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区切りの関係で短めです。
明莉の壮行会中に兄からかかってきた電話は、結婚が決まったという知らせだった。
以前から仕事で知り合った人と付き合っていて結婚も視野に入れてるとは聞いていたが、ようやく相手の仕事が落ち着いたとかで、具体的に話を進めることになったらしい。
来月中に一度顔合わせの場を設けたいからスケジュールを出してくれと言った兄は、やはりいつも以上に声が弾んでいた。
そんな浮かれ気味の兄に「おめでとう」とは伝えたものの、俺は正直、羨ましく思ってしまった。
自分の好きな仕事をして、大切な人に出会って、自由に恋愛をして、とうとう結婚する。
もちろん兄には兄にしかわからない苦労や悩みもあるのだろうけど、自分の好きな人と結婚するという未来を選べた兄が、今は無性に羨ましかったのだ。
……いや、人を羨んだりしたら、また時生から説教を食らうかもしれないな。
わかってる。羨む必要なんてない。
俺は、俺なんだから。
ダンサーという職業も、大切な人が抱えている事情も、一筋縄ではいかないこともあるけれど、俺の心は俺だけのものだ。
そう頭で理論立てて自分を励ましながら、俺はスマホを握りしめた。
琴子さんのことが好きだ。
出会ってまだそう時間も経っていないのに、関係がとことんまで深まったわけでもないのに、どうしてここまで想えるのか不思議でならないけど、それが恋だと言われたら納得するしかない。
琴子さんが好きで、だから何よりも大切にしたい。
俺自身よりも、守りたいのだ。
だから俺は今、一つの決断を下そうとしていた……
「―――――もしもし、和倉さんですか?」
◇◇◇
《―――はい。あ、北浦君?今開けるからどうぞ》
俺は何度も訪れたことのあるマンションのオートロックが解除されるのを待って、もう通い慣れてると言いたいエントランスを抜け、エレベーターに乗り込んだ。
唯一いつもと違っていたのは、点灯しているフロアボタンだけだ。
琴子さんと大和君の暮らす部屋よりも、かなり上層のフロアである。
そこには和倉さんが一人暮らしをしている部屋があった。
和倉さんとはもう何年も前からの付き合いで、本当によくお世話になっていた。
日本だけでなくアメリカの複数の州の弁護士資格を持っていて多忙なはずなのに、しょっちゅうFANDAKにも顔を出していて、しかも食事会や飲み会の類にも結構出席率もよかったりするから、俺は本気でこの人いったいいつ寝てるんだと疑問だった。
ただよくよく考えると、FANDAKに足を運んでいたのも、食事会への参加も、仕事の一環だったのだろう。
和倉さんはフットワークが軽く、現場が好きだとも言っていたから。
そしてそんな彼の姿勢は、現場の人間の信頼を見事に勝ち取っていたのだ。
つまり俺は、和倉さんのことを頼れる相手だと認識していた。
それは仕事面においてだけでなく、人間としてもだ。
だから、本来ならプライベートな問題であるにもかかわらず、俺は和倉さんにある相談をした。
数日前の話である。
そして、突拍子なくも感じただろう俺の依頼を聞き入れてくれた和倉さんが、俺のオフでもあった今夜、自宅に招いてくれたのだった。
「やあいらっしゃい。時間通りだね」
19時ジャスト。
指定された時刻ぴったりにインターホンを鳴らした俺を、和倉さんはいつも通りの如才なさで出迎えてくれた。
「今日は無理言ってすみませんでした」
「いいんだよ。俺ほど仲介役に適任な人間はいないだろうからね」
琴子さんと同じマンションではあるが、エレベーターを降りた瞬間からまったく違って見えた。
内廊下には玄関扉が二つしかなく、つまりこのフロアには二世帯分の部屋しかないということだ。
俺は今さらながらに、和倉さんがハイクラスの人だったのだと実感していた。
一歩踏み入れた玄関は、真っ白い床が広がっていて、そこには二足のビジネスシューズが並んでいる。
どちらもが高級メゾンのものだった。
「さ、入って入って」
「失礼します……」
和倉さんが出してくれたスリッパに履き替えようとしたが、それが ”the Key”
のものだと気付いた。
すると和倉さんが「やっぱりわかるんだね」と感心したように言う。
「実は俺 ”the Key” のファンなんだよね。北浦君にはあまり言ってなかったけど」
和倉さんには色々な手続きを手伝ってもらった関係で実家のことは知らせていたが、うちの愛用者であることは初耳だった。
「それはありがとうございます」
一応は礼を言ってみるが、和倉さんからは「あいつもファンだったらしいよ?」と含み笑いが返ってくる。
そして、
「なあ?お前も昔からよく ”the Key” の服着てたよな?」
廊下に姿を見せた長身の人物に顔だけ回して尋ねたのだ。
「ああ。俺の周りでもファンは多いよ」
その人物はそう答えてから、
「こんばんは、北浦君。この前はどうも」
品よく穏やかに、俺のことをどう思っているのかちっとも読めない顔色で俺を迎えてくれたのである。
俺は彼に軽侮されぬよう、精一杯に平然を演じながら言ったのだった。
「こんばんは…………笹森さん」




