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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
取り返しのつかないことを…… 
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「――――っ!」


私の悲鳴にも似た声は、衝撃のあまり喉の奥に逆流するように引っ込んでしまった。


そこ(・・)に言及されてしまったら、もう何も言えない。

だってただでさえ私は、二人の関係について何も知らされてなかったのだから。

どういう付き合い方をしていたのかなんて、そんなプライベートでこの上なくデリケートなこと、本人の自己申告を信じるしかないのだ。

笹森さんが保身で嘘をつくとは思いたくないけれど、だからといって、とても信じられなかった。

そう疑ったのは私だけではなく、和倉さんが親友というプライベートな関係を盾に、遠慮なく踏み込んでいった。



「笹森、それは無理があり過ぎるだろ。いい大人が付き合ってて肉体関係がなかったなんて、言い訳にしてはあまりにもお粗末じゃないか?」


言いにくいだろうことを和倉さんは包み隠さずハッキリ述べてくれた。

すると笹森さんも「まあ、そうだろうな…」と吐息混じりに認めた。


「だが、事実だ。琴子、俺は工藤さんに指一本触れていないよ」


信じてほしい。

痛いほど真摯な眼差しを送られる。

けれど、その願いに応じることはどうしてもできない。

私の頭の中には、理恵が残した未送信メールだって焼き付いているのだ。

笹森さんへの想いが溢れる、別れのメールだった。

それに市原君からも、理恵と笹森さんが特別な関係だったと聞いている。

ここまで状況が固まっている以上、笹森さん一人がただNOと示しただけで覆すのは難しかった。


笹森さんも私達を見まわしながら、どうにも自分の主張が受け入れられなさそうだと判断したのだろう、おもむろにソファに腰をおろした。

すとん、と力なく落ちるように腰を預けた笹森さんからは気負いや緊張感などは見当たらなかった。



「わかった………ちゃんと一から説明しよう。俺と工藤さんのことをすべて話すよ。みんなに聞いてほしい。聞いたあとで、判断してくれないか」


笹森さんは手のジェスチャーで私達にも腰掛けるように促してきた。

私達三人は素直に従うばかりだ。

和倉さんは笹森さんの隣りに、蓮君は私の隣りで、そして私は笹森さんの正面に。

もし仮に笹森さんが嘘をついたとしても、私の洞察力ではそれを見破るのは不可能だろう。

だけどもしかしたら、ほんの些細な変化は拾えるかもしれない……そんな思いで真正面を陣取ったのだった。


私達が聞く準備を完了するのを見計らって、笹森さんは穏やかに語りはじめた。



「まずはじめに言っておきたいのは、俺は、本来なら、この場にいない、しかも存命ではない工藤さんに関する私的な内容は明らかにすべきではないと思っている。でも今の状況を鑑みるに、今回はやむを得ないと判断した。だからこの場で聞いた内容はそれぞれ心の中だけに留めておいてほしい」


私も蓮君も和倉さんも、当然頷いて了承した。

笹森さんとは、こういう人なのだ。

誰かの悪口はもちろんのこと、その場に不在の人物の不確かな噂話も、彼の唇で踊ったことは一度もなかったはずだ。

そんな紳士的な彼だからこそ、理恵とのことで嘘をつくとは思えなかった。

けれど、私が見つけたあの未送信メールの中にも嘘はないはずで。

私は笹森さんがこれから何を披露しようと、あのメールとの答え合わせは必須だと心に刻み込んで、笹森さんの声に耳を集中させていった。



「俺が工藤さんをはじめて認識したのは、彼女が当時俺のいた部署に配属されてからだった。工藤さんにとって俺は直属の上司になったわけだが、はじめから親しく会話する仲でもなかったんだ。ただしばらくして、彼女がちょっとしたミスをして、その対処に俺が当たったことがきっかけで、仕事以外の話もするようになっていった。それから……次第に彼女が俺に懐いてくれるようになったのは、俺も気付いていた。だがはっきり好意を告げられたわけでもない以上、俺が彼女への接し方を変えるのもおかしな話で、俺は部下としてそれまでと同じように可愛がっていた。そんな曖昧な時間がわりと長く続くと、社内で俺と工藤さんの噂が流れはじめた。俺はもともと社内恋愛はするつもりないと公言していたこともあって、噂はおかしな速度で広まっていったらしい。そんなとき、彼女から気持ちを告げられたんだ」


笹森さんの話し方は、理恵に対しての配慮が滲み出ているように感じられた。

市原君から聞いていた話では、理恵は入社以来相当笹森さんを想っていたようなので、笹森さんはそのあたりを上手にぼやかして説明してくれているのだろう。

この場にいない理恵の名誉を傷付けないように。



「だが社内恋愛は避けたかった俺は、彼女の気持ちを受け入れることはできなかった。工藤さんは俺の事情もわかっていたようで、俺からの返事も想像ついていたそうだ。だけど噂を否定するためにも、一度は気持ちを伝えておこうと思ったらしい。だがその数日後、彼女から思ってもなかった提案を受けた。噂をそのままにしておけば、俺にとって都合がいいんじゃないかと言われたんだ」


「都合?」


和倉さんが訝しげな声をあげた。


「ああ、そうだ。工藤さんの噂が流れはじめてから、俺を積極的に誘ってくる女性社員が減っていたのは誰もが知るところだったからな」


「なるほどな…」


「自分との噂が消えたら、また俺が困るんじゃないか…と言っていたよ。だが俺は妙に引っ掛かった。工藤さんのことは仕事を通じてその人となりは何となく把握していたつもりだ。俺の中で工藤さんはキッパリしてる性格で、いわゆる告白を断られた後でも、そんな、繋がりを残すようなことを言い出すとは思えなかったんだ。それを尋ねたところ、実は同期からそうアドバイスをもらったと答えた。その同期というのは、さっき名前が出てきた市原だよ」


笹森さんは市原君の名前だけは私に向けて発した。



「……市原君は、理恵が笹森さんに憧れているのをずっと知っていて、相談も受けていたそうですから……。私は、去年市原君に教えてもらうまで、理恵が笹森さんを好きだったなんて全然知りませんでしたけど……」


思わず笹森さんから目を伏せると、隣の蓮君がそっと私の手の甲に触れてきた。

それはさり気なくて、さっと離れていってしまう。

けれど、例えあっという間の触れ合いでも、私はじゅうぶん癒された。


笹森さんがそれを見ていたのかわからないけれど、聞こえてきたのは温和な声だった。


「俺も工藤さんからは口止めされていたからね。自分のことは絶対琴子に話さないでほしいと、何度も何度も念を押されたよ。工藤さんはよほど琴子のことが大切だったんだろう。もし俺に告白していたことを琴子が知ったら、琴子は俺と付き合っていられなくなるかもしれないからと言われて、俺も同意した」


理恵なら言いそうなことだ。

そして私も、笹森さんから聞かずとも、理恵がなぜ私に隠したのかは想像できた。

でも、話してほしかった。

一人で悩ませていたのだろうかと思うと、胸が苦しくなるのだ。



「話を戻して、工藤さんから噂の放置を提案された俺は、さすがにそれは工藤さんに申し訳ないと遠慮したんだ。だが仕事が立て込んできて女性社員からの誘いに丁寧に応対する時間が惜しくなってきた。当時の俺はまだ未熟だったんだな。そんな頃たまたま会食で一緒になった市原からは ”恋人のふり” を強く薦められた。何も恋人宣言なんかしなくてもいい、ただちょっと二人でいる姿を見せておけば、あとはお互いが否定しなければ勝手に噂に尾ひれが付いていくだろう……と。そして現実にそうなっていった」











誤字報告いただきありがとうございました。

訂正させていただきました。

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