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「ではここで15分の休憩となります。貴重品は各自でお持ちください」
スタッフの掛け声が響くと、張り詰めていていた空気が一気にゆるんだ。
秋の終わりを予感する気候の中、FANDAKでは冬シーズンの広告撮影が行われていた。
映像の場合は合成撮影も多く時期的にもかなり早い段階で制作するのだが、スチールの場合はシーズン中に実際にロケを組むことも多いのだ。
今日の撮影は若い女性に人気のモデルが参加とあって、多少は大掛かりな撮影となっていた。
営業時間内ではあるがテレビ番組のロケも月に何度か行われているので、俺達演者も含めて関わってる人間は慣れたものだった。
ただ一人、本日のメインである女性モデルを除いては。
彼女はファッション関係の仕事が中心で、それ以外のロケ撮もめったに参加しないそうだ。
その証拠に、通りかかった一般のお客様から驚きの声があがることもしばしばだった。
今もちょうど20代くらいの女性グループが足を止めて彼女に注目している。
「―――うそ、あれってレイラ?何の撮影してるの?」
「レイラじゃないでしょ。どう見てもファンダックの撮影じゃない」
「じゃあ違うわね。レイラはファッション関連以外NGだから」
「いや絶対レイラだって。私さっき ”the Key” のCM動画見たばっかだもの。間違えるはずないって」
「ああ、さっきスマホで見てたやつ?あれ可愛いかったよねー」
「でしょでしょ?だから絶対間違いないって。あれはレイラだって!」
自分の名前を呼ばれたことに気付いた彼女が、くるりとそちらに顔を向けて愛想よく手を振った。
すると女性グループからは大きな歓声があがったが、その直後、演者には控室に戻るように指示があった。
スタッフが騒ぎになるのを案じたのだろう。
ギャラリーの中には俺に声をかけてくれたファンもいたので、彼女達に軽く会釈してから俺も控室に移動した。
スーベニアショップとレストランの間にある通路の奥にスタッフ専用の隠し扉があり、そこから繋がる小部屋の一つが本日の控室となっていた。
今回のスチール撮影にはFANDAK側から参加してる演者は少数で、親しいダンサーもおらず、俺は特に誰かと会話を交わすこともなく手近にあったパイプ椅子に腰を下ろした。
今日参加してるダンサー達は全員、俺よりもかなり若かった。
どこの世界にも年代差によるギャップがあると思うが、例に漏れずここにもしっかりと存在しているのだ。
むしろ、もう30になる俺とまだ10代の彼ら彼女らの間で、何も違いがないという方が不自然だろう。
世代交代の波は、確かに感じていた。
俺ももう30か……
ふいに父との約束を思い出したのは、改めて年齢を自覚したせいもあるだろうが、もしかしたらさっきの女性グループの会話に登場した ”the Key” という名前の影響かもしれないな……
テーブルに並んだスポンサー提供のドリンクに手を伸ばしながら、俺にとってはFANDAK以上に耳に馴染んでいる名前を胸に浮かべていた。
すると、
「失礼ですが、北浦 蓮さんでいらっしゃいますか?」
さきほどギャラリーの視線を集めていたモデルの女性が、俺に話しかけてきたのである。
初対面ではあるが、俺のことを知っている口ぶりが引っ掛かる。
と言いながらも、俺もこのレイラというモデルのことはよく知っていた。
「お疲れさまです。仰る通り、俺は北浦 蓮といいますが、何か?」
彼女は慣れない撮影のせいか、ほんの少しばかり辺りをきょろきょろしながら俺の隣に腰掛けた。
そして軽く頭を下げて。
「はじめまして。レイラと申します」
人気者にありがちな、自分のことを知ってて当然、といった態度が微塵もない彼女に、俺は好感を覚えた。
いや、彼女に関してはそれなりに人となりは聞かされていたのだけど。
もう長い間ずっと、家族から。
「存じ上げております。いつもお世話になっております」
今度は俺が頭を下げる番だった。
すると彼女はとても驚いた顔をしたのだ。
「ご存じだったんですか?」
「ええ、まあ、一応は」
「そうでしたか……。私が ”the Key” さんでお世話になりはじめたのはあなたが家を出られた後でしたので、私のことを知ってくださってるとは思いませんでした」
周囲には聞かれないよう小声で、そして若干言いにくそうに彼女は告げてくる。
「父とは疎遠ですが、母や兄とは普通に連絡を取り合ってますので」
「ああそうですよね。不快に思われたのなら、失礼しました」
「いえ……。それで、俺に何か?」
実家の会社が長年イメージキャラクターとして契約しているのだから、彼女からしてみれば社長の息子に会っておいて挨拶なしはあり得ない……俺に声をかけてきたのはそういうことだろう。
アパレルとエンタメは業界的にも繋がりは濃い方なので、FANDAKで何か撮影に参加した際、そのスタッフや演者から実家のことで声をかけられることも度々はあった。
だが今回の相手はいつも以上に俺の実家と深い関りがある人物ゆえ、多少の警戒心が疼きだしていた。
「いえ、特に何か用があったわけではないのですが、ご挨拶させていただきたくて」
「そうですか」
「私と話をするのはご迷惑でしょうか?」
「なぜそんなことを?」
「北浦さんは、ご実家のお仕事があまりお好きではないと伺っておりましたので。ご実家と長く仕事をさせていただいてる私とはあまり話されたくはないのかと」
「誰がそんなことを…」
つい眉間に皺をつくってしまう。
「北浦社長です」
「父ですか……」
ああなるほど…と、眉間の皺が苦笑に溶けていった。
「だったらそれは訂正しておきます。俺は家を出ましたし父ともあまり連絡は取っていませんが、"the Key" は大好きですよ。生まれてからずっと、今も愛用してますから。ダンスと出会わなければおそらく父や兄を手伝っていたでしょう。そうしたらあなたとももっと以前からの知り合いだったかもしれませんね」
自分から積極的にアパレルメーカー ”the Key” の創業者一族だと名乗ったことは一度もないが、それでもほぼ毎日、何かしらのアイテムは身に着けている。
それはレッグウェアだったり、インナーだったり、表に見えなくても、俺にとってはそれが日常だったからだ。
俺が実家を飛び出して好きなことをしているからといって、そこを誤って捉えられるのは不服でしかない。
ところが彼女は何を思ったのか、クスクス笑い出したのだ。
「笑われるようなことを言いましたか?」
「いえ、すみません。北浦社長も同じようなことを仰ってたものですから」
「父が?……何を言ったんですか?」
「あいつは昔っから "the Key" の服ばかり着ていた、ダンスと出会わなかったら跡を継いでいた……と」
「父が……そうですか」
「”the Key” のことは好きなくせに実家の仕事には興味がないらしい……とも仰ってましたね」
大事なイメージモデルにいったい何を吹き込んでるんだと、俺は相槌の代わりにため息がこぼれていた。
打って変わって彼女の方は舌の滑りがよくなったのか、父の話題を続けてきた。
「ですが北浦社長、あなたが大学で経営を学ばれたことはとても喜んでらっしゃいましたよ?」
「え……?」
「それから、大学やインターンで学んだことは、きっと今もまだ有効なはずだ……とも仰ってました」
突如として、単なる世間話ではなくなった。
やけに含みを持たせた言い草に、俺の声も低くなる。
「……父に何か頼まれましたか」
「まさか。完全に私の独断です」
威嚇じみた詰問にも、彼女はまったく動じなかった。
さらには、大勢を魅了して止まない微笑を浮かべて言ったのだ。
「あなたのお誕生日が来る前に、ぜひお伝えしておきたかっただけですよ。北浦社長のお気持ちを。だって私、あなたに負けないくらい ”the Key” の大ファンなんですもの」
その説明に裏があるのかないのか知らないが、ただ彼女がもたらしたものは決して小さくはなかった。
ダンサーとしての自分、
キャリア、
琴子さん、
琴子さんの元婚約者である笹森氏、
大和君の父親、
そして、まもなく訪れる30の誕生日……
それらが複雑に絡まってせめぎ合っている俺にとっては、聞き流すことはできなかったのだ。




