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この際だから理恵と笹森さんの関係について知ってることを教えてほしいと乞うと、彼は微妙に戸惑いを匂わせた。
けれど、何も知らないままで理恵の連絡先を教えるわけにはいかない、私にだったら理恵はきっと許してくれるはずだから、二人のことは私にとっても無関係ではないからと、それらしい言い訳を並べたところ、彼はそれもそうかと納得し、応じてくれた。
理恵の連絡先なんて教えられるはずもないのに、この時ばかりは後ろめたさは潜んでいた。
彼の話では、理恵は入社してからずっと笹森さんに憧れていたそうだ。
笹森さんは人柄も仕事振りもそのうえルックスまでもが完璧で、しかも次期社長候補とあり、相当なモテ方をしていたらしい。
だから理恵が憧れるのも自然なことだった。
理恵はその想いを折に触れ同期の彼には語っていたそうで、彼も多少は協力的だった。
それが功を奏したのか定かではないが、しばらくすると笹森さんと理恵の噂が流れはじめたのだという。
だから私との食事会に笹森さんが参加したとき、同僚達の間では、やっぱり噂は本当だったのかとちょっとした騒ぎになったそうだ。
だが、まさかその食事会で出会った私と後に笹森さんが付き合いだすとは夢にも思わなかったと、彼はぎこちなく笑った。
理恵から何も教えられてなかった私にははじめて聞く話ばかりで、とにかく驚いた。
そんなに昔から笹森さんのことを……?
信じられないという気持ちと同時に、胸に重いしこりを抱えた感覚がしていた。
会社の同期である彼には打ち明けていたことを、なぜ親友の私にはまったく話してくれなかったのだろう……
もしはじめから笹森さんが理恵の憧れの人だと知っていれば、もしかしたらまた違う未来になっていたかもしれないのに。
………いや、そんな過去のもしも話をしたところで、もうどうしようもないのだけれど。
私は忙しなく揺れ動く心情を宥めつつ励ましつつ、彼に話の先を促した。
それによると、理恵と笹森さんが付き合ってるという噂は本人達の耳にも入っていたにもかかわらず、どちらも否定しなかったそうだ。
だから、仕事で接する時間も多い二人の姿を見慣れていた社内の人達はみんな、すっかり彼らが付き合っているものだと思っていた。
なのにある日突然、笹森さんに社外の恋人ができたらしいという新たな噂が広がった。
しかもその相手が理恵の友達だというので、一時は社内全体が騒然としたという。
やがて、何人もの噂好きな同僚が、わざわざ理恵に真相を尋ねにきた。
すると理恵はショックを受けるどころか満面の笑みで認め、私と笹森さんのことを喜んでくれていたそうだ。
彼をはじめ周囲の人間にはそれが強がりだと映ったようだが、おそらくそのときの理恵に嘘はなかったのだろうと私は察した。
もう恋愛はしないと決めていた私が、失恋の傷を癒し新しい恋を見つけられたことを、親友として率直に喜んでくれたのだろう。
理恵らしいなと思う。
でもだからこそ、笹森さんのことは話してほしかったとも思った。
彼が言うには、理恵は私と笹森さんを一度会わせてから、きちんと紹介するつもりだったようだ。
だがその前に、笹森さんが私と出会ってしまった……
その後、彼や同僚達は理恵を元気付けるつもりで食事や飲みに誘ったというが、そこでも理恵は笹森さんと私のことを一切悪く言わず、むしろ自分達は実際は付き合ってなかったのだと告げたらしい。
はじめて噂を否定したのである。
けれどそれを言葉通りに受け取る者はいなかった。
理恵の親友を思いやる優しさがそう言わせたのだと、皆が皆そう感じたのだった。
だが数年が経ち、私達の婚約が囁かれた直後、急転直下で破局の知らせが社内を駆け抜けた。
今度も真相追及に余念のない社内の人間から理恵は毎日のようにインタビューを受けたらしいが、それまでと異なり、一切答えようとしなかった。
無理もない。私の体の事情が別れの原因なのだから、いくら親友でも理恵が誰かに漏らすわけもない。
ただ、彼からの説明はここで終わらなかった。
私との破局が噂されて少し経った頃、彼は社外で理恵と笹森さんが二人きりで会っているのを目撃したらしい。
それも、何度も。
私が笹森さんと付き合いだしてからは、部署が変わった関係で理恵と笹森さんが社内で親しくしている姿は見かけなくなっていたようで、だから余計に、夜の街で二人と遭遇した彼は気になったのだと言った。
そして理恵にもその件を尋ねたところ、理恵は血相を変えたという。
その時点で、彼は何かを察したそうだ。
けれどその何かについては、少々言い淀む姿勢を見せた。
そしてさらに申し訳なさそうに私の様子をうかがってくるので、私はもう笹森さんとのことは過去でしかないと告げて安心させた。
すると、言いにくそうにしていた彼の雰囲気も軟化して、その先を教えてくれたのである。
彼が最後に理恵と笹森さん二人揃っての姿を見たのは、とある高級ホテルだった。
二人きり、親しげな様子で、かなり夜が進んだ時刻。
彼は親戚の結婚式の二次会に参加した帰りでアルコールも入っており、上機嫌そのままに二人に声をかけようとしたそうだが、近寄ってみるとあまりの親密っぷりに、とてもじゃないが呼び止められなかったとため息を吐いた。
それを聞いたとたん、耳に当てたスマホを握る手首からは、異様な振動が響きはじめていた。
ドクンドクンドクンという、まるで映画の緊迫シーンで流れる効果音のような、不穏な響きだ。
理恵が笹森さんと会っていたのは、もしかしたら私の件で笹森さんに意見してくれていたのかもしれない。
私から報告を受けた理恵は相当怒ってくれていたし、彼女の性格なら、上司だろうと誰だろうと、間違ってることはきっちり指摘するはずだから。
だが、冷静に考えてみて、私は時期的な引っ掛かりを覚えてしまったのだ。
理恵の妊娠が発覚したのは、私と笹森さんの別れからしばらくした頃で―――
その自分の考えに、私は愕然としてしまった。
だって、それはつまり…………笹森さんが、大和の父親ということになるのだから。
けれどそう考えると、色々なことに合点がいく。
理恵が周りの大反対にも逆らって出産を決心したことも、絶対に大和の父親を明かさなかったことも、前の職場の人全員と連絡を絶ったことも、相手が笹森さんだったと仮定したら、納得しかない。
極め付きは、大和の名前だ。
”大和” という名前は父親の名前から一文字もらったと言っていた。
そして笹森さんの名前は――――笹森 和。
これはもう、そうじゃないと考える方が難しいだろう。
私はそう悟ったうえで、電話の向こうの彼には平然を装った。
彼は、大和の存在を露ほども知らないのだから。




