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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
隠しきれなかった隠し事
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「それじゃお疲れさまでした。お先に失礼します」

「先生、さようなら」



日暮れがずいぶん早くなった中、私と大和は揃って園を後にした。

いつものように手と手を繋ぎ、小っちゃな手のひらから体温の癒しをもらう。


「ねえねえ琴ちゃん、レンお兄ちゃんもう来てるかなあ?」

「どうかな?今日はお仕事もお休みだって言ってたから、早く来てるかもしれないし、反対に、何か他の用事をしてて遅れてるかもしれないわね」

「ええー?どっち?」

「さあ?大和はどっちがいい?」

「そんなの、はやく来てるほうがいいにきまってるよ!」


ぐいぐいと繋いでる腕を引っ張る大和は、園を出る前から既に興奮気味だった。

今夜は、蓮君が夕食を振舞ってくれることになっているのだ。

メニューは、大和の好きなたまご料理を考えてくれてるらしい。

蓮君は特に料理が得意というわけでもないそうだが、大和がたまご料理が好きだという話になり、その流れで、今度蓮君がオフで私は仕事がある日に手料理を披露してくれることになった。

大和は大好きなレンお兄ちゃんと大好きなたまご料理が揃ってやって来るとあって、昨日の夜から徐々に浮かれはじめていた。



蓮君との待ち合わせはマンション近くのコーヒーショップだ。

ここなら、もし蓮君の到着が遅れても大和と時間を潰すこともできるし、大和お気に入りのドーナツも売ってるので翌朝用にいくつか買って帰ろう、そんな算段だった。


ところが、店が見えてくると、ガラス張りの店内から蓮君が手を振っていたのだ。

それに気付いた大和は大喜びで、「琴ちゃん、はやくはやく!」と急かしてくる。

相変わらず蓮君が大好きなんだなと微笑ましく思う傍らでは、私もどうしようもなく心が弾んでいて、自分が恋愛中なのだと再認識した。

率直に言ってかっこいい蓮君の笑顔に、私をここ最近悩ませていた厄介事も融けていくようだった。



結局私と大和は席には着かず、注文カウンターでドーナツのテイクアウトを購入し、蓮君と三人で店を出た。


「へえ、大和君、ここのドーナツが好きなんだ?」

「うん!チョコレートとお砂糖のかかってるのが好きなんだ」

「そっか。じゃあまた今度お土産に持っていくね」

「ほんと?やったあ!」

「大和、こういう時は何て言うんだっけ?」


両腕を突き上げて喜ぶ大和に、私は保護者らしく誘導した。


「えっと……ありがとう?」

「そうだね。何か嬉しいことをしてもらったり言ってもらったら、ありがとうだね」

「そうだった。レンお兄ちゃん、ありがとう!」


素直にさらに輪をかけたような純粋な反応は、愛おしい以外に感じようがない。

そしてそれは蓮君も同じだったようだ。

私と反対側で大和と手を繋ぎ、「どういたしまして」と目を細めている。

その二人の姿に、私はわけもなく泣きそうになる幸せを感じた。

だがそんな穏やかな時間はいつも突然打ち切られてしまうのだった。



「あれ?もしかして秋山さん―――――?」




瞬時には響かなかったものの、記憶の端には引っ掛かった声に振り向くと、すぐ最近に思い返したばかりの人物が驚いたような表情で私に手をあげていた。

理恵の元同僚である市原君だ。

その様子から見て、おそらくただの偶然なのだろうけど、あんなことを思い出したばかりの私には、恨みたいようなタイミングだった。


私は「知り合いなの…」と手短に蓮君に告げ、目で大和を託すと、二人から離れるように市原君へと歩み寄っていった。



「こんばんは、市原君」

「すごい偶然。秋山さん仕事帰り?」

「うん、そうなの。市原君も?」


彼はネクタイもゆるめておらず、きっちりした佇まいだった。


「残念ながら、俺はこれから戻ってまだ仕事なんだ」


夜なのに爽やかな疲労感を浮かべる市原君。

どうやらその忙しさは彼にとっては苦痛でもないらしい。

確かに、理恵が前に勤めていた職場は部署によっては昼も夜もないほどにハードだったと聞くが、ほとんどが希望してそこに配属されていたはずだ。

……笹森さんも、そうだったから。

ついつい市原君繋がりで連想してしまう自分に、どうしようもないなと無音のため息をついた。



「そう。お疲れさま。じゃあすぐに会社に戻らなきゃね。お仕事頑張って…」

「あ、待って。今いい?ちょっと訊きたいことがあったんだ。ここで会えてちょうどよかったよ」


蓮君と大和を待たせているのですぐに切り上げようとしたのだが、市原君は慌てて私を引き止めた。


「訊きたいこと?」


そのフレーズには嫌な予感しかない。

願わくばそんな予感は外れてほしいが、たいていの場合は当たってしまうのが悪い予感(・・・・)というものだ。

案の定、市原君からは今最も聞きたくなかった名前が飛び出したのである。


「笹森さんが日本に戻ってきたの、知ってる?」


ああ、やっぱり……

肩を落としたくなるのを堪えて、私は気を引き締めた。

彼には理恵のことを隠さなければならないし、すぐ近くには蓮君と大和もいるのだ。

私が握っている事情…私しか知らない事情は、扱い方を間違えればすぐさま、否応なしに私自身の幸せを壊しかねないだから……



「知ってるというより、もうお会いしたわ」


当たり障りのない事実をさらりと答えると、意外なほど強めに訊き返されてしまう。


「え?笹森さんと?」


市原君は言外に ”いつ?” ”どこで?” ”どうして?” といった疑問を纏わりつかせながらも、どこまでを問うていいものか躊躇っている風だった。

この会談を一刻も早く終えたかった私は、彼の疑問を先回りして答えることにした。


「実は私の知り合いが笹森さんとも知り合いだったの。それで、この前、その人と一緒にいる時に偶然お会いしたのよ。今の私達みたいにね」

「へえ……そんな偶然あるんだ。まあ、秋山さんの言うように、まさしく今の俺と秋山さんもそうだけどさ」


市原君はうんうんと頷いてから、すいっと私の背後を掠め見た。

そして閃いたように言ったのだ。


「あ、じゃあ、もしかして笹森さんが言ってたお子さん(・・・・)って、あの男の子のことかな?」

「え?」


スピーディーを心がけていた私に、激しい音を立てて急ブレーキが襲いかかった。



「………お子さん(・・・・)って?笹森さん、市原君にいったい何の話をしたの?」



笹森さんが私のことを市原君に話すのはわかる。

彼は私と笹森さん共通の知り合いでもあるし、理恵の元同僚達の中でも私と市原君がわりと親しい方だったということは、笹森さんも認識しているはずだから。

だが、子供…おそらく大和のことだろうけど、それを市原君に尋ねるのは決して自然な流れではない。

笹森さんはその場にいない人間のプライベートに関することを噂したりぺらぺら吹聴するタイプではないはずだ。

ということは、考えられるのは―――――


私は最悪の展開を予想して、意識が遠のきそうになった。

だって、市原君との会話に大和を登場させるなんて……笹森さんが、大和のことを調べはじめているのかもしれない。


最も恐れていた事態に、私は市原君に掴みかからんほどの勢いで問い質していたのだった。










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