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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
恋をはじめてほしい理由
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私が戸惑いながらスマホを耳から離すと、しゃっくりをするようにヒッ、ヒッ、と浅い息継ぎが続いている大和が小さな手を差し出してきた。


「琴、ちゃん…、ぼくも、レンお…兄ちゃん、おはなし、した…いよ……」

「あ……ごめんね、電話は切れちゃったの」

「ええ……っ?」

「あ、でも、蓮君今すぐここに来てくれるって。だから、蓮君とお話はできるよ?」

「本当、に?」

「うん、本当だよ」

「レンお兄ちゃん、一緒に、いてくれる?」

「うん、大和に会いに来てくれるよ」

「う……」


蓮君に会えると聞いてホッとしたのか、大和はまたうわぁ―――んと声をあげた。


蓮君にいきなり今から行くと言われて驚いたけれど、大和の様子を見る限りではむしろ歓迎すべきなのかもしれない。

私が思う以上に、大和は蓮君を求めているようだ。

蓮君は、今の段階で私以外に大和が最も心を開いている相手なのだろう。

保護者役としては多少複雑でも、大和にとって蓮君の存在がこんなにも大きくなっているのだと再認識せざるを得なかった。



蓮君は宣言通り、あっという間に私達の住むマンションまで駆け付けてくれた。

マンションの前に着いたと電話を受け、部屋番号を伝えてオートロックを解錠すると、大和はファンディーを連れて玄関に走って行った。

さっきまでに比べたら幾らかは興奮もおさまってきていたが涙はまだ乾いておらず、ズズ、と鼻をすすりながら。


そのあまりにも一生懸命な姿に、私は、ふと思うことがあった。

今大和がここまで蓮君に感情的になるのは、もしかしたら……

だがゆっくり悩んでる間はなく、玄関のインターフォンが高らかに響いた。



「琴子さん、大和君は…」

「レンお兄ちゃん!!」


私が扉を開くなり、ぐいっと飛び込んできた蓮君に、大和も全身で飛び込んでいった。


「――大和君、大丈夫かい?あ、小さな子に大丈夫って訊いちゃいけないんだった……」


しまった、と一瞬たじろぐも、大和はお構いなしに蓮君に抱きついて離さない。


「レンお兄ちゃんは、どこも、行かない?ぼくを、一人に、しない?」


一旦は止んでいた浅い呼吸が、再びはじまってしまいそうだ。

蓮君はまだ靴も脱いでいないのに。

私はとにかく部屋に戻るべく、大和を蓮君から引きはがして抱き上げた。


「大和、大和、蓮君にいきなりそんなこと言っても、困らせちゃうよ?だから蓮君にもお部屋に入ってもらおう。ね?……あの、散らかってますけど、どうぞ」


とんとんとん、と抱えた背中をあやしながら、蓮君には目線で促した。


「あ……すみません、お邪魔します」


まさか蓮君のはじめての訪問がこんな形になるとは、夢にも思っていなかった。

ただ今は大和が最優先、そんなことを気にしてる場合ではないのだ。

けれどそうは言っても、さっき蓮君が漏らしたひと言で、彼が小さな子供との接し方に留意してくれてるのだと知り、得も言われぬ感情が湧き上がってくるようだった。

やっぱりこの人も、大和のことを大切に考えてくれているに違いない……と確信を持って。



リビングに入ると、「何か飲み物を…」そう言いかけた私を遮って、大和が身じろぎして下におりてしまう。

大和はそのままタタタッと蓮君めがけて、体当たりしたかと思えばきゅっと長身の彼を見上げて。


「ねえねえレンお兄ちゃん、ぼくのお母さんはね、死んじゃったの。いい子にしてたら、いつか、また、会えるよって、琴ちゃんも、幼稚園の…先生も、園長先生も、みんな言ってたのに、でも、本当は、もう会えないんだって……」

「大和君……」


蓮君は大和に触れながらその場にしゃがみ、ちらりと私に目で確認を取ってきた。

小さく頷いた私に、蓮君からも同じ仕草が返される。


「……そうか、大和君のお母さんは亡くなって…死んでしまったんだね……」

「うん……。お母さん、ぼく、もう、会え、ないよお……」


両手で目を強くこすり、幼いながらにとめどない涙をどうにかしようとする大和が、切なくてかわいそうで愛おしくて。


「大和……」


大和の後ろ側で膝を折った私は、微かに震えるその頭を撫でた。

指先に、出来得る限りの想いを乗せながら。


「ねえ、死んだら、本当、に、も……会えないの?お母さんは、どこに、行っちゃ、ったの……?お母さんに、会いたいよぉ……っ!」


そう叫んだ大和は蓮君の胸に額を押し当てて、ぐいぐい左、右へと回す。


「お母さん、どうしていないのおっ?ぼく、お父さんもいないのに、ど、して、お母さんも、いなく、なっちゃったのっ?なんで?お母…さん、どこ……ぅ」


こういう時は、吐き出せるだけ吐き出させた方がいい。

だけど大和から聞こえてくる言葉はどれも悲しすぎて、情けなくも、私は自分自身が傷付いてしまいそうになっていた。

こんなんじゃ保護者失格だ。

この上なく傷付いてる大和を前に、私が痛がったりしてはいけない。

心で自分を叱責し、私は大和の背を擦りながら何度も何度も繰り返して伝えた。


「大和、私はずっと大和と一緒にいるから。いつも大和のそばにいるから。ずっとだよ?ずっとずっと、ずーっと、大和が嫌だって言っても、私は大和のそばから離れないからね」


どうか、どうか大和に伝わりますように。

自分は一人じゃないんだと、大和にわかってもらいたい。感じてもらいたい。

その一心で同じような言葉を重ねていった。

むしろそれしか、私にはできなかった。

大和の母親、私の親友理恵の死について、大和に何かを冷静に告げられるほどの余裕は、今の私にはなかったのだから。



理恵の死から、まだ一年しか経っていない。

大和が母親を失ったのと同じように、私もたった一人の親友を失ってしまったのだ。

親友の小さな忘れ形見を守らなくては。

大和を慈しみたい。

本気でそう思ってるにもかかわらず、私自身が親友をなくした辛さから簡単には立ち直れなかった。

そんな私の中途半端な心境が、大和が母親と向き合うことを遠ざけていたのは間違いないだろう。


しかも大和の場合は、そこに父親のこともある。

幼い頃は父親がいないという環境も母親が有耶無耶に靄で覆っていたけれど、その母親までいなくなってしまった今、その扱いは母親代わりの私に一任されたのだ。



「ねえ、死んじゃったら、もう、会えないの?お父さんも、死んじゃったの?ぼくのお母さんと、お父さんは、どこに行ったの?お母さんは、もう、いなくなっちゃったの……っ?」

「大和……」


もう何年もの間たくさんの子供と接してきたのに、大和以上に泣きわめく子供達だって何人も触れ合ってきたのに、どうして私は今こんなにも不甲斐ないのだろう。

”そんなことないよ” ”いつかまた会えるよ” 園の子供が相手だったら、そう言って慰めていたはずだ。

なのに今は、そんな覚束ない言葉で大和を悲しみから引っ張り上げることは無理だと、肌で感じていた。



「ねえ、ぼくの、お母さんは、どうして、死んじゃ、ったの……?わるいこと、したの?」

「そんなわけないでしょう!………あ……、聞いて?大和のお母さんは、何も悪いことなんてしてない。とっても優しくて、素敵な人なんだから。……もしかして、誰かにそんなこと言われたの?」


思わず声を荒げてしまった私に驚いた大和は、ヒクッと短く息を吸って、その反動で涙も吸い込んだようだった。


「……だって、おむかえに来てたお兄ちゃんが言ってたもん」


おずおずと、顔だけを横向かせて私に答える大和。


「何て言ってたの?」

「おまえのお母さんは、ばちが当たったんだって……」

「ばち?」

「うん。おまえのお母さんは、けっこんしてる人からお父さんをとったから、それでばちが当たって死んだんだって」

「な……っ!」


あまりの衝撃に、視界がチカチカッと点滅する。

雷に打たれたようなショックとは、まさにこのことだろう。


「誰がそんなこと言ったの!?」

「おむかえに来てた、しらないお兄ちゃんだよ。もしかしたら、だれかのお兄ちゃんのともだちかもしれないけど……」

「誰が言ったとしても、そんなの全部嘘よ。大嘘。全部間違ってるわ」

「ほんと……?」

「本当に決まってるじゃない!大和のお母さんは罰が当たるような悪いことは何もしてないんだから」

「じゃあ、お母さんは、けっこんしてる人から、お父さんをとったりしてない?」

「もちろんよ。だって大和のお父さんは―――」


怒りに追いやられるようにして即答した私は、振り上げた拳を落とす直前、まるで石にでもなったように固まってしまった。

大和の父親に関しては、絶対の確証がなかったからだ。


当時、理恵は私にそのことについて話したがらなかったし、私もよけいな詮索はしなかった。

ただ、相手が理恵の妊娠に気付いていないということは聞かされていた。

だけど自分は絶対にこの子を産みたいのだと、相手の男性には認知も求めず、知らせるつもりも迷惑もかけないと、理恵は鬼気迫る勢いで訴えた。

将来的に大和が父親を知りたがれば教えるつもりはあったようだし、私にもいつか打ち明けたいとは言っていた。

けれど、理恵が事故に遭って色々と手続きが必要になった際、遺言状にも、遺品のどこにも、大和の父親についての明記はなかったのだ。

だから今ここで、大和の父親を話題に取り上げることはできなかった。


すると、言葉を飲み込んだ私をフォローするように、蓮君が「大和君」と穏やかに呼んだ。

そして、くるっと顔をまわした大和の目元に浮かぶ涙の残骸を、そっと優しく拭った。



「その知らないお兄ちゃんは、他にも何か言ってたかい?」

「………ぼくのお母さんはわるいことして死んだから、天国にはいけないんだって……」

「―――っ!」


何てことを!

怒りが止まない私に、蓮君が大和を挟んで目で合図してきた。

”ここは任せてください” と言われてる気がした。

私は大和に悟られぬほどのささやかな頷きを返した。


大和の父親については、保護者の間で多少噂されるかもしれないと職員会議でも危惧されていた。

だが他にも母子家庭、父子家庭の子供もいたので、心配していたほどには、大和に父親がいないということも話題にはなっていなかった。

それ以上に、唯一の家族だった母親を事故でなくし、母親の親友だった私が引き取って育てているという事情は美談として広がっている印象もあったのだ。

だから大和の話を聞くまでは、大和の母親がそんな言われ方をしてるなんて想像もしていなかった。


”結婚してる人のお父さんをとった” というのは、おそらく、不倫関係の結果大和が生まれたと言いたいのだろう。

何も知らないくせに。

私でさえ真実をすべて知らされていないのに、いったい誰がそんな適当なことを言い出したのだろうか。

質が悪いのは、疑問形ではなく、さもそれが100%正しい事実であるかのように人の口から耳へ感染していくことだ。

大和に心無いことを言い放った男の子だって、きっと親やまわりの大人たちが好き勝手に言ってたり聞かされたりした内容を、幼稚ゆえに当事者の大和に教えたのだろう。

大人の責任も大きいが、相手のことを思いやれない、意地悪な子供だと腹立たしく思う。

教育者として不適格な感情かもしれないが、大切な大和を傷付けられたのだから当然の感情でもある。

蓮君にこの場は預けると判断したにもかかわらず、わなわなと怒りで腕が震えてきそうだった。



「ところで大和君、その知らないお兄ちゃんは、生きてる人間だったかい?」

「え?」


突然、それまでのやり取りがバッサリ折られるような、ドキリとする質問が蓮君から投げかけられた。

大和はきょとんとして。


「うん……、生きてるよ。だって、ぼくと話したもん」

「そうか、じゃあ、そのお兄ちゃんは、死んでない(・・・・・)んだね?」

「うん、そうだよ?」

「だったら、どうしてそのお兄ちゃんに人間が死んだ後のことがわかるんだい?」

「え?……どうしてだろう?」

「ほら、わかるわけないんだよ。だって、生きてる人間は死んだことがないんだから。だから、死んだ後のことなんかわかりっこないんだよ」


なぞなぞのような言い回しに、大和はすっかり涙を乾かしたようだった。







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