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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
隠しきれなかった隠し事
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最後の質問は、珍しく笹森さんの感情がかすかに含まれている気がした。

常に動じない、超然としている彼が見せた、消沈の気配だ。

私は運転席からフロントガラスに顔を正面向かせて「後者です」と言った。


「これは理恵の遺志でもあります。ですが、ご心配くださってるのに、申し訳ありません」


彼が野次馬的ではなく、本気で心配してくれてるのはひしひしと伝わってくるから。

するとさっきと同じで「謝らないでいい」と優しく告げられた。

さらに


「でもそれを聞いて気が楽になったよ。もし俺だけにそういう態度を取られてたら泣いてたかもしれないけど」


冗談めかして軽やかに言った。


「まさか。笹森さんが泣くなんてあるわけないですよ」


もちろん実際に泣くだなんて思ってもないし、笹森さんの泣き顔なんて想像できないけれど、なんだかおかしくなって、ふと私の表情も軽くなった。


「ああ、やっといつもの琴子になった」

「え……?」

「ずっと顔が強張ってた」

「そう、ですか……?」


反射的に頬に手を当てた。

そして笹森さんに表情を悟られぬよう、窓に顔を背けた。

流れる景色が目に入ると、いつの間にか車は私のマンション近くを走行していたのだと気付く。

食事には行かないと意思表示したので、自宅付近に向かってくれたのだろう。

彼のこういうさりげなく気遣ってくれるところは好きだった。

そっぽ向いてしまった私に、その彼がおそらくは気遣いで声をかけてきた。



「無理もないよ。工藤さんは琴子の一番の親友だったんだから」

「違いますよ」

「違う?そう?」

「理恵は、親友だった(・・・)んじゃありません。今も、これからもずっと私の親友ですから」


揚げ足取りに思われても、そこだけは訂正したかった。

すると笹森さんはちょうど見えてきたマンションから一番近いコンビニの駐車場に入って車を停めるなり私に頭を下げてきたのだ。



「ごめん。俺の言い方が間違ってた」

「いえ、私こそ、細かなことを言ってすみません…」

「いいや。琴子と工藤さんの仲の良さを知ってるなら、例え言葉のうえだけだったとしても過去形なんか使うべきじゃなかった。本当にごめん」

「笹森さん……」


私がどんなに理恵を大切に想っていたか、理恵がどんなに私を気にかけてくれていたか、それをあの頃一番近くで見ていたのは、間違いなく彼だろう。

そして彼にとって理恵は、ただの部下というわけでもなかった。

特別な関係だった理恵の死を、笹森さんは今どうやって受け止めているのだろうか。

私と出会う前、そして私と別れた後、少なくとも二度は、理恵は笹森さんにとって特別な相手だったのに。

だが今日為された会話を思うと、笹森さんは理恵の事故死を最大の話題には置いていないようにも感じ取れてしまうのだ。

まるで、理恵については今日の話し合いのきっかけ的なポジションに据えているようで……


ふとした違和感が過る。


私が知ってる笹森さんは、一度でも特別な間柄になった人物に対してそんな態度はとらないはずだ。

それなら、どうして笹森さんは今日、理恵のことを話したいと言ってきたのだろう……


疑問が膨らみかけたとき、運転席から届いたのは真剣な眼差しと、決して逃げることを許さない彼の感情だった。



「琴子。この前も話したように、俺は今も琴子を愛してるよ」



その告白は、私目がけてまっすぐに突き刺しにかかってくる。

跳ね返すのか、避けるのか、それとも甘んじて刺さるのを受け入れるのか。

瞬きするほどの時間では、どれも選べなかった。


「そんな顔して、信じられない?……まあ、それも仕方ないか。だってあのとき俺は、琴子を無理に引き止めることはしなかった。……母が琴子に何をしたのか、ニューヨークに行ってから知ったよ。今さらになってしまうけど、母が、申し訳ないことをした。謝って済む話ではないけど、本当に申し訳ないと思ってる。琴子がどんな思いでそれを聞いたのか、想像するだけで腸が煮え返るようだった。……琴子、そんなこと話しても今さらだと思わないで聞いてほしい」


笹森さんは少しだけ顔を俯かせた。


「……あの頃俺は、母にだけは琴子の事情を知られまいとあれこれ画策していたんだ。自分の母親がどういう性格なのかは長い付き合いでじゅうぶん把握していたからね。あの人にとっては笹森の家や会社が何よりも重要だった。その重要項目の中に笹森家の後継者についても含まれてるのだろうとは、想像に難くなかった。だから婚約した際、自分の体について説明すべきだと言った琴子を強引にやめさせた。母が知れば、琴子に何か嫌な思いをさせるかもしれないと危惧したからだ。だから母が知る前に結婚してしまおう、そうしたら母が何を言ってきても、すでに琴子は笹森家の人間なわけで、その事実は揺るがないし、俺だけでなく他の笹森の親戚達も琴子を守りやすくなる。そういう下心もあって、俺はなるべく結婚を急ぎたかった。ただ、母に怪しい動きがあると報告を受けてたのに、手を打つのが出遅れてしまったことがあった。そのせいで、母が琴子に接触するのを許してしまった……」


笹森さんから聞かされることははじめて聞く内容ばかりだけど、どれももう過去の出来事だ。

あのとき彼は私にそこまで打ち明けてはくれなかったし、結果的に私達は別れを受け入れたのだから。


「もういいです、笹森さん。当時、笹森さんがそこまで色々考えてくださっていたとは知りませんでしたが、どちらにせよ、私達はもう終わっているんですから」

「よくないよ」


笹森さんは低く言い切ると、長い腕を私に伸ばしてきた。


「笹森さん?」

「ちっともよくないよ、琴子」


力強く掴まれた肩に、ドクンと全身が震えた。


「なにを……」

「………俺があのとき別れを受け入れたのは、琴子がこれ以上傷付くのを避けたかったからだ。だから、琴子が母のことを何も相談してくれなかったのも、琴子が一人で決めてしまった別れも受け入れた。もし俺との結婚を強行突破しても、優しい琴子は結婚後も悩んだり傷付くかもしれないと思ったから、あえて深くは追及しなかった。琴子に辛い思いをさせないために、断腸の思いで別れを受け入れた。でも何年経っても琴子が忘れられなかった。母にどんなにせっつかれても見合いをする気にもなれなかった。久しぶりに帰国が決まったときも、真っ先に浮かんだのは琴子が幸せでいるかどうかだった。別に会えなくてもいい、せめて今幸せでいるかどうかだけでも確かめたい、例え他の男と結婚してたとしても琴子が幸せならそれでいい、そんな思いでい日本に帰ってきた。そうしたら偶然和倉と一緒にいる琴子に出会って、自分の子供ではない大和君を一人で育てていると言うじゃないか。いくら親友の工藤さんの息子さんだといっても、実子でない子供を独身の琴子が育てるのは大変だろう。琴子は周りに助けてくれる人がいると言ったが、それでも、もしあのとき俺と別れてなかったら、俺と結婚していたら、琴子が一人で大和君を育てることにはならなかったはずだ」

「――っ!それはどういう意味ですか?私が大和を引き取るのに笹森さんは関係ありません!……例え笹森さんと別れてなかったとしても、理恵の子供なら間違いなく引き取って育ててました。もし笹森さんが反対しても私は絶対に…」

「違うよ、琴子」


パンッと火花が弾けたように反論してしまった私を遮って、笹森さんは穏やかに告げた。


「俺も琴子と一緒に大和君を育てていたはずだと言ってるんだよ」










誤字報告いただき、ありがとうございました。

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