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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
隠しきれなかった隠し事
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その未送信メールの作成日は、私が笹森さんと付き合いはじめる少し前の日付だった。

それを読み終えた私は、まるでパンドラの箱を開いてしまったかのような後悔と苦く熱い感情が喉奥から迫り上がってきて、気分が悪くなったのを覚えている。

だってどう読んでもその内容は、理恵と笹森さんの関係がただの上司と部下以上のものだったと物語っていたのだから。


私は全身から血の気が乏しくなるのを感じながらも、記憶のトンネルを遡っていった。

私と笹森さんが知り合ったのは、理恵がきっかけであることは間違いない。

社会人になってからも私と理恵はしょっちゅう会っていて、仕事帰りに食事したりするときなんかは、互いの仕事仲間を連れてくるようになっていって、だから私も理恵もそれぞれの友人知人とも親しくなっていって……笹森さんとの出会いも、まさしくそのパターンだった。



ある日、自分の上司だといって笹森さんを連れてきた理恵。

彼は社内でも有名な人物だったらしく、同席していた理恵の他の同僚も、笹森さんの登場には驚いていたし、意外だとも言っていた。

だがその日を境に笹森さんは毎回食事会に参加するようになり、だから自然と私も親しく話すようになっていったのだけど、よくよく考えれば、そんな有名人である上司が、部下の友人との食事会に一度二度ならともかく毎回顔を出すなんて、ちょっと普通ではなかったのかもしれない。

つまり、笹森さんが食事会に来ていたのは、何か事情があったからでは……?

そう推測するのが妥当な気がした。


思えば、私が笹森さんと付き合うことになったと理恵に報告したときの、理恵の驚き具合は酷かった。

付き合うきっかけは笹森さんの方からだったけれど、私はそれも含めて理恵にはしばらくの間伏せていたので、突然報告を受けた理恵にしてみれば青天の霹靂だったに違いない。


だけどひとしきり驚いたあとは『おめでとう』と言ってくれて、そのときの理恵に違和感なんかまったくなかったのだ。

むしろ、私が自分の体のことで笹森さんとの付き合いに悩んだ際、一番に背中を押して励ましてくれたのは理恵だった。

だからその理恵が、笹森さんと………そんなの、信じられなかった。

笹森さんだって、そんな素振りは微塵も感じなかったし、私は二人をそういう目で見ることすら一度もなかったのだ。

付き合ってる間も、笹森さんはとてももてる人だったにもかかわらず私を不安にさせるような真似は一切しなかったのだから。

彼は常に誠実だった。

つまり、私以外の女性の影を疑う余地すらなかったわけだ。

ゆえに、私と理恵、両方と……なんて可能性は完全否定していいだろう。


ということは、仮定として残るのは、私と出会う前に二人が恋人関係だった……そうとしか思えなかった。



もしかしたら私は、理恵から笹森さんを奪っていたのだろうか?


もしそうだとしたら、いったい理恵はどんな気持ちで私の話を聞いていたのだろう………

とてつもない罪悪感、申し訳なさに、心がつぶれてしまいそうだった。


ただ、数日もすると、この未送信メールだけで絶対的な確証にはならないだろうという、冷静な捉え方も芽生えてきた。

そうは言ってもメールの作成者である理恵はすでに他界、メールの宛先だった笹森さんに連絡を取るなんてできるはずもなく、実際のところを調べる術がなかった。

第一、理恵もおらず、笹森さんともとっくに別れている状況で、今更彼らの関係を暴いても意味がないようにも思えた。

理恵が私に何も打ち明けていないのだから、きっと私には知られたくなかったのだろうし、それをこちらから探るようなことはすべきではないのかもしれない。

だが、迷いと悩みに心が定まらず迷走していたとき、まるで私の事情を盗み見していたかのようなタイミングで、私と理恵共通の知り合いから連絡が入ったのだ。



その人物は理恵の元同僚で、理恵と同じく笹森さんの部下だった。

理恵と同期だった彼は私と理恵の食事会にも何度か参加していて、私とも早い段階で連絡先の交換をしていたのである。

理恵は退職時に元の職場の関係者とは見事に連絡を絶っていたが、私にまで同様にしろとは言わなかった。

だから私は理恵が仕事を辞めて以降も、時折、こうして理恵の元同僚達と連絡を取り合っていた。

なので彼からの電話も、何らおかしなものではなかったのだ。


しかしながら、理恵の死去を伏せなくてはならない状況で、しかも理恵と笹森さんの過去を知ってしまった私は、その電話に出るか否かを大いに躊躇った。

他の元同僚達がそうするように、きっと彼も何気なく理恵は元気かと尋ねてくるだろう。

そして理恵の話題になれば、もしかしたら私は笹森さんとの間柄を探るような質問を彼に投げてしまうかもしれない。

ただでさえ理恵の事故死を隠さねばならないのに、胸に抱えた複雑な迷いまでを秘し通せるほど、私は平常には戻れていない自覚があった。



だが彼は珍しく何度も電話を掛け直してきたのだ。

そのイレギュラーな展開に、もしや何かあったのではと気がかりにもなってしまい、とうとう私は電話に出ることにした。

すると彼は理恵と連絡が取りたいと言った。

私がそれは難しいと答えると、実に言いにくそうに、笹森さんのことで理恵に急いで話があると訴えてきたのである。

そういえば彼は笹森さんの直属の部下だったなと思い出しながらも、私の動揺は誤魔化せなかった。


『笹森さんのことで秋山さんにお願いするのはどうかとも思うけど、工藤のためにも頼むよ。あいつの連絡先教えてくれないか?』


食い下がる彼に、どうしてそこまでするのか、理恵に話したいことなら私が伝えておくからと説得すると、はじめは理恵本人にしか言えないと渋っていた彼も、ついには折れた。


『実は………今、笹森さんが帰国中なんだ』


彼が言うには、理恵の退職を知らなかった笹森さんが一時帰国中にそれを聞き、理恵に連絡を取ろうとしたらしい。

だが電話番号も何もかもを理恵は変えていて、どうすることもできない。

それで彼に相談があったというのだ。


『秋山さんが笹森さんと付き合って…ていうか婚約までしてたのは知ってるけど、もう何年も前のことだし、それに工藤は……えっと、工藤と笹森さんのこと、知ってる、よね?』


流暢に滑らせていたセリフの途中、私の反応に違和感を覚えたのか、彼はその勢いを弱めた。

私と理恵の仲の良さを見てきた彼は、まさか理恵のことで私が知らない情報なんてあるわけないと思い込んでいたのだろう。

気の毒なほどに狼狽えていた。



さすがに申し訳なくなった私が、薄々は気付いていたと、ほんのりと嘘を滲ませて返すと、ホッとした様子だった。

そして私も、ここまでお膳立てされてしまえば、知るべきか知らないままでいるべきかという躊躇いにも決着がつきそうで。


やがて、ずっと直視できずにいた二人の関係を受け入れるためのいい機会なのかもしれないと、”知る決心” を下したのだった。











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