12
ずっと、そばに。
ずっと……
その言葉に、私は一旦は収束していた赤面がぶり返してきそうで、反射的にまた下を向いてしまった。
だって、ずっとそばにだなんて、そんなのまるでプロポーズみたいに聞こえて、でも次の瞬間にはそう思ってしまった自分が厚かましく思えて、恥ずかしさにカッと頬が燃えるように熱くなったのだ。
赤くなったり消えたり、かと思えばまた赤くなるなんて、そんな点滅信号みたいな反応、いい歳した大人なのに恥ずかしい。
けれど何の前置きもしてないせいで、蓮君からはまた不安げな声が落とされた。
「……琴子さん?」
呼ばれても、頬の熱がどうしようもなく上昇中では、顔を上げることは叶わない。
けれど、蓮君は不安色を傷心色に塗り替えてしまったのだ。
細く細く、フッと息を吹きかければ消えてしまいそうに弱々しく。
「そんなに困らせてしまいましたか?俺の気持ちは、琴子さんにとって………迷惑でしかないんですか?」
今にも泣きだしそうなほどに震える声で、頼りなさげな口調。
こんな蓮君ははじめてで、私は言下に反論していた。
「そんなことないわ!迷惑だなんて、そんなこと絶対にな………あ」
ガバッと頭を上げた私の真正面には、とんでもなく整った美貌をさらに魅力的に彩る笑みをこれでもかと披露する蓮君が待っていた。
その顔色のどこにも、不安な様子はない。
ましてや傷心だなんて、微塵も連想できなかった。
「……ずるい、騙したの?」
キッと睨むも、蓮君の微笑みが濁ることはなくて。
実際は騙された…とまでは思わないでも、しまった…程度の悔しさは次々と湧き上がってくる。
ふいに、私は蓮君に意外と強引なところがあるというのを思い出した。
いやでもこれは強引というよりも、策士と呼んだ方が似合ってる気もする。
とにかく、私は蓮君のさも傷付いたというような声色にまんまと引っ掛かったのだ。
蓮君はちっとも悪びれることなく、きゅっと、目をもっと細めた。
悔しいけれど、やっぱり目尻のシワも色気があって素敵だった。
「だってこうでもしないと、琴子さん、また俺の顔見てくれないから」
「それは、だって……」
「だって、何ですか?」
「だって……蓮君が、『ずっとそばにいる』なんて言うから……」
「それの何がいけなかったんですか?」
「だって……」
「だって?」
”だって” の早口言葉みたいな応酬に囃し立てられ、うっかりポロリと答えそうになった私は、すんでのところで飲み込んだ。
だって、プロポーズみたいに聞こえた、なんて言えるはずもない。恥ずかしすぎる。
けれど、いい加減私は蓮君の性格を頭に刻むべきだろう。
強引で策士な蓮君が、すんなり引き下がるわけなかったのだ。
「――――琴子さん」
低く呼ぶなり、私の髪の裾に触れてくる蓮君。
「え……?」
こんな理由もない接触ははじめてで、脈が一気に跳ね上がる。
蓮君はいつの間にか真顔に着替えていた。
「自惚れてるわけじゃないけど、琴子さんが俺を嫌ってないのはもうわかってます。俺の存在が迷惑でないことも。もし迷惑なら、いくら大和君のことがあってもこの部屋には入れてくれてませんよね。だから琴子さんは、俺を、好きですよね?」
「―――っ!」
蓮君の指が、私の髪先を小さく小さく揺らす。
そして私に肯定も否定もさせず、髪を撫でながら続けた。
「でも琴子さんが色々考えて、俺の気持ちをなかなか受け入れられないのもわかってるつもりです。だから俺は、琴子さんが心配してることをひとつずつクリアにしていきたい。琴子さんの不安を除いていきたい。そのためには、琴子さんが何を思ってるのかを教えてほしいんです」
「蓮君……」
「だから教えてください。 “だって” の続きは何ですか? 俺が『ずっとそばにいる』と言ったせいで俯いたのは、なぜですか?俺のその言葉のせいで、琴子さんを不安にさせてしまいましたか?」
「違…」
「俺は琴子さんから心配事をなくしたいと思ってるのに、琴子さんに不安ばかりを与えてしまってるんですか?」
「そんなことな…」
「だったら俺は、琴子さんのそばになんていない方がいいのかもしれませんね…」
「違うの、そんな大層なことじゃないの!ただ私が勝手にプロポーズみたいだなって思っただけで、」
「プロポーズ?」
「あ……」
またもや、蓮君に乗せられてしまった。
だが気付いたときにはもう遅くて。
私は蓮君の上手さに白旗をあげるしかなかった。
「そうですか、プロポーズ……」
蓮君は満更でもなさそうに繰り返した。
「いやだから、私が勝手に、」
「いいですね、プロポーズ」
「……はい?」
「もしかして今の、”はい” って返事ですか?」
「ちがっ、違うわ。ただ訊き返しただけよ」
「わかってますよ、そんなに顔を真っ赤にさせて全力で否定しなくてもいいじゃないですか」
唇尖らせて拗ねる蓮君。
でもすごく楽しそうだ。
私は焦りと恥ずかしさがどんどん膨れ上がって、体中におかしな汗さえかいているというのに。
二人のコントラストがあまりに激しすぎる。
蓮君はハハハッとひと笑いしたあと、髪に触れていた指先を私の手まで滑らせて
「さすがに琴子さんにプロポーズするときは、もっとちゃんとしますよ」
うっとりと艶を乗せて告げた。
「それに俺の場合、琴子さんだけでなく大和君からもイエスをもらわないといけませんからね」
「な、何言ってるの?まだ付き合ってもないのに」
慌てふためく私に蓮君は平然と手を握り締めてくる。
「言ったじゃないですか。琴子さんは俺に自信を取り戻させてくれた重要人物なんですよ?そんな人と一緒にいられたら、きっと俺はダンスだけじゃなくていろんなことを頑張れる。だからそんな琴子さんと結婚できるなんて、俺にとってはこの上ない願いなんですよ」
「結婚!?」
まったく想定外の方向に話が進んでしまい、思ってた以上のボリュームで蓮君に問い返していた。
すると、よほどうるさかったのか、ソファーで眠っていたはずの大和が「……けっこん……?」と口をモゴモゴさせたのだ。
私は大急ぎで蓮君の手を振りほどき、意識して口角を上げた。
「大和?起きたの?」
「んん……。けっこん、だれ……するの?」
目をこすりながら、ぼんやり覚醒していく大和。
そんな寝ぼけ眼の大和に、蓮君が真っ先に答えた。
「僕と琴ちゃんだよ」
「ちょ、蓮君!」
私の非難を蓮君は ”まあまあ、いいじゃないですか” といった視線で受けかわした。
大和は目覚め切らない頭で考えたのだろう、わずかな間を置いてから、にへっと頬を緩ませたのである。
「琴ちゃんと、レンお兄ちゃん、けっこんしたら………ぼくも、ずっといっしょ……?」
「うん、そうだよ。みんなずっと一緒だよ」
すかさず蓮君が言うと、大和は一旦開きかかっていた目をまた閉じながらふふっと笑った。
「やった……。じゃあ、けっこんしてほしい、なあ……」
そう言い残し、大和はスゥスゥと寝息を奏ではじめた。
けれどその小さな手は、いつの間にか蓮君のシャツを握り込んでいたのだ。
蓮君が軽く腕を上げて、大和の無言のアピールをそっと見せてくる。
「琴子さんからイエスをもらうよりも先に、大和君から大きなイエスをもらってしまいましたね」
本当に嬉しそうにそう言うから、それが冗談なのか本気なのかわからないけど………もう、どっちでもいいと思った。
だって大和も、満足そうな顔をして、安心しきって眠ってるから。
大和は蓮君が遠くに行ってしまうのを怖がっていた。
母親と会えなくなったように、蓮君ともそうなってしまったらどうしようと不安がっていた。
でも、私が蓮君の手を取ったなら、大和からその不安を拭い去ってやることができるかもしれない……
大和のために、誰とも恋愛しないと決めた。
蓮君に惹かれながらも、その想いに蓋をして、頑なに拒否し続けた。
だけど今、蓮君の気持ちを受け入れることが、大和のためになるのだとしたら……?
もう、私がこの恋心を偽る必要も理由も、どこにもないのかもしれない。
むしろ、大和は私と蓮君が一緒にいることを望んでいる。
子供の意見は水よりも変幻自在だけれど、だとしても、今の私には最も大きな後押しとなってくれた。
「蓮君……」
大和に目を落としていた蓮君が、すぐに私を見てくれる。
それだけでもドキリとしてしまうほど、私は彼に恋をしているのだ。
「―――私、蓮君が好きよ。さすがにいきなり結婚の話はちょっとあれだけど、でも私でよかったら、……よろしくお願いします」
まるでジェットコースターのてっぺんにのぼっていく時のようにドキドキして、こんなのまるで十代の学生の頃に戻ったように初心な心境になった気もして、心底恥ずかしかったけれど、言い終わったときの蓮君の顔が泣きそうに幸せそうだったから、なんだかもう自分のことなんてどうでもよくなってしまった。
たった今から、私達は、恋人になったのだ。




