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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
彼には隠しておきたくて
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それ以降、私は笹森さんのことが頭から離れなくなっていた。

朝起きて、大和と一緒に登園して、仕事して、大和と一緒に帰宅して、夜眠るまで、ずっと。

ずっと笹森さんのことが頭にも心にも存在していたのだ。

そしてそれは、蓮君と電話したり、会ったりしてるときでさえ変わらなかった。

蓮君とは毎日のようにテレビ通話しているけれど、ふとした瞬間に、会話運びの隙間に、笹森さんが過ってしまうのだ。

わたしが今好きなのは蓮君なのに。これだけは絶対に間違いないのに。

それなのに、笹森さんのことを、日に日に考えてしまう。

こんな不誠実なまま蓮君とデートを重ねていいものか、後ろめたさは芽生えたけれど、会わないという選択肢は考えられなかった。

それはどこか既視感のある状況のような気がして、最近を思い返すとすぐに正体に辿り着いた。

蓮君に惹かれてるのに付き合えないと頑なだった、以前の私だ。

そのときと酷似していると思ったけれど、ただひとつ、決定的にあのときと違うのは、私が蓮君をあの頃よりもっと好きになっているということだった。


蓮君が好きなのに、元婚約者の笹森さんが気になってしまう。

前触れなく突然私の人生に舞い戻ってきた彼に、当惑するのは仕方ない。

だけどそう割り切れるほど、私の心には余裕がなかった。


蓮君が好きなのに。

……いや。蓮君が好きだからこそ、笹森さんのことを考えてしまうのだ。

蓮君に、知られないために――――




ダダダンッ、ジャ―――ンッ!!


耳に刺激的な効果音が全方位から突き刺してきて、意識が呼び戻された。

思考の深みに沈んでいたせいで、すぐには頭がクリアにならない。

私は静かに辺りに気を配った。


……そうだった、ここは映画館。大和が好きなアニメの劇場版を、蓮君と三人で観に来ていたのだ。

スクリーンはエンディングテーマが流れはじめていた。

映画館のあるショッピングモールは夏休みで混んでるかと思いきや、案外空いていて、お気に入りの店でお気に入りの玉子丼を食べた大和は蓮君も一緒だということで興奮ぎみで、だから私は上映中はおしゃべりしちゃだめよと大和に注意して……

現状把握をしていると、隣の大和がこそっと耳打ちしてきた。小さな小さな声で。


「琴ちゃん、もうお話ししてもいいの?」

「……そうね、今みたいに小さな声だったらいいよ」


ぱらぱらと席を立つグループもいるので、多少は構わないだろう。

私の返事を聞くや否や、大和は反対側の蓮君に話しかけていた。

本当に、蓮君のことが好きらしい。

蓮君も仕事柄小さな子供の相手はとても上手だし、何より大和のことを大切に思ってくれているのが言葉や仕草からあふれていた。

その関係性には嬉しい以外の感想はないはずなのに、今の私の心境には、罪悪感が付き纏う。

考えたくないのに、考えてしまうのだから。笹森さんのことを。




「最近アニメを見るのは仕事関連ばかりだったから、こうやって単純に観賞するのは久しぶりだったんですけど、なかなか奥が深いですね。俺、最後は思わず泣きそうになりましたよ」


大和がアイスを食べたいと言ったので、フードコートの人気店で列に並びながら映画のミニ感想会となっていた。

大和は面白かった、楽しかったと満足げで、蓮君はすっかり感心した様子だ。

意外だったのは、蓮君がアニメにはそこまで明るくないことだった。

素人の私はアニメや芝居、ダンスはどれも同じエンターテインメントの世界だと思ってしまうけれど、分野が違えば交わりもなく、意識的に情報を求めない限りは知らないことも多いそうだ。

考えたら当たり前の話なのに、いかに私が蓮君の職業を勝手にイメージ付けていたのかと思い知った。

一括りにダンサーといっても、その枠は定まっていないのだ。



「でも仕事柄、アニメや漫画好きなやつは多いですよ。いつその関連の仕事がまわってくるかわかりませんしね」


蓮君のフォローに、これではどちらが年上かわからないなと反省した。


「ねえねえ、レンお兄ちゃんはアニメ見ないの?」


私達の会話が一段落するのを待ち構えて、大和が喜々と尋ねた。

映画館で一旦は収まっていた興奮が、フードコートの賑わいで復活してしまったようだ。


「そんなことないよ?誰かに面白いよって教えてもらったらすぐに見てみるよ。大和君は何のアニメが好き?」

「んーとねえ、ぼくの好きなアニメはねえ……」


よほどたくさんのタイトルが頭に浮かんだのだろう、大和は宙を見上げながら一生懸命答えを選びはじめた。

蓮君はその姿を優しく見守っている。

私は大和の思案顔も愛らしいなと頬をゆるめながらも、あと一組列が前に進んだら先にオーダーを決めさせなきゃと、保護者らしい段取りも立てていた。

そんなときだった。



「…………じゃない?ほら、………の」

「ほんと?見間違いじゃなくて?」

「たぶん………」


人混みの音に紛れ、かすかに耳に入ってきた女性の話し声に妙に気を取られたのだ。

何事かと会話のもとを探すと、


「似てるっぽいけど…あ、やばい、こっち見た!」


パッと顔を背けられてしまう。

どうやら、彼女達の会話は私達を示してのものだったらしい。

()というのは、つまり、蓮君のことだ。


あなた方の話は何も聞こえてませんよ、というフリでさらりと視線を通過させると、彼女達からは「よかった……」「一瞬焦ったわ」と安堵の気配が漂ってくる。

これで、ほぼ確定だ。

おそらく彼女達はファンダックのダンサーである蓮君のファンだろう。

以前蓮君と一緒にファンダックに行ったときも、かなりのファンに気付かれていた。

私や大和を連れていたので、声をかけられるということはなかったものの、私達と蓮君に少し距離ができたりすると、どこからともなく写真を撮る音が鳴ったりしていたのだ。

そのときは人気者は大変だなと同情めいたことを思ったものだけど、関係性が変わり、こうしてプライベートな時間を共にするようになると、もう他人事ではない。


どうしたものかと彼女達の様子をうかがうと、ファンダックで遭遇したファンのように、スマホを取り出したのが見えて――――



反射的に私は大和を抱き込んでいた。


「わっ、琴ちゃん、なにするのっ?」


大和は私の足元で苦しそうなクレームをあげたがそれに構ってはいられない。

とにかく私は彼女達の目から大和を隠したかったのだ。

蓮君はどうしたんですか?といった顔で私を見てくるけれど、その双眸が私の斜め後ろに逸れると、眉間に皺を寄せて。


「……あの二人組の女性ですか?」


こそっと耳元で囁かれて、私は極力小さく頷いた。

やはり蓮君はこういうことに慣れているのだろう、パッと見でもすぐに勘付いたようだ。

すると蓮君も立ち位置を移動し、二人組から大和を完全に見えなくしてくれた。

そして大和に「大和君はバニラとチョコレートかな?それともストロベリー?」と訊いた。

私は大和を抱く腕を弱めたので、中から大和がごそごそと身をよじった。


「んーとね、バニラとね、抹茶!」

「抹茶なんて、すごく大人だね。よしわかった。じゃあ僕がアイスを買っておくから、大和君は向こうのゲームのところで琴ちゃんと待っててくれるかい?」


すらすらと指示を口にした蓮君。

大和は「うん、わかった」と疑いもなく笑顔で返事した。


「琴子さんも同じのでいいですか?」

「それでお願い。じゃあ、ここはお任せするわね。……ごめんね」

「いえ、迷惑かけてるのは俺の方なので……。それじゃ大和君、またあとでね」

「うん!待ってるね」



蓮君の素早い判断のおかげで、私の不安は膨れ上がらずには済みそうだ。

私は大和の手を引くと、言われた通りに通路をはさんで向かいにあるゲームコーナーに入った。

クレーンゲームやシールプリントのコーナーが並んでいて、大和とも何度か来たことがある店だ。

入口近くのベンチに大和と並んで腰をおろした。


「ねえねえ琴ちゃん、レンお兄ちゃんが来たら、いっしょにシールの写真とろうよ!」

「そうだね、蓮君に訊いてみよっか」

「やった!」


大和は足をぶらぶらさせながらさっき聞いたばかりのアニメのエンディングテーマを口ずさみはじめた。


写真といえば、さっきの二人組の女の子は、やっぱり蓮君を隠し撮りしようとしていたのだろうか。

蓮君もファンの間ではいわゆる芸能人のような扱いをされているようだし、CMやファンダック特集なんかでテレビ番組にも出演しているから、ファンでなくてもあれだけ整っている顔を覚えてる人は少なくないのかもしれない。

もちろんそれは蓮君に人気も実力もあるという証だけど、今日みたいな仕事外でファンダックと何の関係もない場所にいても尚注目を浴びてしまうのは、窮屈じゃないだろうか。

しかも盗撮なんて……

蓮君はその対処にも慣れた風だったし、私みたいな外野(・・)が彼に同情するのはお門違いかもしれないけれど。

でもこれからも蓮君と付き合っていくなら、私もその対処法を教えてもらう必要はありそうだ。

大和を守るためにも。


あの女の子達は蓮君の写真を撮りたかったわけで、私や大和のことは眼中にもなかったはずだ。

だけど万が一にも、私や大和が写り込んでる画像が世に出回ってしまったら?

そしてもし、その画像が大和の実の父親やその関係者の目に触れることがあったりしたら――――?

考えただけで、ぞっとした。

例え父親本人が気付かずとも、その親が息子の子供の頃によく似ているとでも思ったりしたら………

そんな不安に圧し潰されそうになって、私は思いきり頭を振った。

けれど


「琴ちゃん?」

「琴子さん?」


二人の心配そうな呼びかけが、憂いの沼に沈むのを救ってくれたのだった。









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