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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
恋をはじめてほしい理由
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「ねえねえ、レンお兄ちゃんはブロードウェイに行ったことあるかなあ?」


大和は好奇心を隠さない。

私は握っていたスプーンをランチョンマットに置き、首を傾げた。


「さあ……どうかな」

「琴ちゃん、レンお兄ちゃんから聞いたことないの?」

「何を?ブロードウェイのこと?」

「うん、そうだよ。ぼく、知ってるんだからね。ぼくがベッドに入ったあとときどきレンお兄ちゃんと電話でおはなししてるでしょ?」


えっへんと威張り気味の大和に、私は少々たじろいでしまった。


「大和、知ってたの?」

「うん!琴ちゃん、たのしそうな声で『レンくん』って言ってた。だからぼく、ベッドでじっと静かにしてたんだ」


そしたらいつの間にか寝ちゃってた!

えへへと可愛らしい笑顔の大和に驚かされてしまう。


「起きてたなら、どうして、ぼくも一緒に蓮君とお話ししたいって言わなかったの?」

「だって、琴ちゃんがぼくの家におとまりしに来たとき、いっつもお母さんに『夜はおとなの時間だから大和はおきてきちゃダメ』って言われてたもん」

「ああ…………そうだったわね」


それは、理恵の生前によくあったことだった。

私は二人の家によく泊まりにいって、大和がベッドに入った頃からアルコールがテーブルに並び始め、そこから二人で夜中まで話したものだ。

私が泊まるというイレギュラー感に大和は興奮して、一度寝付いた後もすぐに起き出しては母親の理恵に叱られていた。

ほんの一年前にもあった光景なのに、もう懐かしくてたまらない。

だが母親ともう会えないとは理解していない大和は、母親との思い出よりもまだ ”ブロードウェイ” が気になってしょうがないようだ。



「だから琴ちゃん、レンお兄ちゃんがブロードウェイのこと何か言ってなかった?何も聞いてない?」

「んー…、ブロードウェイがあるニューヨークという街に住んでたことがある、って言ってたかな」

「え、本当?」

「うん。ニューヨークとかブロードウェイは世界中からダンスが上手な人が集まってくるから、それで蓮君も行ってたんだろうね」

「そっかあ、ダンスの上手な人がいっぱい来るばしょなんだ。すごいね、レンお兄ちゃん」

「本当だね」


大好きなレンお兄ちゃんにさらに羨望のを向ける大和。


「だったら、もしかしたらブロードウェイも行ったことがあるかもしれないね」

「そうね……行ったことは(・・・・・・)あるかもしれないわね」


ブロードウェイの舞台に立ったことはないみたいだけど、ニューヨークにダンス留学までしてるなら、勉強も兼ねてきっと観劇はしているだろう。

大和は私の返事を聞くや否や、パッと目を輝かせた。



「すごい!レンお兄ちゃん、ダンス上手だもんね」


小さな体全身で感心したあと、タタタッと私の足元に駆け寄ってきた。

そして「じゃあ、レンお兄ちゃんはいつかまたブロードウェイに行くのかな?」と深くは考えずに訊いてきたのである。

大和が蓮君とブロードウェイのあれこれを知ってるはずもないけれど、偶然にしては出来すぎじゃないかと内心でため息がこぼれる。

私はちょっとの躊躇を抱え、真下にある大和の頭を撫でながら答えた。


「そうだね、もしかしたら……いつか、ブロードウェイに行っちゃうかもしれないね」

「じゃあもしレンお兄ちゃんがブロードウェイに行ったら、ぼくたちもいっしょに行こうよ!」

「ぼく達って?」

「ぼくと琴ちゃんとお母さん!」

「―――っ」

「お母さんが帰ってきたら、いっしょにブロードウェイに行こうよ!」


母親がいつか帰ってくると思ってる大和の純粋な希望に、胸が抉られるようだ。

蓮君のブロードウェイのことも複雑に絡んできて、私は、いつもなら ”そうだね” と素知らぬふりでやり過ごすところを、今回は通常通りにはできなかった。



「……だめよ、行けないわ」


ぽつりと呟くと、大和は「え、どうして?」と驚愕の表情で私を見上げてきた。


「ブロードウェイは、とても遠い外国なの。簡単に行けるところじゃないのよ」

「そうなの?じゃあ、ニューヨークは?アメリカは?」

「ニューヨークはブロードウェイと同じところよ。だから、ここからはとても遠いわ。何時間も飛行機に乗らないと行けないところよ」


ニューヨークと聞いて蓮君と理恵以外にももう一人、かつての恋人がふと過ってしまい、胸が軋む。


「ええ…そんなに遠いの?」


愕然とする大和の視線とぶつかると、余計なことを言ってしまったかと今度は胸が痛くもなったけれど。


「そうだね……。遠いね、ニューヨークは……」


しみじみと告げた私の心の中、一番最初に浮かぶのは誰だっただろう。

だがそれを見届けることはできなかった。

大和が私のセリフに被さるようにして尋ねてきたからだ。


「じゃあ、ニューヨークと、今お母さんがいるところは、どっちの方が遠いのかな?」

「大和……」


母親は遠くに行った、いい子にしてたらいつか会えるかもしれない、そう聞かされていた大和にとっては、ごく自然に湧いてくる疑問だったのだろう。

私はすっと無垢な眼差しから目を逸らし、テレビボードに飾ってある理恵の写真を見やった。


「………理恵の……、大和のお母さんのいる場所の方が、ちょっと遠いかな……」

「そっかあ、じゃあ、お母さんのいるところにぼくが行くのはできないね。はやくお母さん帰ってこないかなあ。レンお兄ちゃんのこといっぱい話したいのに」

「そうだね……」

「でも、レンお兄ちゃんもいつかブロードウェイに行っちゃうなら、寂しいなあ」

「そうだね……」


私は理恵の写真から彼女の忘れ形見に目を戻すと、ゆっくりしゃがんだ。

視線の高さが揃うと、それだけこの小さな心に寄り添える気もした。


「大和。私は一緒にいるよ。だからもし大和が寂しくなったら、寂しいよってちゃんと教えてね。そうしたら私は、必ずこうやってぎゅうって大和を抱きしめるから」

「うん、わかっ……う、琴ちゃん、ちょっとくるしいよ」


可愛らしいクレームを耳元で受けながらも、私は愛しくてたまらない宝物の存在で胸がいっぱいになっていた……







それからしばらく経ったある日、幼稚園から一緒に帰宅した大和の様子がどこかおかしかった。

園内では特に感じなかったのだが、仕事を終え延長保育の部屋に迎えに行ったところ、何か違和感を覚えたのだ。

担当教諭にそれとなく尋ねてみたが、友達とケンカしたりトラブルもなかったという。

私は注意深く大和を窺いながら帰路についた。


考え過ぎだろうか?

大和と暮らしだしてから自分が心配性になっている自覚はあったので、今日もその類かもしれないなと、自省も込めてこちらから問いかけることはしなかった。

けれど帰宅後、いつもなら私が食事の支度をしてる間はテレビを見たり絵本を開いたりして過ごしている大和が、テレビにもおもちゃにも目もくれず、ソファの上、蓮君からプレゼントされたファンディーのぬいぐるみを抱きしめたままじっとしていたのだ。

さすがにこれはおかしい……



「大和?」


キッチンから声をかけると、大和はファンディーを抱きしめたまま「なあに?」と答えてきた。

くぐもった声で、だけどそれは涙混じりだった。


「大和?泣いてるの?」


急いでソファに駆け寄った。

膝をつき、大和の正面からファンディー越しに呼びかける。


「どこか痛い?何か嫌なことがあったの?私に教えて?」


小さな膝小僧に触れ、軽く擦る。

すると大和はファンディーにまわした腕をさらにきつく締めてきたのだ。

グズッ…と鼻をすする音を鳴らしながら。


いつもなら、友達とケンカしてもこんな風に家でまで泣いたりしないし、誰かに嫌なことをされたり言われても、すぐに私に教えてくれるのに。

あきらかに普通ではない。

だけど急いて問いただすようなことは逆効果だ。

私はゆっくりと、いつもと同じを心がけて、大和に話しかけた。



「ねえ大和、私にお顔を見せてくれない?大和がどこか怪我でもしてるんじゃないかなって、心配なの。ね?お願い」


大和からはグスンと息継ぎが返ってくる。


「大和?言いたくないなら言わなくてもいいから。泣きたいなら、好きなだけ泣いていいから。私は大和が泣き止むまでずっと大和と一緒にいるから。だから、お顔見せて?」

「……ずっ、…と、いっ、しょ……?」


ヒクッヒクッ、としゃくりあげながらもどうにか私に返事してくれた大和。


「うん、ずっと一緒にいるよ?」


私がそう言うと、大和はガバッとファンディーを離し、顔中涙まみれの姿を私に見せてくれた。

そして、堰切ったように叫んだのだった。


「じゃあお母さんは!?お母さんはいっしょにいてくれないの!?もうお母さんには会えないの!?死んじゃったら、もう会えないの!?いい子にしてても会えないの!?琴ちゃんはいっしょにいてくれるのに、どうしてお母さんはいっしょにいられなくなっちゃったの!?お母さんは、お母さん……お母さんがいないのはなんで!?お母さん!お母さんお母さんお母さんお母さんっっ!!!」











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