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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
彼には隠しておきたくて
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実家を出た私は、和倉さんから指定されたホテルに向かった。

そこは笹森さんと付き合っていた頃に度々利用していたホテルで、いわゆる高級ホテルの中でもかなりの上位クラスのものだった。

そこの創作和食の店の個室を予約しているらしい。

気さくな人柄に忘れがちになってしまうけれど、和倉さんも笹森さんと同様ハイクラスの人なのだと痛感した。


……蓮君は、どうなんだろう?

まだ知り合って間もなく、ダンサーという職業の環境や事情は全然想像もつかない。

それじゃ蓮君のご実家は?

アパレルメーカーを経営なさってるとは聞いていたものの、具体的な会社名はまだ教えてもらっていない。

ただ蓮君の話では、ご両親はデザインに転向されたお兄様の代わりに蓮君を跡継ぎにしたいとお考えなのかもしれない。

蓮君は『たいした会社じゃないですよ』と謙遜していたが、往々にしてそういう濁すような口ぶりの場合は、思っていた以上の規模であることが多い。

これは笹森さんとの数年にわたる交際期間で経験済みだ。

だとしたら、蓮君との付き合いが深くなったとしても、もしかしたら笹森さんと同じように……


……だめだ。蓮君と笹森さん、二人は全然違う人なんだから。

いくら前の恋愛で傷付いたのだとしても、蓮君を笹森さんと並べて考えるだけで失礼だ。

けれど私は、心の内ではため息をつかずにはいられなかった。

結局、今日の食事会のこと、蓮君には話せないままだったから……


迷いに迷いはしたのだ。

もし自分が反対の立場になって、蓮君が私に内緒で前の恋人と会っていたとしたら、きっとショックだろう。

それに、後々不本意な形で知られることになったら、蓮君にもっと不快な思いをさせてしまうかもしれない。

それは何としても避けたい。

だけど、私と蓮君の関係は恋人としてはまだ熟しておらず、今の段階で笹森さんのことを話題に出せるほど私は強心臓ではなかった。

じゃあ、今日の食事会そのものを断ればいいだけのことにも思えるが、そうもいかない理由があって………

迷いは私の中で晴れることはなかったけれど、私は強い目的意識を持って今日を迎えたのだった。


蓮君には決して知られないよう、和倉さんへは何度も口止めして笑われてしまった。

『大丈夫だよ。俺がそんなデリカシーのない人間に見えるかい?』

そう言った和倉さんは、半分は呆れ口調だったかもしれない。

私だってあの和倉さんがまさか蓮君に告げ口するなんて思ってもないけど、蓮君のこととなると私はこれまでの私ではなくなってしまうのだ。

臆病で、心配性で、軽いキスするだけで飛び上がってしまいそうになる、まるで恋を覚えたての初心者のように。

それだけ、蓮君が特別なのだ。


蓮君への想いをつらつらと並べていると、もう待ち合わせのホテルは目の前になっていた。




「琴子ちゃん、こっちこっち」


ホテルのエントランスに足を踏み入れたとたん、私に手を振る和倉さんに出会った。

仕事帰りなのか仕事を途中で抜け出してきたのかは定かではないが、和倉さんはジャケットを着ておらず、いつも携えているビジネスバッグも持っていなかった。



「こんばんは、和倉さん」


和倉さんに歩み寄っていくと、なにやら意味ありげに微笑まれた。


「よかった。ちゃんと来てくれたんだね」

「お約束しましたから……」

「でもドタキャンしようと思えばできただろう?だから念の為、ここまでお迎えにあがった次第でございます」


冗談めかして胸に手を当て、恭しい身振りでお辞儀する和倉さん。


「……私が怖気づいて逃げ出すのを防ぐためですか?」


確かにその可能性を全否定はできないけれど。

不服を滲ませて問うと、和倉さんは「まあそんなとこだね」とからりと乾いた笑いに変わった。


「笹森もすぐ来ると思うけど、先に店に入っておこうか。俺も今日は早くあがったから一足先に入ってたんだよね。で、そろそろ琴子ちゃんも来るかなと思って出てきたんだよ」

「そうなんですか。それはわざわざありがとうございます」


なるほど、それで身軽な格好だったのかと納得した。

予約してある店はホテルの高層階にあるので、私達はレストラン用のエレベーターに移動しながら会話を交わした。

相手は和倉さんなのだから普段と同じように話せばいいのに、やはりこの後のことを思うと平常心をキープなんてできそうになくて。

そんな私の心境は、和倉さんには手に取るように悟られてしまう。


「今からそこまで硬くなってたら、あいつが来たら大変じゃない?ほら、リラックス、リラーックス」

「無理ですよ……」

「まあ、わからないでもないけど」


和倉さんはククッと息を跳ねさせて、けれどややあってから声色を整えて言った。


「そうだね、今日は覚悟しておいた方がいいかもしれないね」

「覚悟、ですか?」

「ああ」


頷きながら、和倉さんは私達をエレベーターに案内をする動きを見せたスタッフに片手で遠慮を示した。

よく気が付くホスピタリティは以前とちっとも変わらないなと感心するかたわらでは、和倉さんの言ったことは理解できずきょとんとしてしまう。



「……覚悟って、何の覚悟ですか?」


無人のエレベーターに乗り込んでから尋ねると、慣れた手つきでボタンを押す和倉さんと視線がぶつかった。


「あいつ、全力で琴子ちゃんを口説くつもりらしいから」

「え……?」

「北浦君のこと、俺は何も言ってないから、琴子ちゃんにその気がないのならしっかり意思表示しないと、押されちゃうよ?あいつも必死だから、死に物狂いで琴子ちゃんを取り戻しにくるはずだ。琴子ちゃん、押しに弱いところがあるだろう?」

「でも、まさか今さら……」

「あいつにとっては今さら(・・・)なんかじゃないんだろうさ」


和倉さんは含ませた言い方で答えてすぐ、ハッと表情を変えた。

同時に素早くボタンを押し、閉まりかけてたエレベータ扉を開いたのだ。

そして一言呟いた。


「琴子ちゃん、健闘を祈るよ」


何ですか?と訊き返す暇もなく、バッと人影とともに清潔感のあるフレグランスがふわりと漂ってきて。



「……すまない、気付いてくれて助かったよ、和倉」


私の前の恋人であり、元婚約者の笹森さんその人が現れたのである。

彼は和倉さんの奥にいる私に気付くと、にわかに驚いて、けれどまるで映画のワンシーンのように優雅に破顔した。



「琴子―――」



今も耳に残っている声に、私の心を騒がせる予感がしていた。









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