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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
恋をはじめられない理由
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てっきり何かしらの反対意見が返ってくるかと身構えていたので、少々拍子抜けしていると、ややあってから明莉さんが《そうですか…》と口を開いた。

続けて《蓮から誘ったんじゃ仕方ありませんよね》と。


それは思ってもなかった返答だった。

明莉さんは、私が北浦さんと連絡を取ることさえ良しとしなかったのに。

あの日、確かに明莉さんからは私へのネガティブな感情が透けて見えていた。

でも………もしかしたら、それは私の勘違いだったのだろうか?

本当に言葉通り、ただオーディションを控えていた北浦さんを心配しての、同僚としての配慮に過ぎなかったのだろうか?

……もしそうだったとしたら、私はなんて恥ずかしい思い違いをしていたんだろう。

北浦さんと私が接近するのを警戒して明莉さんが釘を刺してきただなんて……よくそんな自惚れいっぱいの勘違いをしたものだ。

カッと顔全体に熱が這い上がってくる。

この会話が電話でよかった。そうじゃないと、とんでもなく赤面した私を見た明莉さんにどう思われていたか……



「あの、明莉さん?その……私と大和が北浦さんと一緒にファンダックに行っても、構いませんか……?」


例え彼女が北浦さんのことをどう想っているのかわからなくても、例え私に北浦さんとどうこうなりたいなどという邪な心がなくても、そう訊かずにはいられなかった。

私の質問は明莉さんの意表を突いたらしく、電話の向こうからはささやかな絶句の気配がした。


《それは、そんなの、私の許可なんて必要ないですよ。そう、全然問題なし。だって蓮が自分から誘ったんですから。私がそれを止める意味ってありますか?》


妙なほどにスラスラと早口に輪をかける明莉さん。

付き合いがほとんどない私には、それが彼女の本心なのか知る術はないけれど。



「そうなんですけど、この前は気にされていたので……」

《ああ、だって蓮ってば自分の人気を理解してないのか、結構いろんなとこで無闇に愛想振り撒いて厄介なことになったりしてるので、今回もそんな感じなのかなって。でも蓮が自分から行ったのなら、そうじゃないんだろうし》

「そうですか…」

《あ、でも》


明莉さんが北浦さんに特別な感情を持ってるというのは、思い過ごしだったかもしれない。

その線が濃厚だと、ふらふらしていた考えがどうにか着地する寸前、明莉さんがふと思い出したような軽いニュアンスで告げたのだ。



《蓮、そのうちニューヨークに行く予定ですから、秋山さんや大和君ともあまり長いお付き合いはできないでしょうし、今のうちに仲良くしてあげてくださいね》



顔は見えないけれど、にっこりと微笑んでいるような声色だった。

尖ってもないし、意地悪な意図も見えない。

けれどやはり歓迎の色は感じられず、私は「そうなんですか、ニューヨークに…」と、困惑混じりに返事をしたのだった。



明莉さんとの電話を切ったあと、心にチリリと痛みが走っていた。

その痛みはじわじわと体に滲み込んでくるようだったけれど、その正体に気付くのは、もう少し経ってからのことだった。







あっという間に北浦さんと約束した日がやってきた。

待ち合わせ場所はファンダックの最寄り駅だ。

大和は前の晩からもうどうしようもないくらいにそわそわしていて、まるで ”遠足前夜の子供” が何人もいるかのようだった。

私は何度も「今からそんなにはしゃいでたら、明日疲れちゃうわよ?」と宥めてはみたものの、小さな興奮者にはあまり響いてはくれなかった。

それほどに、大和は北浦さんとの再会を楽しみにしていたのだ。


片や私はといえば、明莉さんの最後に言ってたセリフがずっと心の中に居座っていた。

あの、北浦さんがニューヨークに行く予定だという話だ。

明莉さんの言い方だと、旅行や出張のような短期滞在ではなさそうだった。

北浦さんはダンサーだし、ニューヨークといえば世界中から実力のあるダンサーが集まってくる街というイメージだ。

そして、私の最後の恋人だった人が、私と別れた後に旅立った場所でもある。



笹森(ささもり)さん……



あれからもう何年も経っている。

今も彼がそこに住んでいるかは知らないけれど、確かに彼と縁のある街ではあった。


今更、何を思うことがあるだろう。

彼への想いは、この数年で断ち切ったはずだ。

大和という大切な存在を、親友の理恵から託されて、私の人生はそれ一本になったはずなのに、胸が痛くなる。


私は大和の着替えを見守りながら、どうかこの穏やかな今の日常は何者にも壊されませんようにと、願うばかりだった。







「あ、レンお兄ちゃん!」


駅でいち早く北浦さんを見つけたのは大和だった。

大和は本当に人を見つけるのが早くて、私はいつもその後を追うばかりだ。


「大和君、おはよう。秋山さんも、おはようございます。晴れてよかったですね」


爽やかな朝の陽光にも負けないほど、鮮やかで明るい北浦さんの微笑みが出迎えてくれた。


「おはよう、レンお兄ちゃん。ねえねえ、”秋山さん” って、ぼくのこと?琴ちゃんのこと?」


大和も満面の笑みで返したが、不思議に思ったことはすぐ口に出してしまう6歳児は、ちょっとした疑問を迷わずに投げかけた。

北浦さんはすぐに大和の目線に合うように腰を曲げて。


「今の ”秋山さん” は、”琴ちゃん” のことだよ?」


琴ちゃん―――

はじめてそう呼ばれて、いや、正しくは私に向けられたものではなかったけれど、どきりと、脈が不整なテンポを打った。


「そっか。でも、ぼくも ”秋山” だよ?」


知ってた?と無邪気に訊く大和。

その様子は可愛らしいけれど、できればもうその話題は切り上げてほしい。

だってこのままの流れだと……

予感の走った私が話を変えようと唇を開いたが、それよりも先に北浦さんに言われてしまう。


「それもそうだね。だったら、大和君と間違えないよう、僕も ”琴ちゃん” って呼んだ方がいいと思う?」

「うん!ぼくといっしょだね」


二人してきゃっきゃと楽し気な姿を見せられては、とてもその間に割って入ってまでNOは出せそうになかった。

けれどさすがに ”ちゃん” 呼びは憚れたのか、北浦さんが体を起こして私に視線を向けてきた。


「でも、やっぱりいきなり ”ちゃん” 付けは馴れ馴れしいですよね?もしかしたら秋山さんの方が俺より年上かもしれないし。だったら……琴子さん、の方がいいですよね?あ、だったら俺のことは ”蓮” って呼んでください」


それはそれは上等の、彼のファンが見たら卒倒しそうなほど甘やかな笑顔を見せながらの、見事な誘導だった。

北浦さんに真綿で包むような強引さがあるのはわかっていたけど、こうもナチュラルにされてしまうと、悔しさも感じない。

ダンサーとしての彼も素敵だけど、営業職でもかなり優秀な成績が出せるんじゃないかと、おかしな感心さえしてしまった。



「あの、たぶん私の方が年上だとは思いますけど、呼び捨ては、ちょっと……」


それが、押しに弱いと自覚している私にとってはせいぜいの抵抗だった。










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