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「うわあっ!すっごーい!」
大好きな恐竜の模型を見上げ、大和君は感嘆の声をあげた。
「よかったね、大和。ずっと楽しみにしてたもんね」
琴子さんも大和君と同じく満面の笑みで恐竜を見上げる。
俺は思った通りの反応に嬉しくなって、そんな二人を見ながら、この上ない幸せに浸っていた。
一昨日の夜ニューヨークに着いた琴子さんと大和君は、長時間のフライトにも疲れを見せず、空港での再会はそれはそれは大変な盛り上がりだった。
特に大和君は、俺との再会もそうだが、日本を出発したのとほぼ同じ時刻にニューヨークに着いたことにも大興奮で、「タイムマシンみたい!」と子供らしい感想で俺と琴子さんを和ませてくれた。
大きな歓喜と幸福感、それに少々の甘やかさを滲ませて、俺達は数か月ぶりの直接の触れ合いを味わったのだった。
当たり前だが二人の宿泊先は俺の部屋で、空港からタクシーで移動する途中ははじめての外国、はじめてのニューヨークに興奮しっぱなしだった大和君も、俺の部屋に着くなり電池が切れたように眠ってしまった。
そしてぐっすり夢の中の大和君を俺のベッドに寝かせてから、俺と琴子さんは短いながらも二人の時間を過ごすことができた。
久々のぬくもりを交換できて、俺はようやく、彼女がここにいることを実感できたかもしれない。
いつもは恥ずかしがりなところがある琴子さんも、実に数か月という時間を越えての触れ合いには、いつもとは違う面も見せてくれたりして、俺は新しい恋人を発見できたようで、たまらなかった。
この人を本当に好きなんだなと、改めて強く再認識したのは言うまでもない。
そして翌日は、時差の影響があるかもしれないのでゆるめのスケジュールを組んだ。
午前中はアッパーイーストの俺の部屋の近所を散歩しながらセントラルパークも散策し、ランチのあとは大和君が行ってみたかったというブロードウェイの劇場を見に行った。
中には入らずとも、大きな目立つ看板達を見て、大和君は満足した様子だった。
大和君はダンス留学中の明莉にも会いたいと思っていたようだけど、俺の留学時代は、毎日レッスンやオーディションの連続で、時間があれば寝るかレッスンかのダンス漬けだったことを思い出し、明莉にも琴子さんと大和君がニューヨークに来ることは教えてなかった。
大和君も残念そうにはしていたが、わがまま言うでもなく、すぐにニューヨークの街並みに関心を戻していった。
ディナー前には、琴子さんが職場の人に買い物を頼まれたというので五番街の店に案内し、そこで俺も琴子さんと琴子さんのご両親へのギフトを購入した。
だが会計を終える直前、ふと、FANDAKを辞めるときに琴子さんから贈られたものが思い浮かび、俺は追加であるものを購入した。
琴子さんから贈られたのはペアの箸だったのだが、俺はそのお返しのつもりで、ペアのボールペンを選んだのだ。
”同じものを持っている” というのは、想像してた以上に遠距離の支えになってくれていたから。
「あれ?蓮君も何か買ったの?」
「ちょっと……お世話になってる人へのお礼を」
「そうなんだ。それじゃ私もお会計してもらおうかな。ええと…」
海外にも英語にも慣れていない琴子さんがわずかに不安な顔をしたので、俺が出過ぎない範囲でサポートして、それからディナーに向かったのだった。
そして翌日の今日は、予定通り朝から自然史博物館に来ていた。
やはり恐竜のフロアでは大和君はとびきり嬉しそうにしていて、熱心に展示物を見つめていった。
その姿だけで、俺は数か月分の癒しをもらった気分になっていた。
だが、やはり子供というのは大人の想像を容易く超えてしまうようだ。
大和君は、1階の海洋生物ファミリーホールに足を踏み入れた瞬間、ぴたりと足を止めてしまったのである。
「………大和?」
足を止め、小さな体で目一杯正面のクジラを見つめる大和君に、琴子さんの心配げな声が投げられる。
だが小さな背中は振り返ることはなく、まるで ”魅了” の魔法にでもかかってしまったように、言葉を失い、そこから動かなくなってしまったのだ。
それはまさに、人が感動に染まる瞬間の光景だった。
俺にとってはその大和君の姿にも感動を覚えてしまうのだが、いくら大和君の体が小さくとも、入り口で立ち止まってしまったら通行の妨げになってしまうと琴子さんは判断したのだろう。
「大和、そこにいたら他の人の邪魔になるから、端に寄りなさい」
傍らに立ち、上半身を屈めて優しく大和君の耳元に寄せた。
それでもなおクジラから視線を外さない大和君に、琴子さんは「ほら、大和」と声かけ、手を繋いで引っ張った。
反動で、体だけは端に移動できたものの、まだ大和君の目はクジラに夢中だ。
大和君が今一番興味があるのは恐竜だと聞いていたし、実際、恐竜の展示エリアでは相当な関心を示していたけれど、このフロアに一歩入ってからの彼はそれとは比べ物にならないほどの反応だった。
小さな子供が、声も上げず、騒いだり飛び跳ねたりもせず、ただ深々と心に感動が降り積もっていくように、静かに心を震わせている。
それだけで、こちらまで胸に込み上げるものがあった。
この前笹森さんが、きっと大和君はこのフロアも気に入りそうだなと、そんなことを言っていた気がするが、本当にその通りだった。
いや、”気に入った” どころの様子ではなさそうだが。
「………大和君、相当クジラが気になるようですね」
いつまでも夢中を解かない大和君の隣で、俺は琴子さんに耳打ちした。
「本当にね。笹森さんがニューヨークのお土産を持ってきてくれたときに、きっと蓮君がニューヨークでいい所に連れて行ってくれるよって大和に言ってたみたいだし、それが博物館だというのはわかってたんだけど………ここまでとは想像以上だったわ」
琴子さんは驚き5割困惑3割、そして2割は嬉しそうに言った。
「え?笹森さんからここのことを詳しく聞かなかったんですか?」
あの笹森さんの様子なら、恐竜グッズの土産と一緒に土産話も琴子さんや大和君に披露していそうなのに。
ところが、俺が思うほどに笹森さんは琴子さん達の生活に侵食してはいないようだった。
「蓮君と一緒に自然史博物館に行った、とは聞いたわよ?その、蓮君が私と大和を案内する下見に使われた…とか、そんな感じのことは言われたけど、仕事が忙しいとかで、お土産だけいただいてすぐに別れたから、あまり話せてはいないの」
「そうだったんですか……」
5月といえば色々忙しい時期でもあるし、笹森さんが会社を引き継ぐことも正式に決まったとかで、きっと琴子さんとあまり話していないというのは事実なのだろう。
むしろそんな状況にいる人を悠長に誘ったりして申し訳なかったなと、俺は今さらながらに反省していた。
すると、ようやく大和君が俺と琴子さんに顔を向けたのだ。
だがその直後、またもやこちらの想像の上を行く感想を言い放ったのだった。
「ねえねえ、なんかぼく、いま、お母さんを思い出しちゃった」




