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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
取り返しのつかなくなる前に ー 蓮 side ー
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笹森氏は目つきが鋭くなり、頬からは柔らかさが抜けた。


「……きみの言う ”子供” というのが、一般的な意味での ”子供” を指しているのなら、答えはイエスだ。だけどもし特定の誰か……例えば ”母親の親友と暮らしている6歳の男の子” を指しているのだとしたら、俺は答えるよりも、きみにその質問の真意を問う必要がある。どうなんだい?」


露になった感情は、じりじりと焼けるように俺に迫ってくる。

返答を一歩間違えばそれは一気に燃え上がってしまいそうで、俺はわずかに怯んでしまった。


この人とちゃんと話すのははじめてだったが、琴子さんや和倉さんから聞いたところでは将来的に社長職に就く可能性が高いという。

人の上に立つ人物がただ優しいだけでいられないというのは、父親の仕事ぶりを見て育ってきた俺もよく知ることだった。



即答できない俺を、笹森氏はじっと見据えて待っている。

もしかしたら、今日俺が話したかったことに既に察しがついているのかもしれない。

だけど決してそうとは言わない。

あくまでも俺に答えさせようとしている。

それは、さっき俺が、琴子さんへの気持ちを直接笹森氏の口から言わせたかったのと同じ心理なのだろうか。


けれど俺だって、悩んで迷った挙句の今日なのだ。

一時の気の迷いでも中途半端な覚悟でもない。

琴子さんが好きで何よりも大切だから、付き合いだしてからの俺は、彼女が一番に想っている大和君を最優先に考えていた。

いつも彼女がそうしていたように。

何が大和君のためになるのか、どうすることが大和君にとって最も有益なのか、どの選択が大和君の幸せにつながるのか。

そして大和君の父親を知ってしまった今、改めてそれを考えたとき、新たにいくつかの選択肢が浮かび上がってきたのだ。

その一つが、笹森氏だった。


もちろん、大和君の父親については俺から笹森氏に知らせるわけにはいかない。

だがどの選択をとるとしても、笹森氏本人の気持ちを確かめておく必要があったのだ。

琴子さんだけでなく、大和君のこともちゃんと大切にできるのかを。




「………両方の意味です」


ヒリヒリするプレッシャーを感じながらも、俺はやはり答えは変えなかった。

すると笹森氏は一層感情を高ぶらせるかと思いきや、スッとその顔色を収めてしまったのだ。

元の温厚な表情から柔らかさのみを取り除いたような、無色な顔つき。

それはそれで淡々と威圧してくるようだった。


「そう……。それなら聞かせてくれるかい?なぜそんな質問をしたのか。和倉を使ってまで俺に会って、直接大和君のことを訊きたかったのは、なぜだい?」

「それは……」


大和君の父親の件を伏せつつ、笹森氏に大和君のことを尋ねてもおかしくない言い訳。

俺は今日に至るまでにいくつもの言い訳を準備していたが、一つには絞り切れていなかった。

状況を踏まえて最終的に判断するつもりでいたのだ。

だがその一つを選ぼうとしたとき、静まり返っていた部屋に、大きなインターホンの音が鳴り響いたのである。



俺と笹森氏は揃ってインターホンのモニターに注目した。


「………和倉?」


笹森氏がいち早く訝しむ声をあげる。

そこに映っていたのは、先ほど出ていったばかりの和倉さんだったのだ。


俺達は掠めるように目を合わせ、そして笹森氏がインターホンに応答した。


「…和倉、どうした?」

《悪い。スマホを忘れてきたみたいなんだ》

「スマホ……?」


反射的に辺りを見まわすと、キッチンカウンターの上に確かに黒いスマホが置かれていた。

だが、


「そこにありますよ」


俺が笹森氏に伝えるのとほぼ同時に、モニターからは別の声が聞こえてきたのである。


《あれ?和倉さん?何してるんですか?もしかしてキーを忘れたんですか?》


その声には、俺も笹森氏も肩を揺らした。

どうしてこんなタイミングでと、焦る思いでインターホン向こう側の会話に耳を傾ける。


《いや、そういうわけじゃないんだけど…》


けれど、息をひそめていた俺に反して、笹森氏はいきなりモニターに向かって呼びかけたのだ。



「――――琴子?」


《――っ!?………笹森さん、ですか?》



モニターからは琴子さんの驚いた返事が聞こえてくる。

するとそれに応じるように和倉さんが身を捩ったせいで、四角い画面には琴子さんの姿も映し出された。

仕事帰りのような服装だったが、大和君の気配は感じなかった。


《そうなんだ、ちょうどあいつがうちに来てたんだよ》

《そうなんですか…》


和倉さんの方は笹森氏のことを適当に誤魔化そうとしたがってるような印象だった。

だが何を思ったのか、当の笹森氏がそれを拒否したのである。


「琴子は仕事帰りかい?」


まるで立ち話でもしてるような気安さで、会話を続けようとした。


《ええ、そうです》

「こんな遅くまでお疲れさま」

《……ありがとうございます》

「ところで大和君は?一緒じゃないのかい?」


その名前が飛び出たとたん、琴子さんがわずかにたじろいだのがわかった。

だめですよ、琴子さん。

そんなあからさまな挙動をしていたら、目聡い笹森さんには勘付かれてしまうかもしれませんよ。

俺は内心で注意喚起しながらも、懸命に自分の存在感は押し殺していた。

俺がここにいることは琴子さんに知られるわけにはいかないのだから。



《…今日は懇親会があったので、実家にお願いしてあります》


別に正直に答える義務なんかないのに、琴子さんは詳細を説明した。

おそらく事実なのだろう。

そう思ったら、なぜか俺の胃がキュッと収縮するような痛みが走った。

今日懇親会があるだなんて、俺は知らなかった。


「そうなんだ?ああ、じゃあちょうど今、以前お母様がお好きだと仰ってたメーカーの新作茶葉があるんだけど、大和君を迎えに行く時にお土産に持って行かないかい?仕事で頂いたもので申し訳ないけど」


笹森氏の口ぶりでは、彼が琴子さんのご両親とも親しい関係性だったと窺えて、俺の胃がまたさらにキュッとした。

だが、


《いえ、お気持ちだけ頂戴します》


琴子さんからは明確な否定が示された。

それを聞いて俺は胃だけでなく全身でホッと息がつけた。

さすがに笹森氏と会うことは避けてくれたのだから。

ところが、胸を撫で下ろした俺をせせら笑うわけではないが、それに近い様相で、笹森氏が琴子さんに言ったのだ。



「それなら、北浦君に渡しておくよ。ちょうど今ここにいるから」


《蓮君が!?どうして蓮君が笹森さんと一緒にいるんですか?》


当然ながら琴子さんは吃驚の声をあげる。

さっき笹森氏に驚いたときよりも大きなリアクションだった。

だがそれに優越感を覚えている場合ではない。

いったい笹森氏は何を考えてるんだ?

俺が今ここにいることを琴子さんに知らせてどうするつもりなんだ?

しかしそれを問うよりも早く、モニターの中から琴子さんが俺を呼んだのだ。


《蓮君?そこにいるの?》


琴子さんにはこちらが見えていないはずなのに、画面越しに目が合ってるような感覚がした。


《……蓮君?》


返事を躊躇した俺も、二度目の不安を含んだ呼びかけには腹を括るしかなかった。



「……はい」

《どうして蓮君がそこにいるの?》

「それは、」

「北浦君は俺に何か話があるそうだよ」


俺から回答権を奪った笹森氏は、高らかに意味深な返事を聞かせた。


《話って、蓮君、いったい何の話?》

「詳しいことは琴子もここに来て、本人に直接会って訊いたらいいんじゃないかな?じゃあ、開けるよ?」


笹森氏は今の状況下で不似合いなほど穏やかに言うと、勝手にオートロックを解錠して通話を切ってしまった。




「笹森さん!どうして琴子さんを呼んだりするんですか!?」

「いけなかったかい?だってきみは、琴子や大和君のことを俺に話したかったんだろう?だったら、本人が立ち会った方がいいじゃないか」

「何言ってるんですか!琴子さんに知られないためにわざわざ和倉さんにお願いしたんです」


今にも叫んで責め立てたいところをなけなしの理性で抑えてはみたが、批判的な口調は隠せない。

だが笹森氏は平然と至って普通の温度で反論してきたのだ。


「だってきみ、琴子のことを諦めるつもりなんじゃないのかい?」

「え………?」

「だから俺にあんなことを質問したのだろう?今すぐどうこうするつもりでなくとも、少なくともそういう選択も有り得ると思っている。違うかい?俺はそう感じたよ。何があったのかは知らないけど、それ以外に、きみが俺に大和君のことを好きかどうか尋ねる目的が見当たらないからね」


あまりに的確な指摘に、俺は言葉を見失ってしまう。


「だったら、琴子の元婚約者におかしな探りを入れたりせず、今日ここで琴子本人に直接訊きたいことを訊いて、決着つければいい。その結果、もし本当にきみが琴子を諦めるのなら、俺はすぐにでも彼女にプロポーズするよ。もちろん、大和君のことも自分の子供と思って大切にするつもりだ」


笹森氏は俺が言い返さないうちに、一気に想いをぶちまけた。



「――――きみは本当に、琴子を諦められるのかい?」



琴子さんを、諦める………

一旦はその選択肢を思い浮かべていたはずなのに、具体性が増してくるととたんに怖くなる。

覚悟はしていたはずなのに。

でも今ならまだ、その選択肢を塗り潰すことも可能だろうか。

琴子さんには何も言わず、琴子さんから聞いた大和君の父親のことも聞かなかったことにして、何もなかったかのように恋人に戻ればいい。

取り返しのつかなくなる前に、別の選択をすればいいだけのことだ。


だけどもし、このまま琴子さんと付き合い続けて、琴子さんに惹かれ続けていくと、もうその手を離すことはできなくなるかもしれない。

今ならまだ……大和君が本当の父親と一緒に幸せになるためだと思えば、その選択(・・・・)もできる。

これ以上好きになって、取り返しのつかなくなる前に、その選択を………



だけれど俺の迷いを急かすように、インターホンが無情な叫びをあげたのだった。











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