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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
幸せが隠しきれなくて ー 蓮 side ー
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信じられないことが起こった。

いや、いつかはそうなってくれると願っていたし、そうなるように振舞ってもいたが、でもまさかそれがこんなに早いタイミングで訪れるなんて思ってもいなかったのだ。


琴子さんが、俺の気持ちを受け入れてくれるなんて。



もともと、控えめに言っても、琴子さんが俺に好意を持ってくれてる確信はあった。

嘘が上手くない彼女は、ふとした拍子に表情がおしゃべりになりがちで、俺のことを好きだけど大和君との生活があるから付き合えない、そんな考えが透けて見えていたのだから。

だから俺は、それならゆっくり距離を縮めていこうと目論んだ。

だがそこへ思わぬ伏兵が現れて、急遽方向転換、強引にも取られかねない早急さで関係を推し進める必要に迫られたけれど。


勝算がなかったわけじゃない。

でも100%の自信があったわけでもない。

何よりも大和君を第一に思っている琴子さんが俺の手を取ってくれるためには、大和君にとって俺が害でないことを証明し続けなければならなかったからだ。

俺はそんな聖人君子ではないくせに、全身全霊でいい人ぶって二人のそばに出入りした。

俺だってまだ20代の男だ。好きな人を目の前にして、それなりの感情が疼くことも一度や二度ではなかったけれど、そんな邪な気配は微塵も匂わせはしなかった。

それをやったら最後だと肝に銘じながら、俺は、琴子さんと大和君に全力で自分をプレゼンする日々だった。


大和君へのプレゼンは、わりと早い段階で手応えがあった。

俺のパレード中の姿が気に入ってくれた大和君は、人懐っこい性格も相まって、すぐに俺を大好きだと言ってくれるようになった。

琴子さんへのプレゼンもこれほど上手くいけばいいのに…そう願ったものの、やはり容易くはなかった。


なかなか進展が見られず悶々としてた頃、明莉が事態を複雑にさせたこともあった。

これは、明莉のことを今まで曖昧なままで棚上げにしていた俺にも責任がある。

あいつを思いやれる余裕はなかったけれど、これまでになくハッキリと意志表示した俺は、そのまま琴子さんと向き合った。


そこで、まったく想像もしてなかった琴子さんの病気や体のことを教えてもらい、酷く動揺した。

だが和倉さんや時生にも知らせてない事情を俺だけに聞かせてくれたことは、驚きながらも、正直嬉しかった。

琴子さんの体調も今はもう心配ないということだったし、俺にとっては、存在もしていない、いつか出会うかもしれない仮定の我が子よりも、琴子さんの方がずっと欲しくてたまらなかったのだ。



そうして、とにかく必死に琴子さんを求めた俺に、琴子さんも頷いてくれたのである。

もう少し時間がかかるかと思われたものの、大和君のことがあってイレギュラーな形で琴子さんの部屋に入れてもらえた俺は、この契機を逃すまいと畳み掛けるように想いを訴えたのだ。

それが功を奏したのか定かではないが、俺はずっと願い続けた琴子さんの恋人という立場を得られたわけで、それはもう絶対に離すつもりなかった。



『―――私、蓮君が好きよ』

『私でよかったら、……よろしくお願いします』



その言葉は、甘い劇薬みたいに、俺の感覚を麻痺させていくようだった。

少し照れた、上気させた頬は、いつも年上然としてる琴子さんをまるで年下のようにも思わせて、俺を魅了して止まなかった。

そうなると、当然、恋人としての欲も出てくるわけで、俺はごく自然に、琴子さんを抱き寄せていた。

そして息が触れ合うほどに近付き、彼女の澄んだ瞳に俺が映っているのを見たとたん、俺だけでなく琴子さんも確かにその時(・・・)を期待しているのだと感じた。

だが、どちらからともなく目が伏せられて、唇に体温の気配が被さりかけたそのとき、俺の後ろで大和君が『んー…』と寝返りを打ったのだ。


俺も琴子さんも、一気に酔いが醒めたようにビクッと体を離した。

大和君は眠ったままだったけれど、俺達を包んでいた恋人の雰囲気は霧散していて、もう搔き集めるのは不可能だった。

二人してばつが悪いとか、苦笑いとか、微妙な面映ゆさを浮かべるしかなくて、その結果、俺はお茶を一杯ご馳走になっただけで、はじめての琴子さんの部屋を後にしたのだった。



危うく、大和君の前で琴子さんにキスしてしまうところだった……


夏の夜風に煽られながらの帰宅途中、猛省したのは言うまでもない。

琴子さんと恋人になって一時間と経たないうちに、俺は自分の理性との闘いをスタートさせなければならなかった。

いくら琴子さんから好きだと告げられたとはいえ、大和君のいるところでそういうこと(・・・・・・)はいただけない。

きっと琴子さんも同じように考えたから、あの時すぐに俺から離れたのだろうし……

……だけど、あの時大和君が寝返りを打たなかったら、俺達はあのままはじめてのキスを迎えていたのだろうか?

何度もそんなことを思い返しては、ちょっとだけ惜しかったななんて悔やんで、また自己嫌悪…の繰り返しだった。


もう29で恋愛経験がないわけでもないのに、小さな子供がいる相手に恋するのははじめてで、いささか勝手がわからないというのが正直なところで。

でも琴子さんが何よりも大和君を大切にしてるのは理解してるので、俺もそのつもりでいなければならない。

それが彼女の恋人の最低条件なのだろうから。

……わかってる。それはじゅうぶんわかってるんだ。

だけど、琴子さんを抱き寄せたときに鼻先をくすぐった匂いとか、唇に感じた気配とか、そのすべてが俺を甘く誘ってくるのだから仕方ない。

だって、こんなに好きになった人、きっとはじめただから。


俺は琴子さんへの想いが高まり続けるのを感じながらも、同時に、理性の手綱をずっと握り続けてなければならない無情の必要性に、眩暈を覚えたのだった。



大和君の前では、恋人よりも ”レンお兄ちゃん” を優先すること。

俺が自身に課したルールである。

この件に関して琴子さんに明確な相談をしたわけではなかったが、俺自身がそうありたいと思っていた。

相談といえば、これから大和君が俺の車に乗る機会も増えるだろうからと、チャイルドシートの購入については琴子さんに尋ねてみた。

琴子さんによると、チャイルドシートが義務付けられてるのは6歳未満らしいが、6歳になった大和君には大人用のシートベルトが着用できる身長になるまでジュニアシートというものを使ってるということだった。

だったらそのジュニアシートを俺の車用に購入しておくと伝えると、琴子さんからは勤務先の幼稚園で卒園生や園児の兄弟姉妹のものをリサイクルしてるので、それを利用してはどうかと提案された。

さすが幼稚園の先生だと感心する一方、琴子さんの倹約家な一面を知って、俺はさらに好きになった。


実は、琴子さんと大和君が二人で住んでるマンションがあまりにもラグジュアリー感があったので、少々戸惑ったりもしたのだ。

何しろあの弁護士資格をいくつも持ってて、どこからどう見てもハイクラスな和倉さんと同じマンションだ。

だが話を聞けば、そのマンションも勤務先の上司から借りてるらしく、普段の生活は質素倹約を心掛けてるのだという。

それを聞いた俺は、より一層琴子さんを好きだなと思った。



こうしてどんどん累積されていくばかりの琴子さんへの想いは、当然ながら、隠しきれなくなっていった。

特に、いつも一緒にいる時生は俺の変化に真っ先に気付いた。


「琴子さんと、何かあったのか?」


琴子さんと恋人になってから一週間と経たないうちに、時生から詰問されてしまったのだ。

本来なら、こいつには俺から報告という形で知らせるべきだったのかもしれない。

だが、明莉とあの夜の公園以来妙にぎくしゃくしてしまって、なんとなく、明莉には打ち明けないのに時生にだけというのは気が引けたのだ。

だから夏のパレードの早朝リハに向かう途中、時生から切り出されると、どこかホッとしてる俺もいた。


「ああ。……付き合うことになった」


言葉を選ぶつもりが、そうとしか言いようがなかった。

時生は瞼がヒクリと動いたものの、


「そうか……」


と答えたときにはいつものようにクールな時生だった。


「あの人は、俺にとっても大切な人なんだ」

「わかってる」

「不誠実なことはするなよ」

「当り前だろ」

「絶対に、傷付けるな」

「泣かせるな、とは言わないのか?」

「……あの人は、泣いてもまた笑える強さがある人だ。泣くようなことがあっても、それをバネにして前に進める人だ」


時生はやけにきっぱりと断言した。

動かない表情のままで。

もしかしてこいつも琴子さんの事情を知ってるのか……?

にわかに心を構えるも、やがて時生はフッと顔つきを和らげた。


「そう怖い顔をするな。何があったのかまでは聞いてないよ。ただ、彼女に何かが(・・・)あったのは知っている。おそらく、とても悲しい何か(・・)。でもだから、お前に泣かせるなと釘は刺さない。だってもしお前が琴子さんを泣かせても、きっと琴子さんはお前のことなんかグググッと踏み込んでバネにするだろうからな」

「……なんだよそれ」


苦々しく返した俺に、時生はハッと笑う。

そして、目の前に同僚の姿が見えてくると、この話題の幕を下ろす合図とばかりに、軽やかに言った。


「蓮、おめでとう。よかったな」



親友の祝福は、早朝の清々しさにも負けないほど、爽やかで心地よかった。










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