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今夜のリハーサルで花火まで上がるとは知らなかったので驚きはしたものの、それよりも琴子さんをテラスに連れ出すのが先決だった。
琴子さんは戸惑いを浮かべながら俺のエスコートを受けてくれて、流れてきた音楽にはちょっと興奮も見せはじめて、そんな恋人を俺はたまらなく愛おしいと思った。
琴子さんは夜のパレードははじめてだったらしく、ちょっとだった興奮はどんどん膨らんでいって、好奇心を隠さない姿は本当に可愛かった。
そしてそうやって興味いっぱいの琴子さんだったからこそ、すぐにスタッフの制服について疑問を持ったようだった。
琴子さんに問われて俺がテラスから身を乗り出すと、確かに琴子さんの言うように、この寒空の下で半袖シャツを着ているスタッフがいた。
だがもちろん俺にはそのシャツの意味がすぐにわかってしまう。
よく見ると、他にも同じシャツを着ているスタッフがいて、半袖シャツを重ね着してたり、上着の下から覗かせているスタッフも次々見つけていった。
「”Thank you”………」
そのシャツに記されたメッセージを口にすると、琴子さんは何かを察したような反応を見せた。
けれど深くは尋ねてこない。
琴子さんはきっと、それは俺にとって大切な領域だと感じたのだろう。
何も琴子さんにも話せないほど特別大事にしまっておきたいわけではなかったけれど、その気遣いが琴子さんらしくて、俺はそれ以上の説明を控えることにした。
やがて、俺達の前で時生の乗ったフロートが一時停止した。
スピーカーから流れる曲が変わり、舞踏会のクライマックスが眼下に広がった。
まだリハーサル段階だとしても、本番さながらのそれは、きらきら輝いて、まるで夜の世界を照らす希望のように感じて、胸が高鳴る一方だ。
つい数時間前までは俺もあちら側にいたのだと思うと不思議だが、まだその感覚が抜けていないのを実感していた。
だけど、俺の未来はまた別の明かりが照らしてくれるはずだと、琴子さんと繋いだ手にそっと力を込めた。
そしてパレードがまた出発する時が訪れる。
だがフロートが動き出すそのとき、俺は思わず目を疑った。
目の前のフロートを担当する警備係のスタッフが、こちらに電光ボードを見せてきたのだ。
灯されたボードに浮かび上がった文字は
”THANK” ”YOU!” ”GOOD” ”LUCK!”
それは間違いなく、新しい夢のためにFANDAKを去る俺へのエールだった。
「―――っ!」
俺は咄嗟に琴子さんと繋いでない方の手で口元を覆った。
そうでもしないと、全身からせり上がってくる感情が大暴れしそうだったからだ。
そのメッセージから目が離せなくて、だけどパレードは前へ前へと進んでいく。
まるで、時間は流れていくのだと見せつけるように、俺の乗っていないフロートは前に前に、進んでいくのだ。
俺はこの景色を絶対に忘れたくなくて、必死で瞳に焼き付けようとした。
すると、無意識のうちに、自然と、心からの想いが口を突いてこぼれ出ていた。
「Thank you as well………」
Thank you as well………
遠くに離れていってしまう彼らにこの言葉がとどくはずはないけれど、それでも口にせずにはいられなかったのだろう。
今夜のことは、一生忘れない。
俺は心の中でそう確信していた。
そして俺にはもう一つ。
きっと今夜が一生の思い出になるだろう………そんな予感がしていたのだ。
パレードを見送ってから部屋に戻ると、二人だけの時間が再開される。
二人ともこれからのことを意識しているのが丸わかりの雰囲気だったけれど、ふと会話の流れで、琴子さんが「きっと一生このことを忘れない」と言ったのを聞き、俺は緊張感よりも嬉しいという感情の方が大きくなった。
俺とまったく同じ風に思ってくれていたんだなと、なんだかはじめての夜に向けて弾みをつけてもらったようだったからだ。
「少し待っててください」
言い残し、クローゼットのコートのポケットに隠していたものを持ってくる。
FANDAKのスーベニアショップで売られている指輪だ。
ファンディーがデザインされていながらもシンプルで、大人の女性が身につけても浮かないだろうダイヤのプラチナリング。
内側には誕生石などのパワーストーンを入れられると聞き、俺は俺達を出会わせてくれた大和君の誕生石を入れることにした。
大和君の誕生日は俺と琴子さんが出会った記念の日でもあったからだ。
プラチナ素材であることから、FANDAKで売られているアクセサリー類の中では比較的高額な方だとは思うが、さすがに急ごしらえ感は拭えず、婚約指輪としては物足りないだろう。
もちろん俺も、ちゃんとしたものは、そのときまでに用意するつもりだ。
それでも、琴子さんに何も渡さないままニューヨークには行きたくなかった。
本番を前に、仮の婚約指輪………思いついたのは、以前FANDAKで見かけたこの指輪だった。
ファンディーの指輪なら大和君も喜んでくれるかもしれない。
そんな下心を含ませながら、俺はスケジュールの合間を見てショップに足を運んだ。
サイズは会話の中にさり気なく織り交ぜて訊いてあったので問題ない。
もし問題があったとすれば、この指輪をいつ琴子さんに渡すのか……それだけが読めなかった。
今夜、それとも翌朝か。
ベッドに行く前か、それともベッドの中で……
考えても考えても最後まで決定的なプランは立てられなかったのだが、琴子さんが俺と同じ気持ちでいるのだと知り、俺にはそれが合図のように感じられたのだった。
「―――――あなたを愛しています。だからどうか、俺に、未来の約束をください。――――――結婚してください」
一世一代の、仮プロポーズに跪いた俺は、琴子さんの左手を取った。
けれど琴子さんが泣き出してしまって。
「琴子さん…………。琴子さん、そんなに泣かないで………」
指先でそっと琴子さんの頬に触れると、琴子さんはピクッと体が揺れた。
琴子さんが俺を好きでいてくれること、もうじゅうぶんに知っているけど、本人からちゃんと答えてもらう前に指輪を嵌めることはできない。
俺は琴子さんに指輪をよく見せながら、
「――――この指輪を、あなたの薬指に嵌めてもいいですか?」
ダメ押しの口説き文句を投げかけた。
すると琴子さんは小さく可愛らしく頷いてくれて、俺はたまらず、その指輪の上から口付けをしていた。
そして躊躇うことなく、口付けは琴子さんの唇に移っていく。
それは、これまでとは全然意味合いの違うキスだった。
だって俺は、たった今、琴子さんの婚約者となったのだから。
婚約してからはじめて交わす深いキスは、はじめて迎える夜のはじまりを告げてくる。
「琴子さん、琴子さん………」
角度を変えながら、俺は彼女の唇を濡らすのに夢中だった。
だが途中、彼女の細い指が俺のキスを止めた。
かと思えば、俺の両頬に触れながら琴子さんの方から唇を求めてきて………
「蓮君。好き。大好き。私もあなたを愛してます――――――
琴子さんからの告白を、その言葉ごとを攫うかのような情欲で、俺はキスの主導権を奪還した。
そうして、愛してやまない大切な人との夜が、濃密に濡れていくのだった。




