7
事故が起こった翌日から、俺は予定通りパレードには加わらず、園内の劇場でのショーにのみ出演していた。
劇場だったら座席数も決まっているし、この前のような事故はないはずだ。
もちろん熱心なファンはこちらにもまわってくるが、ステージを降りることさえしなければ彼女達の方から近付いてくる機会はなかったし、彼女達だって、さすがにそこまでのルール違反を犯すつもりはなかったようだ。
それでも、熱心なファンを座席に見つけた場合は俺にもスタッフにも緊張感が走ったし、特に用心していた。
ステージから座席は案外よく見えるものなのだ。
こっそり、ステージ上から座席に秋山さんと大和君がいないかをチェックしていたのはここだけの話ではあるけれど。
そういった具合に安全に気を遣い上演を重ねていったある日、俺と時生、そして明莉も参加するステージのスタジオリハがあり、俺達は馴染みのビルに集まっていた。
リハは予定通り日暮れには終了し、俺達三人は行きつけのダイニングバーに寄って軽く飲んで帰ることにした。
ここのスタジオを利用した日は毎回通っているいつもの店だ。
メニューもほとんど頭に入ってるし、店員も友人知人が多い。
それゆえ、俺達が店に入るや否や、店員から知り合いが店に来ていることを教えられたのだった。
「え?和倉さんも来てるんですか?」
「奥の個室にな。奥さんとお子さんも一緒だよ」
「奥さん?和倉さんって結婚してたの?」
驚きの声をあげたのは明莉で、「これは是非ご挨拶しなくちゃね」と張り切って店の奥にぐんぐん進んでいった。
和倉さんが独身だと知っている俺と時生は明莉のように好奇心は持たなかったものの、日頃世話になっている人がいると聞いて挨拶しないわけにもいかなかった。
ちょっとだけ顔を見せて、明莉が下世話なインタビュアーになりかけたらすぐに連れ帰ろう、そう思って扉のない個室の仕切りをくぐった時、もう二度と会えないかもしれないと思っていた彼女の姿が目に飛び込んできたのである。
秋山さんと大和君が、そこにいた。
俺はすぐに二人だと気付いたけれど、二人の方は突然の訪問者に驚いていて、そのうちの一人が俺であることには気付かない。
俺は再会できた喜びと同時に、和倉さんと親しげな様子が気になってしまった。
テーブルの上にはバースデーケーキがあることから、おそらくは三人で大和君の誕生日祝いをしてたのだろう。
『奥さんとお子さんも一緒だよ』
さっきの店員の一言が、急に首を絞めてきたのだ。
和倉さんは独身で、ここ何年は恋人と呼べる存在もいないことは聞いていた。
だがその情報だっていつ更新されてもおかしくはないのだから。
彼女ができたからといって俺や時生にいちいち報告があるはずもないし、何より、和倉さんはとてももてる人だ。
俺は秋山さんと和倉さんの様子を注意深く見つめた。
秋山さんは大和君にケーキを取り分けていたが、明莉が「和倉さん、結婚されてたんですか?」と尋ねた瞬間、パッと顔を上げた。
そしてその視線は、彼女を見つめていた俺とぶつかったのだ。
「あ……」
秋山さんがやっと俺を視界に入れてくれて、ようやく気付いてくれた。
俺はそんな彼女に合わせるように、さも今気付きましたという様子で「やっぱり!」と声を弾ませた。
すると大和君も俺を思い出してくれたようで、可愛らしい叫び声が響いた。
「あっ!王子様のお兄さんだっ!」
「……王子様?」
「あ…すみません、この子にはあの時の衣装が王子様に見えたようで……」
「ああ、なるほど……」
騎士から王子に格上げされてるとは思わなかったが、悪い気はしなかった。
その後、和倉さんから軽く事情を聞いた俺は、ひとまず今の段階では秋山さんとは特別な間柄でないと知り、胸を撫で下ろした。
そして、もう会えないと思っていた想い人との偶然の再会が、運命めいた感覚に変化するのに、そう時間はかからなかった。
俺は、この機会を見逃してなるものかと、大和君を巻き込むようにして半ば強引に秋山さんと連絡先の交換をしたのだった。
それでも一応は、今の段階では俺よりも秋山さんと親しい和倉さんに、秋山さんと連絡先交換することに不都合がないかと伺いを立てた。
和倉さんからは「君達の就業規則に抵触しないのであれば、問題ないんじゃないのかい?」なんて笑われてしまったけれど。
ただ、俺と秋山さんがスマホを触っているとき、和倉さんは「琴子ちゃん、押しに弱いからなあ」と面白そうに言っていたが、時生と明莉の二人が何か言いたげな顔だったのは、少々引っ掛かりを覚えた。
時生に関しては秋山さんの名前を出した際の反応も気がかりだ。
俺は秋山さんと繋がりを結べた喜びを感じながらも、どこか得体のしれない不安感が忍び寄ってくるのを止められずにいた。
その後俺達三人は秋山さんと大和君、和倉さんとは別れて、三人で席に着いた。
そこからしばらくはいつもと変わりない飲み会の時間が流れていった。
だが何がきっかけだったのか、急に明莉が立ち上がり、きょろきょろと見回してから「ちょっと化粧室…」と告げて行ってしまったのだ。
あまり食事中に離席しない明莉にしては珍しいなと不思議にも思っていると、しばらくして、何やら不機嫌モードになって明莉が戻ってきた。
「どうかしたか?」
俺が訊くと、わかりやすくイライラしたため息が返ってきた。
「どうもこうも、久しぶりに山田って呼ばれたのよ」
「誰に?」
「和倉さんと一緒にいた人!」
「秋山さんに?おい、お前、今秋山さんと話してきたのか?」
「そうよ、悪い?偶然……会ったから」
歯切れが悪い明莉に、時生も訝しんだ。
「秋山さんなら、仕方ないだろ。秋山さんはお前と初対面なんだから」
「時生の言う通りだ。普通は初対面でいきなり下の名前で呼んだりしないだろ?」
「そうかもしれないけど!でも私は自分の苗字が嫌いなの!」
それは自分勝手な言い分じゃないかと、俺も時生も呆れ顔になるが、明莉のこの苗字コンプレックスは今にはじまったことではないので、ああ、またか…と思った。
いくら明莉でも、さすがにそのことで秋山さんに失礼な態度を取ったりはしてないだろうという、楽観的な考えが根底にあってのことだった。
だが、時生はそう考えてはなかったようだ。
「明莉、もしかして秋山さんの前でもそんな不遜な態度を取ったんじゃないだろうな?」
冷たく冷たく問い詰めたのである。
明莉は不機嫌顔をぎくりと振動させて。
「……してないわよ。一応、ちゃんと礼儀は見せた…はずよ」
「信じていいものか疑わしいけどな」
「なによ!時生みたいに感情が絶対零度の人間には私の繊細な心情は理解できないのよ!」
「繊細な心情って、ただ自分の苗字が好きかどうかの些細な問題だろ?」
「何だっけ、日本中どこでも大勢いる名前だから嫌なんだっけ?」
「それだったら俺の佐藤はどうなるんだ。山田よりも多かったはずだぞ?」
「佐藤と山田を一緒にしないでよ!佐藤はまだいいじゃない。山田なんて山と田んぼよ?字面が田舎っぽいうえに、どこに行っても記入例に使われて笑いものになってるんだから!」
「おい、全国の山田さんに謝れ」
「そうだぞ。前にも言ったけど、覚えてもらいやすくていい名前じゃないか」
時生と俺が窘めると、明莉はハァ…と深い息をこぼした。
「私はこの苗字のせいで子供の頃にずいぶん嫌な思いをしてきたの。だから下の名前だけで働ける仕事を選んだのに……ま、いいわ。結婚したら相手の苗字に入れてもらうから」
セリフの後半、急にテンションを変えた明莉が、ちらっと俺の方に視線をよこしてきたのには気が付いた。
だが、あえて目を合わせなかった。
こいつが俺に向けてる好意が本気の恋愛なのかちょっと濃い目のただの憧れなのか、そろそろ判定すべき時期には来てるんだろうなと思いつつも、俺にとっては、いつ秋山さんに連絡を取るのがベストなのか、そちらの方が重要な問題だったのだ。




