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「でもあの時の蓮君は本物の騎士みたいで、とてもそんな風には見えなかったわ」
お世辞じゃなくそう思う。
フロートの上で、お姫様に扮した人気キャラクターのフラッフィーを警護するという芝居のダンスも、トラブルが起こったあとの対処も、その時の立ち居振る舞い、退場する際のセリフ、全てが騎士そのものに感じられたのだ。
きっと大和も同じように思ったはずで、だからこそ、蓮君のことをあそこまで好きになったのだろう。
《……そう言ってくれる琴子さんだから、俺は救われたんですよ》
「え……?」
《あの日、琴子さんが別れ際に言ってくれた言葉を覚えてますか?》
「え?ええと、あのパレードのときよね……?」
突然記憶力を試される。
可能な限り肯定したかった私は頭の引き出しを片っ端から覗いてみたものの、発見には至らなかった。
「……ごめんなさい、覚えてないわ」
《いいんです。それだけ、琴子さんにとったら自然に口から出た言葉だったんでしょうから》
「私はいったい何て言ったの?」
大和も一緒にいた手前、そんな特殊なことを言ったとも思えない。
だがそのひと言こそが、蓮君に影響を及ぼしていたということらしい。
いったい何を口走ったのだろうかと、少々ハラハラしてきたところで、蓮君がさらりと教えてくれた。
《『また素敵な騎士様を、拝見しに来ますね――――』琴子さんはそう言ったんです》
「え………それ、だけ?」
なんの変哲もない、ともすればただの社交辞令的な文句にだって聞こえる内容だ。
それのどこに蓮君の心を動かすような要因があるのだろう?
私は戸惑いを隠せなかった。
けれど蓮君は《それだけです。でもそれだけじゃないんです》となぞなぞのような説明をくれた。
《琴子さんは、俺のことを ”人気ダンサー” でも ”テレビでイケメンダンサーとして紹介されてた人” でもなく、”騎士様” と、演じてる役を通して見てくれたんです。それが、自分の価値は外見だけなのかと自信をなくしかけていたあのときの俺には、無性に嬉しかった。……嬉しかったんです》
二度繰り返された言葉は、より濃く真実を刻んでくる。
それを聞いた私の方こそ嬉しくなった。
自分のかけた言葉が蓮君にとっていい影響になっていたのだから。
ただ、それは本当にそのとき思ったことを述べただけで、蓮君を励まそうとかそんな意識は露ほどもなかった。
だからそのひと言が私への好意のきっかけだと知らされて、なんだかそわそわしてしまう。
「そう……、それは、よかったわ」
くすぐったいのか落ち着かないのか、そんな私の心境が通話でも伝わったのだろう、蓮君は《でも、それだけじゃないんです》と、この告白にはまだ続きがあることを匂わせたのである。
《その言葉をもらうよりも前、パレード中のフロートの上から、俺はなぜだかあなたを見つけてしまったんです。ごった返す人の中で、まるで琴子さんの所だけにスポットが当たってるみたいに、不思議とあなたが目に留まってしまった》
「な……」
何それ?
驚きは、蓮君にさっと遮られてしまう。
《たくさんの人の中でたった一人だけに目を奪われるなんて、ちょっとおとぎ話みたいだと思いませんか?だけど本当の話なんです》
おとぎ話……
そんな例え方をするなんて、さすがはその世界にいる人だ。
けれどおとぎ話に憧れるだけの一般人である私は、そんな出来すぎた話をすぐに信じるのは難しくて。
「……そうね、もしそれが本当なら…」
《疑ってるんですか?いくら琴子さんを口説くためでも、そんなテンプレートみたいな嘘吐きませんよ》
カラカラと乾いた苦笑いが返ってくる。
《俺がフロートの上から琴子さんに釘付けになったのは事実です。それでそのあと、ああいうことになって、琴子さんからさっき言った別れの挨拶をされて、間違いなくあの日から、俺の中で琴子さんは特別な人になっていました。でもだからといって、さすがにパレードの衣装を身に着けながら連絡先交換なんかできなかった。だから仕方なく、またファンダックで会えることを願いながらあの日はお見送りしました。そんな俺が後日あのダイニングバーで琴子さんと再会できて、どれだけ驚いたか想像できますか?》
話の内容に添って、蓮君のテンションも弾んでいく。
興奮気味のときの大和にちょっとだけ似てるかもしれない。
そう思うのは、それだけ彼を親しく感じている証だろう。
「私も、驚いたわ」
《俺は驚いて、めちゃくちゃ嬉しくて、奇跡みたいだとさえ思いました》
奇跡……確かに、和倉さんという共通の知り合いがいたのはなかなかの偶然だと思う。
それを素直に奇跡と呼ぶ蓮君には、なんだか気恥ずかしいけれど。
《だって、また会いたいと思ってた人とすぐに会えたんですよ?だから、多少強引に思われても俺は琴子さんの連絡先を知りたかったし、このチャンスを逃すものかと思ったんです。俺自身をちゃんと見てくれる人を、手放したりしたくなかった。琴子さんみたいに俺の見てくれに左右されない人に、傍にいてほしいと思った。琴子さんを、好きになったから………。これで、さっきの質問の答えにはなりましたか?》
どうしてそこまで私を想ってくれるのか、その返事を告げ終えた蓮君は、ほのかな充足感さえ纏っている気がした。
これほどに自分は想っているのだと、どこか自慢げにも聞こえた。
なぜ蓮君がここまで親切にしてくれるのか、なぜ出会って間もない私をこんな風に好きだと言ってくれるのか、いくつもあった疑問が徐々に解けていくと、抑え込んでいた私の ”想い” が、再び行先を蓮君に求めてしまいそうになって――――
「蓮君……」
だけどそう呼びかけた瞬間、私の脳裏には明莉さんの声が降ってきたのである。
――――蓮、そのうちニューヨークに行く予定ですから、秋山さんや大和君ともあまり長いお付き合いはできないでしょうし、今のうちに仲良くしてあげてくださいね――――
――――だけど蓮が今大事な時なのは事実なんです!蓮はブロードウェイの舞台を目指してて、私はその応援をしたいんです。一番のファンとして。だからあなたとは……――――
蓮君の言葉達に押されるようにして、煽られて、私の中で秘し持っていた蓮君への封が開きかけた寸前、私はその手を引き戻したのだった。
「だけど、蓮君はニューヨークに行っ…行くんでしょう?」
行っちゃうんでしょう?
思わずそう口走りそうになって、咄嗟に取り繕った。
だが耳元で感じた向こう側の反応はささやかなものだった。
《ニューヨーク?……ああ、もしかして明莉に何か言われたんじゃないですか?さっきも琴子さんに電話してましたよね》
ご迷惑おかけしてすみません。
尻拭いするような蓮君の謝罪は、微かに胸がざわついた。
それだけ明莉さんとの親しさが強調されるようだったからだ。
でもそう考えてから、私は自分でもその発想に戸惑ってしまった。
だって、こんなのまるで明莉さんに嫉妬してるみたいじゃない……
ぶわっと、一気に耳まで熱くなる。
電話越しの蓮君には見えないはずなのに、私は慌てて耳たぶを揉んで冷ました。
蓮君はこちらの異変には気付かず、《明莉、何て言ったんです?》と呆れ混じりだ。
「蓮君は、そのうちニューヨークに行く予定…とか、ブロードウェイを目指してて今が大事な時期…とか」
《…ったく、あいつは勝手なことを……》
「違うの?」
《ああ、いえ、全然違うというわけではないんですけど、少なくとも今現在ニューヨークに行く予定はありませんよ》
「そうなんだ?」
とたんに心が軽くなる。
《ええ。以前はニューヨークに留学したりブロードウェイを目標にしたりしてましたけど、今は……》
蓮君は語尾を曖昧に浮かせた。
これまでのやり取りの中では見られなかったことだ。
「今、は……?」
そこに引っ掛かった私がその先を促すと、蓮君からは少々の躊躇いを感じられた。
けれどそれはほんのわずかの間だった。
《……実は、大学卒業のとき、ダンサーになるのを反対した親と約束してたんです。30になるまでにダンサーとして結果を出せていなかったら、実家に戻って家の仕事を手伝うって。それで、具体的な例として持ち上がったのが、ブロードウェイの舞台に立つことだったんです》
「え、でも蓮君、今29歳だよね?」
《ええ、そうです。でもブロードウェイはあくまでも ”結果を出す” の一例で、俺は今ファンダックでダンサーとして結果を残してると自負してますから、親との約束は果たせてるはずです》
「じゃあ、ブロードウェイは、もういいの?」
確かめる口調が怖ず怖ずになってしまう。
ブロードウェイなんて、ダンサーならみんなが憧れる場所ではないのだろうか?
けれど蓮君は今度は微塵も躊躇を見せなかった。
《憧れはあります。今でも。昔は夢見たこともあります。だけど、何を捨ててでも叶えたい夢ではなかったんです》
憧れと、夢と。
似て非なるそれを並べた蓮君に、私は共感を覚えた。




