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「大和君も、僕も、琴ちゃんも、みんな今元気に生きてるよね?それはみんなに命があるからだ。だけどね、この命というものには、終わりがあるんだよ」
「終わり…?」
「そうだよ。大和君は花が好きかな?花は、時間が経てばいつか枯れちゃうよね?」
「うん」
「今このお部屋を明るくしてくれてる電球だって、ずっと点いてるわけじゃない。大和君は、お母さんや琴ちゃんが電球を新しいのと交換してるところを見たことないかな?」
「ある…」
「そっか。そんな風にね、この世界にあるものほとんどには、必ず終わりがくるんだよ。ずっと変わらないように見えるものがあっても、少しずつどこかは変わっていってて、いつかは、終わりがくる。ただ、それがいつくるのかはわからない。終わるまでの時間が長いものもあれば、短いものもある。人間もね、同じなんだよ。いつ終わりがくるのかはわからないけど、必ず終わりはみんなにやってくるんだ。それが、”死ぬ” ってことだよ」
「お母さんみたいに……?」
「うん、そうだね。大和君のお母さんみたいに、若いときに死ぬ人もいれば、赤ちゃんのときに死ぬ人もいる。でも、100歳になってから死ぬ人だっている。大和君に嫌なこと言ったお兄ちゃんは、大和君のお母さんが悪いことしたから死んだって言ったみたいだけど、じゃあ、今まで死んだ人は悪い人ばかりだと思う?赤ちゃんのときに死んだ人は、悪いことをしたから死んだのだと思う?」
ゆっくり、ゆっくりと。
諭すように話しかける蓮君に、大和も自分なりに理解しようとしているように見える。
そして大和なりに考えたのだろう、ややあってから、「ううん」と首を振った。
「そうだよね?人間の命に終わりがくるのは、その人のせいなんかじゃないんだ。だから、大和君のお母さんが死んでしまったのは大和君のお母さんのせいなんかじゃないし、お母さんは悪いことなんかしてない。誰も悪くないんだよ?だけどね、今言ったみたいに、人間の命には必ず終わりがくる。だから、琴ちゃんや僕も、いつかは死んでしまうんだ。大和君のお母さんと同じようにね」
「……そんなの、嫌だ!」
「うん、僕も嫌だよ。……琴子さんも、嫌ですよね?」
さらりと投げかけられて、じっと耳を傾けていた私は返事に一拍ほど遅れてしまう。
私達も理恵と同じようにいつかは死んでしまうなんて、事実だったとしても今の大和に説明すべき内容ではないと思えたが、蓮君の優しい口調と真剣な目を信じて、任せることにした。
「ええ、もちろん嫌よ。ずっと大和と一緒にいたいもの」
「僕もです。大和君も、そうだよね?」
「うん。琴ちゃんとレンお兄ちゃんとずっといっしょにいたい」
「でも、どんなに一緒にいたいと思っても、いつか終わりがやってくるのは誰にも止められないんだ。だから、大和君がさっき『琴ちゃんはお母さんみたいに死なない?』って訊いたとき、琴ちゃんは答えられなかったんだよ。琴ちゃんは嘘をつかない正直な人だからね。その正直な琴ちゃんが、さっきから何回も、大和君とずっと一緒にいるって言ってるよ?ということは、人間はいつか命が終わるときがくるけど、それまでずっと大和君と琴ちゃんは一緒ということだ」
「でも、琴ちゃんもレンお兄ちゃんも、お母さんみたいに死んじゃうんでしょ?」
「僕達だけじゃない、大和君もだよ?」
「あ…」
「だから、そのときがくるのがちょっとでも遅くなるように、みんなで頑張ればいいと思うんだ」
「……どうやってがんばるの?」
「どうやって頑張ろうか?長生きできるように気を付けたらいいと思うけど、そうだな……例えば、好き嫌いなく何でも食べるとか、よく寝るとか、体にいいことをしたり、反対に外では危ないことしないとか……琴子さん、他に何か思いつきます?」
今度はふわり、と柔らかく意見を求められた。
蓮君のにつられて大和もこちらを向いたけれど、その顔色も蓮君につられたようで、ずいぶん軽くなっていた。
ほんのさっきまで響いていた、この世の悲しみをかき集めたような泣き声が、まるで魔法のように姿を消したのだ。
子供相手の仕事をしているのに、大和が相手だと私はどうしても慌てふためいてしまう。
蓮君の態度を見習わなくては……そう感心したところで、彼も仕事柄幼い子供を相手にする機会が多かったことを思い出した。
おとぎ話の世界で働く彼にとっては、小さなゲストをささやかな魔法で包み込む対応も、決して珍しくなかったのかもしれない。
「そうね……よく笑う人は長生きするって聞いたことがあるから、たくさん笑った方がいいと思うわ」
「じゃあ、ぼく、やっぱりもう泣かないよ!そのかわりにいっぱい笑う!」
「大和、さっきも言ったけど、泣くのを我慢しなくていいのよ?泣きたければ泣けばいいの。我慢はしないでほしい。できれば、大和が泣きたくなった時は、私のところに来てほしいな」
「でも琴ちゃんは、ぼくのために、泣くのをがまんしてるんでしょ?」
「それは、まあ、そうだけど……」
「だったらぼくもがまんする!」
「だけど大和は子供でしょう?私は大人だから我慢できるけど、子供の大和は…」
「じゃあ二人で一緒に泣けばいいじゃないですか」
何を言ってるんですか?とでも言いたげな口ぶりで入ってきた蓮君に、私と大和が揃って顔向けた。
「大和君はもちろん、琴子さんだって、泣くのを我慢し過ぎるのは体によくないですよ?泣きたくなったら二人で一緒に泣いて、そのあとでまた一緒に笑い合ったらいいんですよ」
「でも、ぼくはいい子でいないと、お母さんに会えないんじゃないの?」
「そんなことないわ。大和、泣かないからいい子っていうわけじゃないのよ?今蓮君も言ったでしょう?泣いても、また笑えたらいいのよ」
「二人で、ね。琴子さんも、泣かないからって、それがいい保護者というわけではありませんよ?会えなくなった人を想って泣くのは、何も悪いことじゃないです。その人に会いたい、大好きだって言ってるのと同じなんですから」
ね?と笑顔を見せられて、それがとても温かくて、まるでずっと張り詰めていた心まで包み込んでくれるようで、それから……かっこよくて、私はとても直視できずに目を伏せてしまった。
だけど、蓮君が言ったことは、素敵だなと思った。
会えなくなった人を想って泣くのは、その人を大好きだと言ってるのと同じ……
そう思ったら、今度大和の前で涙しかけることがあっても、気持ち的に楽かもしれない。
母親代わりがべそべそしてるなんてと、自分を責めずに済むかもしれないから。
私は、抱えていた荷物の大きさは変わらないのに、その重さがはらりはらりと解け、剥がれ落ちていくのを感じていた。
「そっかあ、ぼく、泣いてもいいんだ」
「うん。でも、泣かなくてもいいんだよ?どっちでもいいんだ。泣いたあとで笑うのも、泣かずに笑うのも、どっちも笑顔に違いないんだからね」
「笑ってたら、ながいきできるんだよね?そしたら、みんなでずっといっしょにいられるんだよね?」
「大和……」
「そうなったらいいね、大和君」
「うん!あーあ、お母さんも、死んじゃう前にレンお兄ちゃんと会ってたらよかったのに……」
「どうしてだい?」
「そしたら、ながいきのほうほう、何コもおしえてもらえたでしょ?そしたら、死ななかったもん」
「大和君……」
この部屋に来てから、蓮君が言葉を失ったのははじめてかもしれない。
私はぽんぽん、と大和の頭を叩き、蓮君から会話のバトンを譲り受けたのだった。




