールできなくなる感情が生まれてくることを私は知っている。

蓮君を失いたくない一心で、私は、死ぬまで絶対に口外しないと決めていた誓いを破ったのだから。

それは恋愛経験がある者なら、誰しもが身に覚えがあるはずだろう。

和倉さんにだって、蓮君にだって――――



「それは仕方のないことです。俺だって、琴子さんを大切に想うあまり、いつも応援してくれてるファンに対してネガティブな感情を持ったことがありますから」



笹森さんを慰めたのは、この中で最も関係性の遠い蓮君だった。



「ファン?……ああ、そうか、北浦君は有名なダンサーだったね」

「あくまでFANDAK(ファンダック)の中でですけど」

「謙虚なんだね。テレビCMやポスターにも出てるそうじゃないか。和倉からもその人気ぶりは聞いてるよ」


額面通り和倉さんから聞いて知ったのか、それとも笹森さんが調べたのか、実際のところはわからないけれど、今はどちらでもいい。

蓮君も「俺のことはいいんです」と笹森さんに意見した。


「それよりそのあと、どうされたんですか?理恵さんには、ちゃんと話せたんですか?」

「そうだね……」


話の流れが引き戻されると、笹森さんはまるで遠くに思いを馳せるように宙を眺めた。

ここからが、いよいよ理恵のあのメールの背景に差し掛かってくるのだろうと、私は気持ちをさらに前のめりにさせた。



「ちゃんと話せたことには違いないが、そのきっかけは、俺ではなかった。俺はなかなか言い出せなくて、仕事を口実に彼女から距離をとるのが精々だった。だけどあるとき、久々に会った工藤さんが言ったんだ。『笹森さん、琴子のこと好きですよね?』と」


――――え?


心の中では大声で訊き返したのに、それは言葉にはなっていなかった。

けれど私の代わりに、蓮君と和倉さんがそれぞれの立場から問い詰めてくれた。


「つまり理恵さんは笹森さんが何も言わなくても笹森さんの態度で琴子さんへの気持ちに気付いていたということですか?」

「お前が気持ちを見抜かれたっていうのか?そんなのいつものお前じゃあり得ないだろう。それほど琴子ちゃんのことが好きだとだだ洩れだったのか?」


驚きや呆れといった反応が返ってくると、笹森さんは「そういうことだな……」とまたもや自分に嘲笑した。

けれど私は、それも理恵らしいな……と胸がくすぐられる思いだった。



「理恵は、人のことをよく見てましたから。洞察力に長けていて、人の心情に敏感でした。でもだからといってそれに振り回されるわけではなく、しっかり自分というものを持っていましたが、一度内側に入れた人にはとことんまで優しい………そんな人です、工藤 理恵は」



自分の生い立ちのせいで周りの人間の内心を読み解くことがうまくなっていって、そうすると周りの人間の気持ちが気になって仕方なくて、だから一周まわって他人のことは気にしないことにしたの――――



いつだったか、理恵がそんなことを冗談めかして言っていた。

その冗談の中には、私には想像もできないほどの苦労が見え隠れしていて、私は病気になった自分が不幸だと嘆いてばかりだったのを恥じたのだ。



「だから、笹森さんが私と出会って、それで…気持ちに変化があったのだとしたら、理恵がそれを察してもおかしくはありません。それは、笹森さんのせいではないと思います。だから理恵はあんなメールを……」


あそこには、恨みがましい文言はひとつもなかった。

踏ん切りつかない相手に、理恵の方から別れを告げていたのだ。


「メールって、そういや笹森、お前さっきメールに心当たりがあるみたいなこと言ってたよな?」

「ああ。………琴子のことが好きですよねと言われたとき、実はメールを送るつもりでいた、とも言われたんだ。なかなか会えないからフェードアウトになる前にちゃんと伝えておきたかった、でも急にそんなメールを送り付けるのもどうかと迷っていた……そう言っていたよ。きっとそれが、琴子の見つけた未送信メールだと思う。いつか俺に送信するつもりで、タイミングを見計らっていたんだろう」


その説明は、確かに時期的にも、内容的にも辻褄が合う。


「……工藤さんは、きっと琴子からはいい返事がもらえるはずだとも言っていたよ」

「え……?」

「だから、きちんと好きだと伝えて、幸せにしてやってほしいと……。必ず、大切にしてほしい、私の一番の親友だからと、何度も言っていた」



あのメールには、恨みがましいことは一言も書かれていなかった。

踏ん切りがつかない相手に、お互いに大切な存在が他にあるならさよならしましょうと、理恵の方から別れを告げていたのだ。



その理恵は、周りの人のことをよく見ていた。

人の感情の機微に敏くて、一度親しい関係を築いた人にはとことんまで優しくて……




もし、あのメールの宛先、踏ん切りつかない相手というのが笹森さんだというなら、理恵にとって笹森さんよりも大切な存在というのは―――――













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