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秋山 琴子、さん……
てっきり既婚者で、大和君は息子さんだと思い込んでいた俺は、そうじゃなかったことにホッとしていた。
………ホッとしたということは、つまり、そういうことなのだろう。
はじめて近くでよく見た彼女は、くりっとした印象的な目をしていて引き込まれそうだったし、ミルクチョコレートのような色の髪は後ろの低い位置でラフにまとめていて、品があるけどルーズな無造作感が好感を持てる。
服装は小さな子供連れらしくデニムにスニーカーをあわせており、そのスニーカーが俺の持ってるものと同じだったなんて、そんな些細なことでさえ嬉しさが湧き上がってきた。
随分安い男だなと自分で失笑したくもなるが、俺が今そんな感情を生じさせているなんて知られるわけにはいかない。
俺は内心大焦りで大和君との会話を弾ませようと試みた。
ただし、母親を亡くしてると知った以上、家族の話題は極力避けながら。
「大和君は幼稚園に行ってるのかな?あ、そうか、大和君は今日がお誕生日なんだね。おめでとう。何歳になるのかな?」
「6歳だよ。お兄さんは?何歳?」
「29歳だよ」
「お兄さんはさっきフラッフィーと一緒にいたけど、なかよしなの?」
「そうだよ。ファンダックの仲間だからね」
「じゃあ、ファンディーは?ファンディーともなかよし?」
どうやら大和君の本命はファンディーだったらしい。
「そうだね、仲良しだよ」
そう答えるや否や、両目をキラキラさせてくる。
すると、医師や社員と話していた秋山さんがこちらに振り向くのがわかった。
「大和、お兄さんにあまりたくさん質問しちゃだめよ。お兄さんだって、もしかしたら答えちゃだめなこともあるかもしれないでしょう?優しくしてもらったお兄さんを困らせちゃだめよ」
「はーい。お兄さん、ごめんなさい」
「いいんだよ。あの、その辺は、僕は大丈夫ですよ?」
俺を気遣ってくれた秋山さんに、俺は容易く歓喜しながら微笑んでみせた。
どうぞ気になさらないでください、その想いを込めて。
そうしたら、秋山さんは一瞬パッと視線を横に逸らし、けどすぐに俺に戻した。
まるでちょっと戸惑ったような反応にも見えたが、その理由まではわからない。
だがその時の少し照れたような表情は、俺の脳裏に鮮明に焼き付いたのである。
出会って正味一時間にも満たないというのに、俺が秋山さんに惹かれているのは疑いようもなかった。
でも、なぜだ?
はっきり言って、彼女の容姿は俺の好みとは全然違うのに。
中身だって、会話らしい会話もほとんどしていないのだからわかるはずもない。
そんなペラペラの薄すぎる過程で、いったいどこに恋愛感情の種が転がっていたというんだ?
自問自答してみるも、答えどころかヒントすら見つからない。
”大勢の人の中でまっすぐに彼女だけを見つけた” なんて、まるでおとぎ話に出てくるロマンスの常套展開ではないか。
あまりにも都合のいい、問答無用の出会い。
あれらはあくまでも物語の中だからこそ、違和感も持たず自然に受け入れられるのだ。
”運命” という名前に姿を変えて。
まさかそれが、現実に、自分の身に起こるとは……
俺は、秋山 琴子 という女性に何かを感じ、惹かれながらも、だからといってパレードの衣装を着たままでどうこうするわけにもいかない。
あくまでも俺はダンサーで彼女は観客という今の状況に、複雑な感情を抱かずにはいられなかった。
やがて診察と治療を終えた秋山さんが医務室を後にすることになり、俺と女性スタッフで見送りすることになった。
秋山さんはもう車椅子を使わずとも普通に歩行できるようになっていて、俺は心底ほっとしていた。
だが園内に通じる扉の前まで来たとき、このまま二人とここで別れたらもう二度と会えないかもしれない…そんな考えが過った。
今回のお詫びとして何度でも入園できるパスポートを二人にはお渡ししたが、それで二人が必ず通ってくれるという確証もない。
俺が二人のことで知っているのは名前くらいで、彼女の方は俺の名前すら知らないはずだ。
ほぼ無関係と呼べる俺達の関係は、彼女がこの扉をくぐった瞬間に終了してもおかしくはない。
そう思ったら胸を締め上げられるかのような息苦しさを覚えたものの、やはり、だからといって今この場で彼女に何かを尋ねたり伝えたりなどしては、プロ失格だ。
俺は自覚したばかりの感情を丁寧に飲み込み、二人に最後の挨拶をした。
「じゃあね、大和君。……繰り返しになりますが、このたびは申し訳ありませんでした。今後はこのような事が起こらないように努めてまいりますので、どうぞまたお越しくださいませ」
頭を下げた俺に、秋山さんは急いで「こちらこそ申し訳ありませんでした」と返してくれて。
しかも、パレードを途中退場した俺のことまでも気にかけてくれたのだ。
きっと、優しく謙虚な人なのだろう。
彼女は俺へのペナルティーがないと聞くと、安心した表情で笑いかけてくれた。
「あの、また素敵な騎士様を、拝見しに来ますね」
その一言が、無性に心地よく、俺の中に染み入ってきた。
ああ、この人にとって俺は、ダンサーの 北浦 蓮 ではなくて、フラッフィーの護衛を担っていた騎士の一人なんだな。
それが、ここ最近俺の中に蔓延っていた不穏な影を晴らしてくれる気がした。
「ありがとうございます。またお会いできる日を、心よりお待ちしております」
満面の笑みで礼を告げた俺が大和君にも声をかけると、大和君からも、俺への励ましになる言葉をかけられたのである。
「ぼく、ファンディーも大好きだけど、お兄ちゃんのことも大大大好きになったよ!だから今日は、とってもいい誕生日なんだ!」
この無邪気で天真爛漫な小さな観客には、きっと嘘やお世辞なんてものは存在しない。
だからこそよけいに嬉しかった。
だって彼は、俺の顔やスタイルが好みのタイプだとかそういう理由で俺を好きになってくれたわけではないのだから。
そして最後に大和君と一緒に記念撮影をすることになるのだが、俺は、大和君を抱き上げながらこっそり思っていた。
ああ、今日、秋山さんと大和君に会えてよかった。
きっと、今後二度と会えなくても、今日二人に出会えたことはずっと忘れないだろう。
それから、この写真が彼女のスマホに保存されて、時々は俺のことを思い出してくれるといいな……と。




