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「勝手に和倉から番号を聞いてごめん。急を要するからと無理に頼み込んだんだ。あいつを責めないでやってくれる?」
私がシートベルトを装着するのを見届けて、申し訳なさそうに笹森さんが言ってきた。
確かに笹森さんには今の連絡先を直接伝えてはなかったが、和倉さん経由でいつ知られてもおかしくはないと覚悟はしていた。
「もちろんです。和倉さんがそうなさったのなら、私のためにもその方がいいという判断だったのでしょうから」
「……あいつのこと、ずいぶん信頼してるんだね」
「え?」
「いや、なんでもない。ところで、この時間だと食事はまだかな?」
ロータリーをまわり、車を大通りに合流させながら訊いた笹森さん。
私はどう答えるのが正解なのだろうと、無意識にシートベルトを握っていた。
YESと言えばどこか店に案内されるかもしれない。
けれど、今日笹森さんと二人きりで会っているののは理恵のことを話し合うためだ。
暢気に二人で懐かしさを愛でながら食事をするためではない。
それに、今日のことは蓮君にはまだ知らせていないのだから。
どの角度から考えても、なるべく笹森さんと二人きりで過ごす時間は短く済ませるべきだと思った。
「いえ……、食事はいいので、早速話しませんか?理恵のこと、ですよね?」
私の出した返事に、隣からはかすかにため息の音が流れてくる。
「俺と食事するのは、そんなに嫌?」
「――っ!違います、そういうわけではなくて……」
「それなら、話は食事をしながらでもいい?個室を押さえるから、誰かに聞かれる心配もないよ」
「それは……」
淀みなく訴えてくる笹森さんに、私はつい弱腰になってしまいそうだ。
ただそのとき、ふと蓮君の声が聞こえてきた気がして……
『琴子さん、好きですよ』
『でも俺は、その人とは違います』
『何があっても、どんな些細なことでも、ちゃんと話し合いましょう?』
『……琴子さんが、俺を救ってくれたからですよ』
時間的にいえば圧倒的に笹森さんより蓮君の方が少ないのに、今私の心に響いてくるのは圧倒的に蓮君の言葉だった。
「でもやっぱり、話なら今ここで伺います」
蓮君への想いのおかげで、きっぱりと言い切ることができた。
車内だって密室の一種かもしれないけど、個室で食事をとることに比べたらずっとましだ。
それに、今日笹森さんと会ったことや、このあとに交わされる会話の内容をそのまま蓮君に打ち明けるのはきっと難しいかもしれない。
だからこそ、せめて私の気持ちや態度は蓮君に対して誠実でありたかったのだ。
「そうか……」
笹森さんは深く息を吐いて
「もう俺の強引さは通用しないんだな……」
残念しきりという様子で呟いた。
「私、今お付き合いしてる人がいるんです」
「………そうか。それもそうだよな。もう何年も経つんだから……」
「……すみません」
「謝る必要なんてないさ。ただ、俺の気持ちはこの前話した通りだ。今も俺にとって琴子は大切な人だよ。だからこそ教えてほしいんだ」
「………何をですか?」
「工藤さんは、昨年亡くなってるね?」
私に恋人がいると知ってにわかに言葉を置いた笹森さんだったが、理恵に関しては躊躇いなど皆無でその名前を口にした。
「それは……」
「うん、悪いけど調べさせてもらった。どうしても工藤さんに連絡をとる必要があったからね」
「どうしても、理恵と連絡をとる必要が……?」
まさか、大和のことで何か知られた?
反芻する舌先が痺れてきそうなほどの緊張感を抱えた私に、笹森さんは「そんな大仰なことでもなかったんだけど」と前置きしてから答えた。
「帰国が決まったとき、工藤さんが以前話してたニューヨークにあるブックストアのショッピングバッグを日本のプライベートな知人への手土産に買い込んだんだ。それがすこぶる評判よかったから、工藤さんにもお礼で渡せたらと思ったんだよ」
「………それだけ、ですか?」
「ああ、そうだよ。まあ、工藤さんを探す口実のひとつにはさせてもらったけど」
笹森さんがそう言った直後、信号で車が停まった。
ちょうど反対側の車線から大きなクラクションが聞こえてきて、私はその音に溶け込ませるようにして安堵の一息を吐き出したのだった。
どうやら、大和の父親については何も知らないようだ……
それだけを恐れていた私は、本当にホッとした。
それに笹森さんは、理恵と大和を結び付けるようなことは何一つ口にしていないのだ。
理恵の事故死については記録も残っているだろうし、ちょっと調べたらすぐにばれても仕方がない。
私は理恵の件についてだけは素直に認めることにした。
「そうでしたか……。そうです。理恵は、去年、事故で亡くなりました」
運転席で息を飲む気配がした。
しばしの沈黙ののち
「そうか…………残念だ」
低く沈んだ声が車内に広がる。
信号が青になり、また車窓には街並みが流れ出す。
もう日が沈んですっかり夜色を灯した景色に、秋と冬のグラデーションを感じた。
けれど、季節の移ろいに情緒を感じる余裕はすぐさま断ち切られてしまった。
「だったら、大和君は、工藤さんの息子さんなんだね?」
「――――っ!」
一安心の最中に突き付けられて、絶句しか出てこなかった。
「これは調べたわけじゃない。でも考えてみれば、琴子の親友と聞いて真っ先に浮かぶのは工藤さんだ。琴子が親友の子供を育てているとなれば、工藤さんのお子さんだと思うのが自然だ。むしろそれしか考えられないだろう」
笹森さんには、まったく迷いがなかった。
それだけが絶対の事実であるかのように断言したのだ。
私は絶句が続いたが、その裏では猛スピードで思考を回していた。
落ち着いて。
まだ大和の父親にまでは及んでいない。
大丈夫、まだ大丈夫……
慰めなのか窘めなのか判別つかない説得を自分自身に投げかけながら、相手の次の一手を待った。
「……返事がないということは、認めるんだね?琴子」
そこまで詰められて、さすがに私も絶句を解くしかなかった。
「大和は……………仰るように、理恵の子供です。ですが、これ以上は個人情報になりますので、何をお尋ねになられても一切お答えいたしません」
考えた末の回答だった。
予めこう伝えておけば、例え笹森さんが大和の父親に言及したとしても逃げることができる。
少なくとも今日のところは。
後々のことは弁護士に相談して……いや、こういうとき頼りにしていた和倉さんは笹森さんの側になってしまうかもしれないけど。
とにかく、笹森さんがどこまでの情報を得ているのかを把握するのが今日の一番の目的だ。
そう明確に意識した私は、じろりと助手席から彼の反応を窺った。
運転しながら横目でこちらをちらりと見た彼と、視線が絡まる。
だがそれはすぐに外されて。
「全力でシャッターを下ろされてしまったね……」
静かな苦笑いと呟きが返ってきた。
「申し訳ありません」
「でも、これで、誰にも相談せずいきなり工藤さんが退職した理由がわかったよ。大和君を妊娠したから、だね?」
「それは……お答えできません」
「じゃあ父親のことは訊いてもいいかい?」
「………それも、すみません……」
「そう……。それなら最後に、これだけは答えてほしい」
「……何でしょう?」
「琴子がそうやって大和君のことを話さないのは、俺が相手だから?それとも、誰に対しても話してないのかい?」




