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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
恋をはじめてほしい理由
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結婚して子供がいて……そんな普通の暮らしには今も憧れるけれど、私はもう、それを夢に描くことはできない。

悲観するわけでなく、事実だ。

だから蓮君が ”憧れだけど何かを捨ててまで叶えたい夢ではない” と言ったのも理解できる。

つまり、明莉さんが言うほどには、蓮君のニューヨーク行きは実現性がないということだろう。


「本当に、ニューヨークには行かないのね?」


念押しで問うと、蓮君はわかりやすく喜んだ。


《琴子さん、俺がニューヨークに行かないって聞いてホッとしました?なんかそんな声ですよね》

「そ……、だって、それは、せっかく仲良くなれたのに、ニューヨークなんて遠くに行っちゃったら会えないし、残念だと思うわよ。大和だってきっと悲しむだろうし、それに」

《琴子さんは?》

「え?」

《琴子さんは、残念に思うだけで悲しんではくれないんですか?》

「そんなことないわよ…」

《じゃあ、俺がニューヨークに行って会えなくなったら、悲しい?》

「それは、もちろん…」

《じゃあ言ってください。蓮君に会えなくなったら悲しいって。だからニューヨークに行かないでほしいって》


喜々としてリクエストしてくる蓮君だったけれど、私は即答には怯んでしまう。



「………それは、言えないわ。だって、ニューヨークに行くか行かないかを決めるのは蓮君自身だもの。蓮君が夢を追いかけるのを、私が引き留めるようなことは言えない」


すると蓮君の楽し気だった雰囲気がそっと変わった。


《琴子さんらしい返事ですね。そんなところも、好きですよ》


突然降りかかってくる甘やかさに、息が止まりそうになるも、


《でも俺は、俺に会えなくなったら悲しい、寂しいって、琴子さんに言ってもらいたいです》


さっきの強請るような言い方ではなくまっすぐに訴えられて、私もちゃんと答えなければと思った。


「………寂しいわ。蓮君に会えなくなったら、私も大和も、きっと寂しいと思う」


蓮君に断わりの返事をするため電話をかけたはずが、いつの間にやら率直な心情を打ち明けているなんて、自分でもびっくりだ。

でも嫌じゃなかった。


《それを聞けてすごく嬉しいです》


甘やかさが戯れてくるような反応が、なんだかくすぐったい。

だが蓮君はただ甘いだけではなかった。


《俺、琴子さんを諦めませんから。琴子さんが俺と付き合えないと思ってるのも、その理由もわかりました。理由については俺から見たらまったく問題ないことですけど、それは琴子さんの気持ちなので、無理強いはできません。琴子さんが俺のニューヨーク行きを止めないと言ったのと同じです。だけど、俺の気持ちは変わりません。だから、琴子さんから俺を嫌いだ、俺の気持ちは迷惑でしかない、そう言われない限りは、ずっとあなたを好きでいます》



はじめての長電話は、蓮君のもう何度目になるのかわからない告白で締めくくられたのだった。




通話の切り際、蓮君からは返事は急がないと、以前と同じことを告げられた。

そしてその夜以降も相変わらず電話やメッセージのやり取りは続いていて、大和と三人で食事したり、買い物やドライブに行ったりというのも変わらずだったけれど、その頻度は明らかに変化していた。

ただ、一緒に過ごす時間が増えれば増えるほど私の蓮君への気持ちは明確になっていたのに、それを蓮君に告げることはできないままだった。


理恵が亡くなって大和を引き取ると決心した時、もう誰とも恋愛はしないと自分に課したのだ。

なのにたった一年で翻していいのだろうか、そんな私を見て理恵は何て言うだろう……

子供のことだって、果たして何年も先の未来、蓮君は今と同じように思ってくれているのだろうか。

蓮君のご家族はどう思われるだろう?

もしかしたら、私を選んだことを蓮君が後悔する日が訪れるかもしれない。

そしてその時、私はまた深く傷付くのだろうか……



蓮君のことを何度も繰り返し考える時、必ずと言っていいほど思い浮かぶのは、以前の恋愛だった。

もう何年も前、大和が生まれるよりも前のことなのに、未だに私の心に傷を刻んでいる過去。

その時の相手も、私の事情を思いやり寄り添ってくれたけれど、結果的に、私の体のことで彼のご家族の反対を受け、私の方から終わりを選んだ。

蓮君とだって、同じことが起こらないとは言い切れないのだ。

だってもし、蓮君のご両親からも同じようなことを告げられたりしたら、私はまた同じ結果に進んでしまうのだろうから。

もちろん、例えご両親に反対されても、きっと蓮君は親の言うことなんか気にしなくていいと言ってくれるだろう。

前の彼と同じように。

でもそれは、子供を望めないという私の負い目を消し去ることまではできないのだ。

もし、もしも誰にも反対されなかったとしても、そんな負い目を持ち続けたままの私が蓮君とずっと一緒にいられるのか、自信はない。


それに、蓮君は、子供を望めなくても私には大和がいると言った。

でも……、大和だって、ずっと一緒にいられるとは限らないのだ。

もちろん私自身はずっと一緒にいたいと願っている。

けれど、もし、いつか、大和の父親が現れたら?

その人物が、大和を引き取って育てたいと言ったら?

私には、それを拒否する資格はないのだ……



蓮君に惹かれている、でも彼の気持ちを受け入れるわけにはいかない、だけど一緒にいたい……

二律背反の想いは揺れに揺れていた。

そしてそれは、私の日々の中に、当たり前のように入り込んできた。

ふとした瞬間に蓮君を思い出し、何気ない物事でも蓮君と関連付けてしまうのだ。

ファンダックで新しい夏の催しがあると知れば、蓮君は何の役を演じるのだろうかと気になるし、誰かがバレエコンクールで入賞したというニュースを聞けば、騎士姿の蓮君がバレエのような振り付けで踊っていたのを思い出す。

仕事中だって、お迎えにいらしたお父様が長身だった場合、蓮君の方が背が高いだろうかと想像し、園児から今度親戚が留学するんだと聞かされた時も、そういえば蓮君もニューヨークに留学してたと言ってたなと彼の顔が頭に浮かぶ。


もう、私が彼に恋してるのは疑いようもなかった。



そんなある日、大和と夕食の支度をしながらテレビを見ていたときのことだった。

賑やかな画面ではミュージカルの話題が取り上げられていて、そこで紹介されてた演者の衣装が蓮君の着ていた騎士の格好に似ていたせいで、大和が大はしゃぎをはじめたのだ。


「ねえねえ琴ちゃん!この人、レンお兄ちゃんの王子様の服とおんなじだよ!」



大和の中では蓮君の騎士姿は王子様に変換されたままだった。


「本当だ。青色でよく似てるね」


ダイニングに食器を並べていた私は手を動かしつつ大和に返事していた。


「この人もかっこいいけど、レンお兄ちゃんの方がもっとかっこいいよね!」

「そうかもしれないね」

「ファンディーは出てこないの?」

「ファンダックの舞台じゃないからね」


ぽんぽんと会話は行き交っていたけど、次の質問には思わず手が止まってしまった。



「ねえねえ琴ちゃん、ぶろーどうぇーって、なに?」


カチャンと、スプーンを落としかける。


「……ブロードウェイ?」


大和が指差すテレビ画面を見ると、”ブロードウェイミュージカル、日本初上陸” とあった。


「今ね、ぶろーどうぇーで一番人気って言ってたよ!」

「そうなの…」


無邪気に教えてくれる大和には笑い返しながら、私はやはり蓮君を思い出していた。

正確には、蓮君の夢についてだ。

30歳までにブロードウェイに立つとご両親に約束していた蓮君。

それはあくまで ”ダンスで結果を出す” の一例で、ダンサーとしてファンダックで既に結果を出しているから今はもうブロードウェイを目指す必要はない…そんなニュアンスのことを言っていたけど、それが本心だとも思えなかった。

蓮君はニューヨークに留学までしていたのだから、本当は海外で活動したかったのではないだろうか?

……本人に確かめたわけではないけれど。



「もうっ!琴ちゃん、ぼくのこと聞いてる?」


ひと際大きく呼びかけられて、蓮君に思いを巡らせていた私はハッとした。


「あ……ごめんごめん、何て言ったの?」

「もう、やっぱり聞いてない!ぶろーどうぇーってどこにあるの?ってきいたのに!」

「ごめんってば。ブロードウェイね。ブロードウェイは、アメリカのニューヨークってところにあるのよ」

「アメリカって、お母さんが前に行ったことがあるって言ってた外国?」

「そうよ?大和のお母さんは、アメリカに住んでたこともあるのよ?」


大学時代、理恵はアメリカに数か月留学していたことがあるのだ。

将来は海外と日本を行き来するような仕事に就きたいと明確な目標があった理恵は、商社勤務でそれを叶えた。

けれど大和を授かり、子供を一人で育てるには激務過ぎるからと退職した。

それまでのキャリアを捨てることになっても大和の出産に迷いは一切なかったようで、時々アメリカ生活の思い出を大和に聞かせるときもただただ明るく、楽しそうだった。

だから大和も、アメリカについては同年代の他の子供達に比べたらよく知っているのだ。



「そっかあ、お母さんの住んでたアメリカにぶろーどうぇいがあるんだ」


大和は母親のこともあってか、ブロードウェイに興味を持ったようで。


「琴ちゃんはブロードウェイに行ったことある?」

「ないわ」

「じゃあ、お母さんは行ったことあるのかな?」

「大和のお母さんが住んでたのはニューヨークじゃなかったから、行ったことはないと思うけど」

「じゃ、レンお兄ちゃんは?」


今の大和が私や母親の次に名前をあげるのが蓮君なのは、ごく自然なことだ。

けれど、私は必要以上に大きく反応してしまった。

音で表すならば、ギクリ、といった感じに。









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