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思い返せば、俺はダンサーとして舞台に立つ仕事がしたかったのだから、その夢は毎日毎日叶っているわけで、それは本来ならば幸せなはずだった。
父は ”30歳までにダンサーとしてある一定の地位を確立していればその後も家の仕事を手伝う必要はない” とも言ってたし、その条件はクリアしてる自信もあった。
それなりに稼ぎもあったし、暮らし的に何の憂いもなかった俺は、ブロードウェイは憧れではあるけれど、日本で応援してくれてる人達に別れを告げて、今の充実した日々を捨ててまで挑戦したいと思うほどの強い動機が芽生えてこなかったのだ。
唯一の気がかり、心残りとも言えるのは、父親との約束だけだった。
ダンサーとしての俺を認めてくれているのか、父の跡を継がなくていいのか、仕事の忙しさを盾にして、俺はきちんと確認をしないままに数年を過ごしていった。
ファンダックと正規雇用契約を結んだ後も外部の舞台に出ることは制限されなかったので、俺は時折、あくまでもファンダックの仕事に支障のない範囲でだが、年にいくつかの舞台で経験を積んだ。
するとそこで新しく俺を知ってくださった方々がファンダックに通ってくださり、俺のブロードウェイ挑戦はまた遠退いて……
そんな流れに身を任せて、忙しい毎日にも慣れていった俺だったけれど、ある時、いつものようにファンサービスをしている最中にふと思ったのだ。
この人達は、ダンサーとしての俺を応援してくれてるのだろうか?
それとも……
自分の外見が女子受けするというのは、ある程度成長してくるとまあそれなりに感じてはいた。
高校に入ってすぐに180cmをオーバーした身長もその追い風にはなったのだろう。
ただダンサーとしてやっていくなら、見てくれだってポイントになるのは常識で、俺は一つの武器として役立てることに疑問は微塵も持たなかった。
だが、ファンダックで働くようになってからというもの、その部分がかなり濃厚になってきてるのはひしひしと感じていた。
つまり、俺のダンスや芝居ではなく、容姿で高評価を得ているような気がしてならなかったのだ。
もちろんそれが悪いわけではない。
ただ、ファンダックに送られてくるメッセージやファンレターの8割以上が俺の顔を褒めていたり、まるでアイドルの追っかけのような内容だったりしてくると、さすがに引っ掛かりを覚えてしまった。
そして一度引っ掛かってしまえば、もしかしたらアメリカのエージェントにいい返事をもらえたのだって、ダンススキルではなく、”アジア人にしては長身で目鼻立ちがはっきりしているから” なんて理由だったのではないかと、急激に疑心暗鬼が襲いかかってきたりして……
ダンスには自信があったはずなのに、一定の人気だって得られたはずなのに、まるでそれらを裏返すように、俺はダンス人生でほぼはじめての挫折に直面していたのである。
そんな暗く渦巻いたような気持がより大きくなったのは、パレードの観客の中で明らかに俺目当ての固定ファンが目立つようになり、どんどんその数が膨れ上がっていったからかもしれない。
良い方に目立つのであればまったく問題はなかった。むしろそういったギャラリーのおかげでこちら側の演者も大いに盛り上がる場合もあるだろう。
だが俺の一部のファンに関しては、悪目立ちし過ぎていたのだ。
ファンダックのパレードはあくまでもキャラクターがメインで、俺達はバックダンサー的なキャスティングである。
それゆえキャラクター達が最も観客から見えやすいようなポジションに置かれているし、彼ら彼女らと会えるのを楽しみに足を運んでくださったお客様が多いのだ。
にもかかわらず、俺の一部の固定ファン達は、俺をいかに上手く画像や動画に残せるか、俺の視線をどうにかしてコントロールできないか、そんな思惑ばかりを見せてきたのだから、他のスタッフや演者、さらには周りにいるお客様のご迷惑になってしまっていた。
会社側としても大事になってからでは遅いと、それなりの対策をとってきており、悪質な人物にはそれ相応の対処も行った。
だがネットやSNSが網羅している現代では、いくらダンサーのポジションを変更しても、出演情報を伏せても、俺に向けられるスマホの数は減ることはなかったのだ。
あんなに、人前で踊るのが好きだったのに。
ダンスで役を演じることが気持ちよくて、その仕事に就きたくて仕方なかったのに。
最近の俺は、パレードのフロートに登るとき、どうしても気が滅入ってしまう。
今日も周りに迷惑をかける観客がいるのだろうか。
他のお客様は嫌な思いをされてないだろうか。
トラブルが起こって、誰かが怪我したりしないだろうか。
騎士の衣装を身に纏い凛々しく悠然と振舞わなければならない日も、道化師のメイクを施し愉快に演じなければならない日も、心の中は何事もありませんように、無事に終わりますようにと祈るばかりだった。
祈るしか、できなかった。
会社側も仲間のダンサー達も俺の責任ではないと言い切ってくれていたが、彼らは皆、もちろん俺自身も、複雑な思いを抱えながらもルール上はどうしようもなかったのだ。
けれど、そんな思いを携えて出演していたある日のパレードで、俺は、自分のこれからのダンサー生活を左右するほどの、決して忘れられない、衝撃的な経験をしてしまったのだった。
その日は、ファンダックで二番目に人気のフラッフィーというキャラクターのフロートに登ることになっていた。
俺だけでなく、ある一定の実力があり余裕のあるダンサーは、配役、ポジションが日替わりになっていて、俺の今日のパートナーは親友の時生だった。
学生時代からコンテストで何度か見かけていたが、特に親しくなったのは俺が帰国後ファンダックへの誘いを受けた辺りからだ。
時生も海外留学を経て、ファンダックにスカウトされたらしい。
会社とのミーティングで正式に紹介され、同い年、同じ留学帰りだったこともあってすぐに打ち解けた。
時生は一見不愛想で無口だが、慣れてくると普通に話しも笑いもするし、場合によっては俺よりも多弁になる。
会社側とのミーティングや、然るべきタイミングでは自己主張を怠らないし、その為にも周りをよく見ている。
そういったことから、時々、自分と同い年であることを忘れてしまうほどに大人びて感じてしまう、頼りになる相棒だった。
「蓮。何かあったら俺がフォローするから、今日は思い切りやっていいぞ」
フロートに乗り込み装置の最終確認中、時生がクールに平坦に告げた。
そうとは話していなかったが、俺が最近は控えめに演じていたことにもとっくに気付いていたのだろう。
「有難い申し出だけど、俺が本気でいったら時生が霞むんじゃないか?」
「馬鹿言え。ま、やれるものならやってみろよ」
本番前に憎まれ口を叩き合えるのも、こいつだからだ。
俺自身が個人的に頼りにしているというのもあるが、時生もかなりの人気があり、二人でいるといい具合に人気が二分されるのも助かっていた。
「なによ、私だっているんだからね」
逆サイドからは明莉が声をあげた。
「ああ、よろしく頼むよ」
俺が答えると、明莉は自信家っぽく唇の端をクイッと上げた。
そしていつものように、パレードがスタートした。
この時点までは、本当に、いつもと1mmも違わない日常の風景だったのだ。
俺が衝撃的な経験をしたのは、その直後のことである。
パレードでは途中に数か所でフロートを停車させ、観客がキャラクターやダンサー達と一緒に踊る時間があった。
フロート上の演者が下に降りはしないが、停車中はフロートに近寄ることも可能になるので、観客達と演者の距離が一気に縮まる演出だ。
言うまでもなく、俺が最も注意を払う場面でもある。
だが今日は隣に時生もいて、緊張感もいつもよりは僅かに低めだった。
きっとそのおかげなのだろう、最近なるべく若い女性の観客と視線を合わせないようにしていた俺が、その縛りを解き、そして、彼女を見つけた。
誤字報告いただき、ありがとうございました。
訂正させていただきました。




