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口にしてしまえば、思っていた以上にあっけない告白だった。
短くなっていた呼吸も、今にも暴れ出しそうだった鼓動も、するするとおさまっていく。
何が何でも隠したいと思っていたくせに、打ち明けてしまったあとでは妙な清々しささえ孕んでいくようだった。
これでもう、蓮君や大和に嘘をつく必要はないのだから。
笹森さんと二人で会うこともなくなるし、蓮君に笹森さんのことで変に誤解させなくて済む。
蓮君を傷付けることもないはずだ。
さあ、あとは笹森さんと今後の話し合いを………
そう心構えたとたん、私は冷静すぎるほどに冷静になれたのだった。
対する笹森さんといえば、ただただ呆然と、私を見つめていた。
それは隣にいる和倉さんも同じだった。
無理もないだろう。
まさに青天の霹靂はずだ。
きっとその驚きは尋常ではないはずで。
だから私は、笹森さんを驚愕させてしまったことの詫びは、誠実に示すつもりでいた。
彼からの質問にはすべて応じる気でいたし、説明にどれだけの時間をかけても構わないと思っていた。
ただひとつ、私から大和を取り上げないでいてくれたら、それでよかったのだ。
そして心配げに表情を曇らせている蓮君にも、同じように誠実に伝えたかった。
大和の父親が笹森さんでも、私が大和と一緒にこの先の未来を生きていきたいのは、蓮君ただ一人なのだと。
蓮君が、自分よりも笹森さんの方が私の相手に相応しいと考えたのはよくわかる。
私も、子供が望めない自分は笹森さんの相手は相応しくない、そう信じていたから。
相手を想うあまり、自分という選択肢を自ら排除してしまうなんて、昔の私とそっくりだと思う。
だからこそ、私を笹森さんに委ねようとした蓮君を責めるなんてできなかった。
だがその選択を理解できたとしても、それでも私は蓮君を失いたくはないのだ。
蓮君が好きだから。
数年前、相手のために婚約解消を申し出たときの私にはなかった感情が、今は確かに、胸の中に育っていたのだから。
私は蓮君からの質問にも、すべて正直に答える心づもりでいた。
「琴子さん………大丈夫ですか?」
気遣わし気に私の顔を覗き込んできた蓮君。
困惑の眼差しに、私はしっかりと頷いた。
同時に、心からホッとしていた。
蓮君の瞳には、私への想いがこれまでと変わりなく在ったからだ。
私は、果たして蓮君を失わずにすんだのだろうか……
けれど気を抜くのは早すぎる。
まだこれから、笹森さんと話さなくてはならないことがいくつも待っているのだから。
気を引き締めた私が笹森さんに注意を移すと、彼は今もなお愕然を解除しておらず、その姿に申し訳なくなった。
だが和倉さんの方は笹森さんよりは立ち直りが早かったようだ。
「笹森、お前……」
信じられないとばかりに、親友に問いかける和倉さん。
「……どうなんだ?琴子ちゃんは冗談でこんなこと言わないぞ?」
”こいつに限ってそれはないよ” と和倉さんが笹森さんを庇うことも予感していたけれど、そんな素振りは少しもなかった。
和倉さんは否定するどころか、私に問い質すでも、再確認するでもなく、笹森さん自身に正否を尋ねたのだ。
「おい、笹森!」
とうとうあの和倉さんが大声をあげた。
すると笹森さんはまっすぐに私を捕らえたまま、ようやく答えてくれたのである。
「――――――それはあり得ないよ、琴子」
笹森さんの驚きに固まっていた顔つきは、ゆるりと溶けていって、今はかすかな苦笑さえ浮かんでいるように見えてしまう。
それは、あり得ない………?
笹森さんの返答は、確実な否定だった。
思いもよらない展開に、私は次のセリフが用意できない。
なのに笹森さんは苦笑を濃くして続けたのだ。
「琴子がなぜそんなこと言い出したのかわからないけど、大和君が俺の子供のわけないよ。おかしなことを言うね」
「それは本当か?」
和倉さんが厳しく詰める。
けれど笹森さんは狼狽えることなく「ああ。もちろん」と即答したのだ。
それは実にクリアで、一点の曇りもない返事に聞こえた。
私は訳がわからなかった。
笹森さん、和倉さんの被っていた呆然の仮面が、今度は私に張り付いてしまったのだ。
「本当に、心当たりがないんですか……?」
言葉を発せなくなってしまった私に代わり、蓮君が問い質してくれた。
けれど、笹森さんからは涼やかな否定が返ってくるばかりだった。
「心当たりも何も、そんなのあり得ないんだよ、北浦君」
「そう……なんですか………?」
笹森さんのあまりの自信に、蓮君は気圧されるようにして私に視線を漂わせてきた。
琴子さん、どういうことですか?……そんな無言の戸惑いが浮き出ている。
その蓮君の戸惑いはしっかりキャッチはできたけれど、私こそ混乱が酷くて、まさか笹森さんが全否定してくるなんて信じられなくて。
横目で一度、二度と首を振るのがやっとだった。
「琴子?」
笹森さんは私の様子に異変を感じたのか、ふっと苦笑を消した。
私は、重たく名前を呼ばれて見つめ返したものの、目と目が合った笹森さんに嘘の気配はなくて、だったらどういうことなのかと、さらに渾沌が爆ぜるばかりで。
「今の言い方じゃ、まるで俺が大和君の父親だと信じ込んでいるようだったけど、どうしてそんな風に思ったんだい?もしかして北浦君もそう思っていたのかい?」
「それは………」
蓮君は返事を濁した。
けれどそんな蓮君をフォローするようにすかさず和倉さんが介入してきた。
「だとしても、琴子ちゃんがいい加減な理由で思い込みをするわけない。きっとそう思うに値する理由があるはずだ。だからもしお前に少しでも思い当たるふしがあるなら、今のうちに認めろよ。もう一度訊くぞ。本当に、お前は大和君の父親である可能性はないんだな?」
だが困惑のボールが行き交う中でも、笹森さんの返答だけは凛としていた。
「ああ。可能性は0だ」
可能性は0――――その言い方に、得も言われぬショックが駆け抜けた。
笹森さんは、理恵との関係をなかったことにするつもりなのだろうか。
いや、でも笹森さんがそんな不誠実なことをするとは思えない。
思いたくないけど………
「でもお前、今えらく驚いていたじゃないか」
「当り前だろう?数年ぶりに再会した元婚約者に ”私が今預かってる子供はあなたと私の親友の子供です” なんて言われたら、誰だって驚くに決まってる。疑問形ではなく断言されたうえ、その子供の母親は俺達共通の知り合いで、俺の元部下なんだからな」
「でもまったく見ず知らずの他人だったわけでもないんだ、お前が父親である可能性が0とは言い切れな―――」
「笹森さんは理恵と付き合ってたんですよね?」
和倉さんの追及を手緩く感じ痺れを切らした私は、その役を奪い取っていた。
私以外の3人がハッとして私に視線を向ける。
蓮君と和倉さんはハラハラしてるような挙動だったが、笹森さんだけはやはり落ち着いていた。
まるで何か察したような、観念したような。
そして静かに尋ねた。
「誰かから聞いたのかい?」
「市原君です」
「市原………そうか、琴子は彼とも親しかったね」
「おい笹森、理恵って大和君の母親のことだよな?つまりお前は大和君の母親と付き合ってたのか?」
和倉さんが胸倉を掴み上げそうな勢いで笹森さんに問い詰める。
すると笹森さんはそれには答えず、私だけをまっすぐに見据えて告げたのだった。
「市原から何をどう聞いたのかは知らないけれど、俺は、工藤さんと、子供ができるようなことは一度もしていないよ」




