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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
恋をはじめてほしい理由
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心の底からの絶叫は、その小さな体では全部を共鳴しきれないように、有り余って暴れ回って、大和自身の心までを傷付けてしまいそうで、私は必死に掻き込んで抱きしめていた。


「琴ちゃ、ん、……琴ちゃん、は、どこ…にも、いか、行かない……?」

「当り前じゃない!絶対に大和を置いてどこにも行ったりしないわ!約束する」


何度も何度も何度も、大和が訊くたびに私は何度も答えた。

どこにも行かない、一人にしない、ずっと大和と一緒にいると。

その間ずっと、大和は私のエプロンを握り込んでいた。

まるで、”どこにも行かないで” と訴えるように。

その仕草があまりにも懸命で、だから私も懸命に瞼に力を加えていた。

そうしてなければ、とめどなく涙があふれてしまいそうだったから。


けれどそうしてるうちに、大和は泣き疲れてしまい、ヒックヒックと激しかった呼吸も次第にトーンダウンしていき、そしてそれが静かな寝息に変わっていった。


私は肩に増した重さを愛しく感じながら、今まで震わせていた背中をそっと撫でた。

何があったのかはわからない。

誰かに母親のことで何か言われたのかもしれない。

”死” という概念において個人差があり過ぎるこの年頃の子供達の中で、大和に限らず、友達同士の間で食い違って言い争うということは、時折見かける光景だった。

漫画アニメ、ゲームの影響で、死んでもまた蘇る、例え蘇らなかったとしても何らかの形でまた会える、本気でそう思っている子供は意外と多いのだ。


だが無理もない。

生まれてからまだたった数年、現実に近しい人間との死別を経験してる子供の方が少ないのだから。

物語以外で ”死” に出くわすことはほとんどないはずだ。

もし犬や猫といったペットを飼っていればその機会は増えるのかもしれないけど、それでも、たった数年程度の時間では、まだまだ悲しい別れは迎えていない場合が多いだろう。

そして、”死” を認識しきれていない子供達に対し、現実に ”死別” を経験してしまった一部の子供達が何かしらのアクションを起こすというのは、ある意味仕方ない展開だった。

おそらくは、大和にもそれに近いことがあったのではないだろうか。

園内でケンカがあった様子はなかったらしいので、どこで誰に何を言われたのかは不明だけど……



「……お…ぁさん……」


ムニャムニャと唇が動く。

私は柔らかな頬に指先を添わせた。


こんなに小さな大和に圧し掛かる悲しい現実を、できることならずっと知らせないままでいたかった。

だけどそんなのは土台無理な話だ。

避け続けても現実は変わらないし、幼い大和は毎日成長していくのだから。


指先から伝わる温もりは、私に、大和の母親代わりとしての責任を思い出させてくれた。

それを果たすべく、心を引き締めなければと強く思う。

そして、しっかりしなさいと自分を咎立てると同時に、やはり恋愛に時間を割いてる余裕はないのだと、改めて実感することとなった。


すっかり熟睡した大和をベッドに寝かせ、リビングに戻った私は、すぐさまバッグからスマホを取り出した。

蓮君に、最後のメールを送るために。





”こんばんは。最近会ってないけど、元気ですか?

突然こんなメールをしてしまって、ごめんなさい。

だけど、どうしても蓮君に伝えたいことがあったので、メールを送らせても

らいました。

もう、私は蓮君とは会うことはないと……”





大和のことを一番に考えるなら恋愛事は後回しにすべきで、とても蓮君と付き合ってる余裕はない。

だから曖昧に先延ばししていた答えを蓮君にきっぱり伝えなきゃ……

頭ではそう結論付けたのに、メールの文章を綴る指が、途中でぴたりと動かなくなってしまう。


もう蓮君とは会えない、蓮君の気持ちには応えられない、さっさとそう文字にして送れば済む話だ。

直接会ったり電話で声の調子を知られてしまえば、敏い蓮君を誤魔化すことは難しいだろう。

だけど指先の言葉なら、私の本心を見抜かれる可能性もまだ低いように思えるから。

メールを送信して、蓮君の返事を待たずすぐに着信拒否して、携帯番号も変えてしまえばいい。

そこまでしたら、さすがに蓮君も諦めてくれるだろう。

……自分でそんな想定したくせに、その刹那、体の芯からヒヤリとした感情が波打ってくる。



蓮君と会えなくなるなんて嫌だ―――



蓋をしてしまいたい気持ちが私自身に哀訴してくるけれど、それでも、私にとって何よりも大切にしたいのは大和以外にあり得ないのだ。


長年幼稚園教諭として働いてきた経験から、大和を育てることにもそれなりに自信があったのに、さっき泣き叫ぶ大和を目の当たりにして、私はとんでもなく焦ってしまった。

いつもと様子が違う大和に声かけをはじめた辺りまでは、しっかり注意を怠らず、落ち着いていられたと思う。

だけど大和が母親の死を口にした瞬間から、私はどうしようもなく動揺してしまったのだ。

ただただ、破裂しそうなほどに泣きわめく大和を抱きしめるしかできなかった。

幼稚園副園長が聞いて呆れる。

己の不甲斐なさを再認識したなら、もう蓮君と会ったり浮ついた気分は捨てるべきだ。

私のすべてを大和に集中させなければ。

心に灯ったその決心を頼りにするしか、私には大和を守る手立てはないように思えた。

だから蓮君とは……


今一度、メールを打つ指を動かしたその時だった。


ガタン!


寝室の方で騒がしい気配がしたかと思えば、私の手の中のスマホがけたたましく鳴り出したのである。

メッセージ通知ではなく、電話の着信を告げる音だった。

けれど比べるまでもなく、私の意識は電話よりも真っ先に寝室の大和だ。

目を覚ましたのだろうかと急いで立ち上がると、バタンッ!と寝室の扉が激しく開いて、大和がこちらに駆けてくるのを察した。

ならば、ここで待ち構えて思いきり抱き締めて迎えよう。

そのつもりでスマホをテーブルに置こうとした私の視界の端、無造作に入り込んできた四角い画面には、”北浦 蓮” の名前が表示されていた。




「琴ちゃん!一人にしないでよお……」


リビングに飛び込んでくる大和。

泣き疲れて眠ったはずの大和は、まだ涙を果てさせていなかった。

わんわんと頬を真っ赤にさせて、汗で額や耳まわりに髪が張り付いていて、コロコロと後から後から涙の粒が転がり落ち続けるばかりだ。

大和に縋りつかれる体勢でラグに尻もちついた私は、膝の上に大和を乗せて背中を撫でた。

握ったままだったスマホはまだ音を奏でていたが、私は裏向けてラグに滑らせた。

すると、大和がそれに俊敏に反応したのだ。


「琴、ちゃ……、電話、なって、るよ……。電話、誰……?」


ヒクッ、ヒクッ、と息を刻みながら訊いた大和は、私から体をはがすとスマホを指差した。

出なくていいの?といった風情に。


「うん、お友達からだよ。あとでかけ直すから大丈夫。今は大和とお話ししたいんだ」


だが誤魔化した私に、大和はグズングズッ…と鼻をすすりつつ、鋭く指摘してきたのだ。


「レンお兄、ちゃん、…からじゃ、ないの……?」

「え?」


あまりの図星に、咄嗟には濁せなかった。

大和は私が言葉に詰まると素早く膝から降りてスマホに手を伸ばした。


「あ、大和、違…」


ワンテンポ出遅れてしまった私の腕をよけて、大和は電話に出てしまう。


「もしも…、レン、お兄ちゃん?」


両手でスマホを持ち上げて、泣き声だと丸わかりな声で。

背中を丸めて、肩を小刻みに上下させて。


「ねえレ…お兄ちゃん、レンお兄ちゃんも、いなく、なっちゃうの……?」


そう言ったあと、うわ―――ん!と、大和は声にならない声で感情を爆発させた。


「……大和」


呼ぶと、コトンとスマホを落とし、「琴ちゃんも、レンお兄ちゃんも、いなくなっちゃ、やだよお……」と私に抱きついてきた。


「大和……」


私は震える小さな体をしっかり受け止めてから、ラグの上に置き去りにされたスマホを拾い上げた。


「大和、私はこうして大和のそばにいるでしょ?どこにも行かないよ。だから大和、蓮君も電話の向こうでびっくりしてると思うから、ちょっとだけ蓮君とお話しさせてくれるかな?」

「うん……」


大和が頷くのを待ってから、私は右腕で大和を支え、左手でスマホを耳に当てた。



「もしも…」

《もしもし大和君?どこにいるんだい?大和く………あれ、琴子さん?》


全力で大和に呼びかけていた蓮君は、はたと、勢いを削いだ。


「ごめんなさい、驚かせてしまって」

《ああ、いえ、琴子さんも一緒なんですね?ならよかった……そんなことより、大和君どうしたんですか?あの泣き方は尋常じゃないですよ》

「うん……そうなんだけどね……」


心配させてしまった手前、適当にはぐらかすのもできず、どうしたものかと返事を淀ませる。

だが蓮君の想いは私の躊躇いを簡単に飛び越えてしまうのだった。


《琴子さん、今家ですか?》


気遣わしげに問われて、私が正直に「そうなの」と答えるや否や、


《俺、今すぐそちらに伺います!》


有無を言わせずに告げ、通話を切ってしまったのだ。








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