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けれど、私が時生君に笑いかけたその時、蓮君と明莉さんが戻ってきた。
蓮君は若干顔色が悪くなっているように見えた。
「時生君…?急にずいぶん仲良くなったんですね」
笑ってはいるけど、なんだか含みのある言い方である。
確かに、今朝、呼び方についてちょっとやり取りがあった彼から見れば、私が時生君を下の名前で呼び始めたことに引っ掛かってもおかしくない。
「あの、実はね…」
「俺はお前よりもずっと前から彼女を知ってるんだ。もう十年以上も前からな。だからどちらかといえばお前の方が急に彼女と親しくなった新参者なんだよ。そうですよね?琴子先生」
私より先に説明役を買って出た時生くんが、目線で同意を求めてくる。
その目元はクールなままだけど、瞳は柔らかく私を映していた。
「琴子……先生?」
「先生って……どういう意味?」
蓮君と明莉さんは訳がわからないと私達をきょろきょろ見比べてきた。
時生君の説明が少し足りていないのは確かで、次はこちらの番だとばかりに、私は二人を順に見やりながら、十年以上も前の思い出話を打ち明けたのだった。
二人からは一様に驚きの感想が返ってきた。
「すごーい。世界って案外狭いものなのね」
明莉さんはただただ純粋に驚いた風で、目を大きく見開いたりしていた。
片や蓮君はというと、驚いた顔はしていたものの、腕を組んで、少し考えるような素振りをしたのだ。
いったい何を考えてるのだろう?
ちょっとした不安が芽を出したその時、明莉さんが今度はもっと大きな声を上げたのだった。
「ちょっと待って!時生が中学生の時にもう幼稚園の先生で働いてたということは、秋山さんって、いったい今いくつなんですか?」
その声が響いたのだろう、私の膝の上で大和が「んー…」と身じろぎする。
大人達四人はハッとして、無言でそれぞれの唇に人差し指を当てた。
互いに目を合わせて苦笑し合って。
見事な連帯感は、なんだかおかしかった。
幼稚園の職員は仕事柄か実年齢よりも若く見られることが多いので、この手の展開は何度も経験があるけれど、なぜだか今回は、彼らの反応が気になった。
大和が起きないことを確認した私は、内心ではソワソワしながら、自分の年齢を二人に教えた。
すると、明莉さんだけでなく蓮君も大声で叫んだものだから、今度こそ、大和の目がぱちりと開いてしまったのだった。
「……琴ちゃん、もうショーのじかん?」
よいしょ、と体を起こした大和は寝ぼけてそう訊いた直後、憧れのファンダックのダンサーが三人も勢揃いしていることに大喜びした。
けれどその騒ぎで目立ってしまい、彼らがファンダックのファンに見つかってしまったのである。
私はこの時まで、彼らが大人気のダンサーだということをすっかり失念していたのだ。
あっという間に周りには人が集まってしまった。
こうなると、もうさっきまでのように和やかな時間は望めないだろう。
大和とベンチで寛ぐことも、私の年齢について蓮君がどう思ったのかさえ、見届けることもかなわない。
さすがにこうなった責任を感じたのか、明莉さんと時生君は私達を隠すように壁になってくれて、「二人は大和君を連れて行ってください」と庇ってくれた。
私達はその言葉に甘えることにして、蓮君の案内に従い、ファンの女の子達をどうにか回避できたのだった。
それからは、蓮君は持参していた眼鏡を着用し、ショップに飛び込んで購入したファンダックのキャップを被り、ちょっとした変装で過ごした。
それでも、時々コソコソとこちらを見てくる若い女の子達がいたので、きっと、一定の人には見抜かれていたのだろう。
私は、人気者は本当に大変なんだなと感心と同情が混ざった複雑な思いだった。
三人勢揃いの時と違い、蓮君一人だと騒ぎ立てたりしないところは、まだよかったと思うけれど。
ただ、本日の主役である王子様にはそんな微妙な空気は一切伝染しなかったようで、とてもとても楽しかったと、何度も何度も機嫌よく思い出話を聞かせてくれたのだった。
◇
蓮君と連絡先を交換し、大和と三人でファンダックに行った日から、あきらかに彼の存在が私と大和の生活に入り込んできてると感じた。
メッセージや電話でのやり取りはもちろんのこと、駅に貼られたファンダックのポスターでも王子様のような華やかな笑顔で存在感を放ち、リビングのテレビから急にキレのあるダンスで彼が現れた時なんかは、大和が目をまん丸くさせて大はしゃぎだった。
かく言う私も、この前CMのオーディションに受かったという話は聞いていたので、もしかしたらこのことかなと、まるで身内のように嬉しくなった。
そして何度か、食事にも行った。もちろん大和も一緒にだ。
彼の仕事と私の仕事の休みが重なることが少なかったので、彼がオフの日、私の仕事上がりに待ち合わせして食事に行く、というのが二度ほど続いていた。
大和はその度にとても喜んで、またすぐに「レンお兄ちゃんに会いたい!」と言い出すのだ。
大和の願いは叶えてやりたいし、嬉しい顔を見たいとは思うけれど、私にその気がない以上、あまり距離を近付けるのも考え物だ。
それに、明莉さんのこともあるし、彼女が言っていた ”ニューヨークに行く予定” というのも気にかかる。
親しくなってもニューヨークに旅立ってしまうのなら、その時大和が悲しい思いをしないように予防線を張るのも私の役目だと思うから。
そのジレンマを抱えて、蓮君からの食事の誘いを断った翌日、私のスマホは別の人物からの着信を受けたのだった。
明莉さんだ。
その名前が目に入った時、一瞬身構えてしまった。
蓮君関連で何かあったのか、それともまた何か言われてしまうのか、警戒せずにはいられなかったから。
けれど無視するのも気が引けて、少しの逡巡を越えて、電話に出た。
「……はい、もしもし」
《あ、こんばんは。明莉です。秋山さんですか?》
「こんばんは、秋山ですけど…」
《今ちょっとお時間いいですか?》
弾むような喋り方に、少しの不安が掠めるも、聞かないわけにもいくまい。
「少しなら、大丈夫ですよ」
《じゃあ手短に。実は時生のことなんですけど》
意外にも蓮君ではなく時生君の名前が初っ端に出てきて、私はおや、と思った。
「時生君がどうしたんですか?」
《それが、この前秋山さんと会ってからちょっと様子がおかしいんですよね》
「え?どんな風におかしいんですか?」
《んーと、何て言うか、時々思い悩んでる感じというか……》
「どこか具合が悪いとかはないんですか?」
《病気っぽい感じはしないんですけど、何か悩んでる風なんですよね。だから、一度秋山さんに話を聞いてもらったらいいんじゃないかと思って。お願いできますか?》
時生君は思い詰めるととことん悩んでしまうタイプの気がするから、もしかしたら私との再会が引き金になって何か悩みが再燃してしまったのかもしれない。
彼を直接受け持ったわけではないけれど、気持ち的には元教え子のような感覚もあって、私は明莉さんの頼みを勿論承諾したのだった。
《本当ですか?よかった。ホッとしました。秋山さんに話を聞いてもらったら、ちょっとはましになると思います。ありがとうございます》
安堵しきりといった声の明莉さんは、私の都合がつき次第、時生君とよく一緒に行く店を予約しておくと言ってくれて、通話は終了した。
夜なら仕事の予定はほとんどないのだが、今回の件は大和を一緒に連れていくべきではないだろう。となると、大和を預ける必要があり、そんな時私はいつも実家を頼っていたのだ。
すぐに母に電話して都合のいい日をいくつかピックアップしてもらい、その日にちを明莉さんにメールした。
明莉さんからは翌朝、日時と予約した店の詳細が返信されてきて、その仕事の速さはびっくりさせると同じだけ、私に胸騒ぎを覚えさせた。
そんなに急を要するほどに、時生君が切羽詰まっているのだろうか……と。




