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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
取り返しのつかなくなる前に ー 蓮 side ー
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「何か困り事か?」


多くは語られずとも、質問の意図が俺のここ数日のパフォーマンスの精度についてであることは承知している。


「いえ、そういうわけではありません。……申し訳ありませんでした」

「呼び出された理由を何も訊かないということは、自覚はあるんだな?」

「はい」

「本当に、重大な問題を抱えてるわけではないんだな?」


重大か否かでいえば、俺にとっては重大以上に重大な問題である。

だが、ダンサーとしては掠りもしない問題でもあった。


「……はい。個人的な、気持ちの問題です。以後気を付けます」

「そうしてくれ。でも何があったか知らんが、お前が本番に支障をきたすなんてよほど何かあったんじゃないかと心配していたんだぞ?」

「すみませんでした」

「幸い気付いてる人間は少ないようだしペナルティは考えてないが、明日からは頑張れよ」

「はい。ありがとうございます」


トン、と肩を叩かれたついでのように、クッと笑われてしまう。


「……なんですか?」

「いや……お前覚えてるか?正規でここに誘ったとき、ちょうど向こうのエージェントからブロードウェイ関連のオーディションも持って来られてて、お前、ずいぶん悩んでただろ?」

「そんなこともありましたね…」

「あのとき、表沙汰にはなってないが色々あったじゃないか。向こうとこっちでお前の取り合いみたいな」

「そうですね……もうあまり覚えてませんが」


嘘だ。あの頃のことは今も忘れてはいない。

それなりに悩んで葛藤して迷った、かなり濃厚な時期でもあるのだから。

当時、ちょっとした契約上のトラブルも発覚したりして、それをうまく収めてくれたのが和倉さんだった。

今となっては、懐かしい記憶だ。



「でもそれが何ですか?」

「いや、その頃、お前のことが社内でちょっとした噂になってたのを思い出したんだよ。こちらとしては弁護士に入ってもらったりして割と大きな揉め事という位置付けでいたし、当事者のお前だって相当疲弊してる顔をしてたのに、それをこれっぽっちも匂わせない仕事振りだったからな」

「プロとして当然じゃないですか?」

「ある程度はな。だがお前の切り替えは、別次元だった。で、誰かがお前のことを ”あいつロボットみたいだな” と言ってたのを今ふと思い出したわけだ。あ、誉め言葉だったんだぞ?ま、だからこそ、最近のお前のパフォーマンスの異変にすぐ気が付いたんだろうけど」

「……すみませんでした」


痛いほどに自覚のある俺は、その言葉しか出てこない。

だが頭を下げた俺に、またもやクックッと笑い声が降ってきたのだ。


「お前の変化に気付けたパフォーマーはほとんどいないんだ、そこまで気にするな。ま、一部の優秀な連中は目敏く見抜いてるかもしれないが。ただ、ロボットとまで言われた切り替え上手なお前がパフォーマンスに影響を滲ませるなんてな。………答えなくてもいいが、ひょっとして恋愛関係か?」


図星が突き刺さった俺の顔は、かなりあからさまだったようで。


「ああ、もう答えなくていい。その表情でじゅうぶんだ」


またもや笑われてしまった。


「でもな、あれだけ人気でモテてモテてしょうがないのにずっとダンス一筋で、まるでロボットのようだったお前がプライベートとの切り替えをミスするなんて、よほどの相手だってことだろう?仕事も大事だが、その相手も大事にしろよ?お前にとっちゃブロードウェイよりも重要な人ってことなんだからな」

「………そうですね」


琴子さんが何よりも大切。

それを第三者にも指摘されると、より一層実感する。

俺の中で琴子さんが最も大きな存在なのだ。

今まで一番に考えていたダンスが疎かになってしまうほどに。

何よりも。

俺自身よりも……



「そうそう、ブロードウェイといえば、お前も今日の明莉の壮行会参加するんだよな?」

「はい、そのつもりですけど」

「だったらこれを渡しておいてくれ」


渡されたのは祝儀袋だった。


「わかりました。お預かりします」

「だがまさかお前じゃなくあいつがニューヨークに行くとはな。ま、よろしく言っといてくれ」

「はい。伝えておきます」

「ああ、それから、例の条件(・・・・)は、今も生きてるからな。一応、伝えておく」

「…………そうですか。それじゃ、失礼します」



俺は ”祈御活躍” と書かれた祝儀袋を丁寧にしまってから、ディレクターと別れたのだった。





ブロードウェイを目指すと決めた明莉の行動は迅速だった。

すぐに会社側と話をつけ、あらゆる伝手を探っては可能性を集めていった。

もともと行動派で社交的だったこともあり、本人も人脈は太い方だという認識があったようで、それをフルに活動させた結果、来年早々のニューヨーク行きがほぼ確定したのだった。

ビザの関係もあるのですぐにということではないが、現地のスクールに通いながらチャレンジの機会をうかがうつもりらしい。


何年か前、俺も同じ経験をしていた。

その後俺はいくつもの縁が重なってFANDAK(ファンダック)を選んだけれど、そのおかげで琴子さんと出会えた。

だから後悔なんて少しも存在しない。

ブロードウェイに未練がないというのは、本心である。


ただ、自分の夢や目的、気持ちが明確で怯まない今の明莉は、俺には眩しく見えてしまうのだ。

琴子さんのこと、大和君のこと、大和君の父親のこと、俺の仕事のこと……

今の俺には何を一番に考えるべきなのか、その物差しが多すぎて、自分の気持ちだけを優先なんてできなかったから。


だが仲間の夢へのチャレンジは心から応援したいと思っている。

ニューヨーク生活について明莉から相談を受け、俺が直接紹介したこともあるほどだ。

それに、明莉をけしかけたという認識もあった俺は、それなりに責任も感じているのだ。

だからこそ、明莉のブロードウェイの夢が叶うことを願っている。

それを羨んだり妬んだりする感情も皆無だ。

琴子さんのことで藻掻(もが)きながら想い続ける時間ばかりだったけれど、今夜ばかりは、自分で未来を選んだ友人の背中を大いに押してやろうと思った。




壮行会の店は俺達がよく利用しているダイニングバーだった。

琴子さん、大和君と再会した、俺にとっては特に思い入れのある場所だ。

オーナーもFANDAK(ファンダック)と関係深いので、閉店間際から特別に貸し切りにしてもらえたようだった。


ディレクターから呼び出しを受けたせいで遅れて店に着いた俺を真っ先に見つけたのは時生だった。


「お疲れ。その様子じゃお咎めはなしだったんだな」


出入口に近い壁にもたれていた時生は、俺が今日呼び出しを食らったわけにも思い当たっているのだろう。

時生は、ディレクターが口にしていた ”一部の優秀な連中” の一人だったのだ。


「ああ。それから明莉に祝儀を預かってきた」

「今は盛り上がってるから後で渡せよ」

「そうだな」


時生が見遣った先では、本日の主役の明莉が同僚達一人一人と記念写真の最中だった。

俺も時生に倣って壁に背中を当てると、無意識のうちに微かにため息がこぼれていた。


「……琴子さんのことか?」


耳敏く俺の息を拾った時生は、お構いなしに鋭利な声を向けてくる。

ただでさえクールなくせに、さらに尖らせてどうするつもりだと失笑が浮かんでしまった。


「相変わらず琴子さんが絡むとお前は鋭さ倍増だな」

「何があった?」

「何でもない…………ただちょっと、すれ違いがあっただけだ」

「それだけか?」

「ああ……。それにしても、あいつ、とんでもなく上機嫌だな」


時生からの追及を逸らすつもりで、俺は明莉を視線で指し示した。


「そりゃ機嫌もよくなるだろ。ずっと憧れてた夢に、ずっと憧れていたお前から背中を押されて一歩踏み出すんだからな」

「別に俺の後押しなんか必要なかっただろ」

「あいつはそう思ってないはずだ」

「けどどっちにしても、俺には今のあいつが眩しいよ」

「えらく枯れた発言だな」

「枯れた………つもりはないんだけどな」


独特な表現をした時生に苦笑が漏れる。

だがそんな何気ない態度でも時生には見逃してはもらえなかったのだ。



「お前がそんなんじゃ、琴子さんが気の毒だ」


それは氷点下よりももっと凍えるような、冷たいというよりもヒリヒリとした、まるで火傷にも似た痛みを与えてくる物言いに感じた。


「………何?」

「だから、琴子さんにはもっと頼りがいのある男が相応しいと言ったんだ。何があったか知らないが、同僚が眩しいとかほざいてため息吐く弱腰負け犬のような男は、女手一つで子供を育てている彼女のそばにいるべきじゃない」


一切躊躇わずに振り下ろされた責め言葉は、完膚なきまでに俺を突き刺していった。











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