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大勢の観客の中、本当になぜだかわからないけれど、ベタな言い方を借りるなら、まるで彼女の周りにだけライトが当たっているかのように、俺の意識はそこに吸い寄せられてしまったのだ。
停車したフロートの上から、彼女に釘付けになってしまう俺。
もしかして知り合いだっただろうか?
そう思い記憶の引き出しを片っ端から開け放っていくも該当しない。
体に叩き込まれたダンスの振りを飛ばすことはなかったが、心は完全に彼女に持っていかれてた。
なぜ?なぜだろう?
俺がこんなに見つめてしまっているというのに、彼女の方は横にいる小さな男の子にしきりに話しかけていて、一向にこちらを見てくれない。
その小さな男の子はフラッフィーのファンだったのか、ぴょんぴょんと飛び跳ねていて、パレードを全身で喜んでくれているのに。
二人は親子だろうか?
なんとなくそう頭に浮かんだものの、そのあとすぐに胸に刺激が走る。
チクリと、嫌な種類の痛みだ。
なぜ……?
俺は不可解な胸の軋みに戸惑いながらも、予定通りにシャボン玉の自動噴射を停止させた。
そのとき、視界の端で不穏な動きが過った気がして――――
「危ないっ!」
反射的にそう叫んでいた。
俺の正面方向奥にいた観客の一部が、何かの拍子に前方に大きく揺れたのだ。
当然その揺れが向かった先にも大勢の人がいて、パレードに注目していたその人達は背後からの大きな勢いには無防備で、どうにか踏み堪えられた人もいたけれど、そのまま前の人を押してしまう光景も見られた。
そして小さな波を追ったそこには、あの彼女と小さな男の子がしゃがみ込んでいたのだ。
フロート上から目視で確認したところ、大人の体格ならば踏みとどまったり、押されてもそこまでの強さではなくて大事には至らない程度には思えたが、しゃがみ込むという体勢や小さな子供が相手では話が違ってくる。
俺の「危ない!」という叫びは、明確に、彼女に対してのものだった。
予想通り、しゃがんでいた彼女と男の子には後ろから人が倒れ込む形となった。
幸い近くにいたスタッフに彼女はすぐ腕を引き上げられたものの、どうやら足を痛めてしまった様子である。
しかもその一部始終を目撃していた男の子が泣き出してしまい、その声が俺の心臓を抉るように響いてきたのだ。
こういうイレギュラーが起こってしまった場合、いくつかの段階にわけてマニュアルが存在する。
今の場合は、演者はその場に待機というのがベストなのだろうが、どう考えても今回の原因は俺なのだ。
その証拠に、最初に前方の観客を押したとみられる複数の人物は、俺の熱心なファンだった。
そうと察した俺の行動は早かった。
「時生、悪い、後は頼んだ」
俺が安全装置を外しながら振り向きもせずに告げると、時生からは「ああ。任せとけ」と返ってくる。
そして俺は大声で泣いている男の子と、自分の怪我も顧みずにその子を一生懸命慰めている彼女のもとに駆け出したのだ。
「きみは大和君というのかい?」
スタッフとの会話を拾いあげ、泣き続ける男の子に声をかけた。
スタッフが用意した車椅子に座る彼女も心配だったが、まずは男の子の涙をストップさせないとと思ったのだ。
突然フロートから降りた俺に観客からはどよめきもあがったが、さすがにこの機に乗じて俺に近付こうとするファンはいなかった。
大和君は俺に話しかけられてびっくりしたのか、ピタリと泣き止んでくれた。
俺は自分の存在が怖がられていないと感じ、さらに距離を縮めるため大和君の前に膝をついて目線を揃えた。
「大和君?大和君のお母さんは怪我をしてしまったようだ。だからすぐにお医者さんに診てもらわないといけない。その為に、大和君に手伝ってもらいたいことがあるんだけど、いいかな?」
ゆっくりと、易しい言葉を選びながら語りかけた。
大和君はびっくりし過ぎたようで顔は強張っていたけど、
「おてつだい?」
小さく尋ね返してきた。
「そうだよ?大和君が優しいから、お母さんを心配して泣いてしまったのはよくわかるよ?でも大和君が泣いていると、お母さんがお医者さんに診てもらうのが遅くなってしまうんだ。だから、僕や係のお姉さんもお手伝いするから、大和君も泣くのはちょっと休憩して、一緒にお母さんを医務室に連れていくのを手伝ってくれるかい?」
「うん、わかったよ!ぼく、もう泣かない!」
「そうか、偉いぞ」
大和君の頭を撫でると、彼は嬉しそうに笑顔になり、母親に向かって「琴ちゃん、はやくお医者さんのところに行こうね!」と世話焼き口調になった。
その言い方や仕草を可愛らしいと思ったが、同時に、仲の良い親子なんだなとも思い、また心臓付近が痛くなる。
けれど、まだパレードは続いているのだ。
フロートを降りてしまったとはいえ、観客がいる以上、俺はまだ騎士の一人なのだ。
大丈夫。
こういうハプニングでのアドリブはもう何度も経験済みだ。
俺は即座に頭を働かせ、そして母親が乗る車椅子を心配そうに眺める大和君を抱き上げた。
そのとたん周囲からは歓声が聞こえて、俺はそれに応じるように頭だけを下げて一礼した。
「皆様、私はここで失礼させていただきますが、引き続き、このフェアリーテイル アンド アドベンチャー キングダムで、安全にお楽しみくださいませ」
演じることを忘れずに、観客にセリフを届ける。
するとあっという間に拍手に包まれ、俺は正々堂々とパレードから身を退くことができたのだった。
車椅子のまま医務室に案内される途中、バックヤードに入ったところで、会社の上層部の人間が数名待ち構えていて、彼女に深く頭を下げた。
怪我をさせてしまったのだから当然だが、謝罪を受ける彼女は恐縮していて、それはそれで気の毒にも思えた。
だが、彼女が医務室行きも遠慮しようとしているのを聞いた俺は、とっさに「それはだめですよ!」と口を挟んでいた。
車椅子に乗っている彼女が、顔だけを俺に振り向かせて、はじめて、至近距離で目と目が合う。
その瞬間、また心臓が痛くなった。
けれど今度の痛みがさっき感じたものと違うことくらい、すぐにわかる。
「……僕、フロートの上から見てたんです。息子さんを守ろうとして屈んだ
時に、色んな人のバッグや土産袋に頭をぶつけられてましたよね?ちゃんとドクターに診てもらった方がいいですよ」
既婚者相手にときめいたりしてる自分が気恥ずかしくて、俺は無造作に平常心を装って言った。
ところがそれでも彼女は遠慮を匂わせてくるので、俺は抱き上げたままの大和君を巻き込むことにした。
息子の言うことなら従ってくれるかもしれない。
「大和君も、お母さんがお医者さんに診てもらった方が安心だよね?」
「うん!」
大和君は大きく頷いてくれた。
だがそのあと何かを思い出したように「あ」と呟いた。
「でも……」
「でも?何だい?」
「あのね、琴ちゃんはぼくのお母さんじゃないよ?」
――――え?
突如披露された情報に、俺は大和君の背中に当てていた手にぐっと力が入ってしまった。
「え……そう、なのかい?」
「うん。でも、お母さん代わりだから、お兄さんが全部間違ってるわけじゃないよ」
どこか得意気に、クイズの正解を明らかにするようなテンションで大和君はコロコロとよく笑った。
大和君からの説得が効いたのかはわからないが、彼女は医務室行きを了承してくれたので、俺も大和君を抱いたまま後に続いた。
そして彼女が医師の診察を受けている間、医務室の椅子に座って大和君の話し相手になった。
そこで、大和君から、父親がいないことや母親はすでに亡くなっていること、母親の親友だった彼女が親代わりになったこと、彼女の名前が 秋山 琴子 であることなどを教えてもらったのだった。
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