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「反論しないのか?」
もとより反論させるつもりもないのだろに、時生は形式ばかりに合間をとってはまた攻めてくる。
「あの人は俺にとって大切な恩人だと言ったはずだ。今の俺にとって一番大切な人だともな。もし彼女が何か困っていたら、どんなことでもして差し上げたいとも言ったのを、まさか忘れたのか?」
「忘れるわけないだろ」
さすがにそこは否定した。
すると時生の勢いもそこで削がれたようだ。
攻めの姿勢が軟化した。
「だったら、ちゃんとしろ」
事情を何も知らない時生に言われたくはないと、俺は内心で悪態つくも、続けて聞こえてきたセリフにそんな悪態はどこかへ吹き飛んでしまった。
「お前がずっとそのままなら、俺が琴子さんを支えるからな。それでもいいなら勝手にいじけてろ」
スゥ……と、あれこれ突き刺さっていた余計な物差しが抜け落ちていくようだった。
だが時生は言うだけ言って、あとはお得意の無口に戻ってしまった。
俺の鋭くなった眼差しのみが、解けないまま残される。
なのに時生はそれさえまったくの無視だった。
こいつの中で、長年の親友である俺よりも琴子さんの方が上にいるのだと思い知る瞬間だった。
すると、同僚達との個人撮影会を終えた明莉がこちらに気付いたので、俺は軽く手を上げて合図した。
明莉は方々からかかる声を縫うようにしてやってきたが、時生を見るなり怪訝に顔を顰めた。
「蓮、来てくれたんだ?…って、何この雰囲気。また喧嘩?」
「またと言われるほど喧嘩してるか?俺達」
俺は剣呑な態度を本日の主役に見せるわけにはいかず、普段の表情に戻しながら返した。
時生は特に改めようとはしなかったが、それがこいつの普段通りとも言える。
明莉は俺達を交互に見て、何言ってるの?というような呆れ顔になった。
「してるわよ。いっつも何か言い合ってる。ま、二人にとったら喧嘩というよりはただの話し合いかもしれないけど。時生の顔が無駄に怖いから、見てる側からすると喧嘩してるように見えるのよ。だって時生が口数増えるなんて珍しいんだもの」
よくそれでFANDAKのダンサーになれたわよね。
明莉はフン、と腰に手を当てながら言う。
この明莉の小気味いいはっきり口調も来年から聞く機会が減ると思うと、なんだか寂しくもなる。
実力だけでなくコネだの忖度だのが取り囲む仕事環境において、明莉の清々しいほど勝気で婉曲をバッサリできる性格は貴重だった。
そして似たようなことが、時生にも当てはまると思う。
二人ともパフォーマンスでは情感たっぷりに魅せるくせに、実際は情よりも理、Yes、Noの裁断が非常にクリアな性格だ。
そしてそれを自分でも分かっている時生は、
「お前には言われたくない」
似た者同士である明莉に低く言い返した。
だが現在かなり上機嫌中の明莉はそんなことでは怯まなかった。
「今二人がやり合うとしたら、どうせ琴子さんのことなんじゃないの?この前琴子さんの様子も変だったものね。時生は琴子さんのこととなると性格変わっちゃうし」
「悪いか。彼女は俺の恩人だ」
「あら、私にとっても、ある意味恩人ではあるのよ?」
「だったらお前が蓮の代わりに琴子さんを支えるか?」
「……何の話?」
テンポよく刻んでいた会話が、明莉の不思議声で一時停止した。
時生は親指で俺を指しながら、けれど俺には見向きもせずに明莉によけいなことを吹き込みはじめる。
「何があったか知らないがこいつがやけに日和見してるようだったから、そんな弱腰な男に琴子さんは相応しくない、俺が代わりに琴子さんを支えると言ってやったんだ」
そう聞くなり、明莉は俺を一瞥し、すこぶる納得したように頷いた。
「ああ、もしかして、白黒はっきりさせないままつい結果を引き延ばしちゃう、蓮の悪い癖がまた出たんだ?」
「なんだ、お前もそう思ってたのか?」
「だって蓮ってば、私とのことだってはっきり決着させないままだったじゃない。ま、あれは私がわざとそうさせてたとこもあるけど。相手が何も言ってこないのをいいことに、ずるずる時間だけ過ぎちゃったりして、最終的に損するのは蓮なのに」
「30までに…っていう親父さんとの約束もまだきっちりさせてないようだしな」
二人はまるで特別な仲間意識でも芽生えたかのように、軽妙に俺を責めてくる。
確かに自分にそういうところがあると自覚はしていたが、二人がこんな風に半ば呆れていただなんて初耳だった。
「…今日は俺のことはいいんだよ。明莉が主役なんだから」
父との約束にまで言及されて、少なからず動揺した俺は、
「ああそうだ、……ほら、これ」
話題転換の一手になればという思いで、さきほど預かった祝儀袋を差し出した。
明莉も、これには素直に喜んだ。
「わあ、嬉しい!後でお礼の連絡しとかなくちゃ。――――で?蓮が琴子さんのことで日和見してるって、どういうこと?」
「…もうその話はいい」
「でも何か悩んでたんじゃないの?」
「……ついさっきまではな」
「なんだ、もう日和見は終了か?」
「日和見言うな。そんなんじゃない」
悩んでいたのは、状況を見ていたせいじゃない。
俺の中で何を一番に考えるのか、それが選べなかったからだ。
だが、時生の挑発のおかげで、迷いは晴れそうだった。
「そんなんじゃないけど、どっちにしろお前達には……」
関係ないだろ、そう言いかけたところで、俺のスマホが振動しはじめた。
話の途中だったが、これ幸いと俺はスマホを取り出した。
表示されていた名前は、兄だった。
「………ちょっと悪い」
俺はそう断ってから、賑やかな店と、仲間達の手強い襲撃から逃げ出したのだった。
さっき同じ扉をくぐったとき心にあったいくつもの物差しが、たった一つだけしか残っていないことを深く深く噛みしめながら。
「蓮ってば、逃げたわね」
「そのようだな」
「でも時生はいいの?」
「何が?」
「琴子さんよ。初恋だったんでしょ?」
「まあな。だが初恋は実らないというギリシャ神話があるだろう?」
「……ギリシャ神話?ないわよ、そんなの」
「そうだったか?けどどっちでもいいさ。あの人が幸せになるなら。俺の初恋はそれで成就されるはずだ」
「損な役回りね」
「そういうお前だって、初恋じゃなかったとしても、蓮のことは本当にもういいのか?」
「あら、初恋だったんだけど」
「そうなのか?」
「知らないの?相手が違えばすべて初恋、っていうどこかの神話」
「どこの神話だよ」
「さあ?でもとにかく、私達には新しい初恋が待ってるわよ。ま、私の相手は当面は ”ダンス” だけど」
「俺も同じくだ。……明莉」
「うん?」
「頑張れよ」
「ありがとう。時生もね。それから――――蓮も」




