表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
夢の足跡、夢の足音 ー 蓮 side ー
147/168





「俺はダンサーを引退して、明日からは実家の仕事を手伝う予定です。誤った噂にならないためにもお知らせしますが、”the Key” という会社です」


きっぱりと言い切ったあとには、ざわめきが生まれる。

俺の実家のことが初耳だったり、あくまでも噂だろうと聞き流していたのなら驚くのも仕方はない。

だけど少しばかり、俺は心が硬くなってしまうのを感じた。

俺の実家のことを知って態度を一変された経験は少なくなかったからだ。


すると無意識のうちに琴子さんが頭の中に浮かんでいた。


―――『蓮君……』


やわらかく俺を呼ぶ声が、硬くなった心を溶かしてくれる。

琴子さんは、離れているときでさえ、常に俺を支えて励ましてくれるのだ。

俺はそんな大切な存在と巡り会えたことがとても幸せで、その幸せが作用して、夢の行先が変わったに過ぎなかった。



「………ここにいる人のほとんどは俺よりも年下で、中には10代の若い人もいると思います。子供の頃からこのFANDAKで働くことを夢見て、実現させた人も多いはずです。でも俺がダンサーを志すようになったのは大学生の頃で、それ以前の俺の夢は、実家の会社に入って、父親の仕事を手伝うことでした。だけど大学卒業前にコンテストで声をかけてもらって、それがきっかけでニューヨークにダンス留学し、帰国後、FANDAKに誘ってもらい、今に至ります。なので俺のFANDAK歴はそれほど長くはありません。ですがFANDAKで、俺はプロのダンサーになるという夢を叶えてもらいました。そして今度は、以前抱いていた別の夢を叶えるために、FANDAKを去ることにしました」


こちらを見ている全員が、しっかりと耳を傾けてくれている。

最後の挨拶はここで終えてもいいような気もしたけれど、見る人見る人と目が合っていくうちに、俺はもう少しだけ話したくなった。

伝えたいと思ったのだ。



「……みなさんの中には、FANDAKのダンサーが最終的な夢だった人も多いでしょう。そういった意味では今ここにいるのはその夢を叶えた人ばかりのはずです。でも夢は、決して終わるわけではありません。ひとつの夢が叶ってもまた新しい夢が生まれてくるでしょう。まさに今の俺がそうです。また、夢が叶う前に別の夢を目指したくなることだってあります。もしかしたらみなさんの中には、FANDAKで望んだような仕事ができなくて今のポジションに迷いはじめている人もいるかもしれない。特にパフォーマーの世界は実力だけでなくタイミングが結果を左右する場合もあるから、悔しかったり歯痒かったり、どうにかして現状を打破しようと模索することだってあると思います。そうやって、FANDAKを後にする人を俺は何人も見てきました。どんなに懸命に努力しても叶えられない夢というのは絶対にあります。叶わない夢なんてない……そんな無責任な綺麗事を口にする人は、無視していい。この世には、願い通りにいかないことの方が多いんだから………」



琴子さんの辿った、命と引き換えの絶望。

理恵さんの迎えた、突然の別れ。

市原さんの知った、悲しいすれ違い。


それらが次々に頭に浮かんでくる。

夢が叶わなくても、願いが叶わなくても、それは、決してその人のせいじゃない。敗北なんかじゃないんだ。



「これだけは言わせてください。夢が変わるのは、悪いことじゃない。例えこのFANDAKで目指していたものに届かなくても、その結果他に目を向けることになったとしても、それは夢が変わっただけです。例えそれを挫折とか敗北とか呼ぶ人がいたとしても、俺はそうは思わない。ただ、人生の方向を変えるだけだ。だから………ここで夢を叶えてから去る俺に説得力があるかは疑問だけど、どうしても伝えておきたかった。夢を追い続けることも、夢の途中で追うのをやめることも、別の夢を見つけることも、どれも全部正解だから。夢が変わることは、悪いことじゃないから。だからとにかく、”今” の夢を叶えるためにできることを、”今”、してください。あなたの人生が、いつか終わりを………閉園時間を迎えてしまう前に」



言い終わったあと、ミーティングルームは一瞬の静寂が広がり、やがて思ってもいなかった大きな拍手が俺を包み込んでくれた。

ノープランの最後の挨拶は、ただ俺の偽らざる気持ちを言い残したに過ぎないけれど、もし、この中の誰かがこの先道に迷ったとき、朧気でも俺の話を思い出してくれて、ほんの少しでも一歩を踏み出すきっかけになってくれたら………そう願わずにはいられなかった。

今日まで共におとぎ話の世界を守ってきた仲間達の未来に幸多からんことを、心から祈りながら。







大きな拍手に送りだされ、俺のダンサー生活はピリオドを落とした。



慣れ親しんだロッカールーム、ミーティングルーム、リハーサルスタジオ、衣装クローク、シャワーブース、トレーニングルーム………一通り立ち寄り、係の方に挨拶をしてから、最後に俺をFANDAKに誘ってくれたディレクターのもとに向かった。

お世話になったお礼もあったが、予め手配しておいたものをお願いするためでもあった。


FANDAKを去るにあたり、快く送り出してくれる仲間達にどうしても感謝の印を贈りたかった俺は、兄に相談してみたのだ。

餞別や祝いの品としてオリジナルのTシャツというのは最もメジャーだったから。

せっかくならば ”the Key” のものをと真っ先に考えたのだが、兄は快諾してくれて、すぐにデザイン案を複数あげてくれた。

その中で俺が選んだのはごくごくシンプルに感謝の気持ちをプリントしたものだった。

ただ今夜はドレスリハも予定されていて、パフォーマー含むスタッフを長々と付き合わせるのも申し訳なく、Tシャツの配布はディレクターに任せることにしたのだった。



「それじゃ、後のことはよろしくお願いいたします。今日まで本当にお世話になりました」

「それはこちらのセリフだ。今まで本当にありがとう。元気でな。ああそれから、蓮……」

「はい?」

「頑張れ」



短くて、簡単な言葉なのに、俺はその言葉が今一番嬉しかった。

今日は何十、いや何百回言ってもらってることか。

そしておそらくはこれがFANDAK最後の『頑張れ』になるのだろう。

俺はその変哲もない言葉をしっかり心の重心に染み込ませながら、めいいっぱいの「ありがとうございます」を返し、とうとう、FANDAKから完全に離れたのである。




今日はFANDAKでの最後の日であると同時に、俺と琴子さんにとっては最初の日であり、スタッフ専用ゲートを出たら気持ちを ”終わり” から ”はじまり” へ切り替えなくてはと思っていた。

だが、ゲートをくぐった俺を待っていたのは、大勢のファンだった。

見覚えのある女性もちらほらいて、その手には明らかに贈り物だとわかるものを持っている。

もしかしたら俺の引退を知って駆け付けてくれたもののパレードには間に合わなくて、こちらに回ったのかもしれない。

いわゆる出待ちは厳禁とされているけれど、彼女達は整然と並んでいて、他の方の迷惑にならないようにという気遣いが見て取れる。

本来ならば、俺達パフォーマーは出待ちに対しては応じたりしてはいけないのだけど、今日はどうしても無言で通り過ぎることはできなかった。


すると先頭で待っていた若い女性が代表するような形で俺に労いの言葉をくれて、やはりここにいるのは最後のパフォーマンスを見届けられなかった人達ばかりだという。

せめて駅まで見送らせてほしいと言われたので、俺は今日はこのままFANDAKのホテルに泊まることを正直に答えて、それならば、そのホテルのロビーまでという約束で、彼女達の申し出を受け入れた。


ほんの短い時間ではあったけれど、彼女達からはいろんな話が聞けた。

琴子さんが怪我をしたあのパレードの日以来、いくつかのグループが横のつながりを持つようになり、無作法なファンに注意を促していたそうだ。

それを聞いて、やはり俺はファンの人達に恵まれていたのだと、改めて感謝の思いが濃くなった気がしていた。



そして約束通りホテルのロビーで彼女達と別れ、琴子さんとの待ち合わせに急いだ。

ホテルに入ってすぐ、ラウンジにいる琴子さんを見かけたけれど、何かを見てる様子で、あれはもしかしたら理恵さんの写真が入ったフォトフレームだったのかもしれないと思った。

以前、琴子さんの部屋で見かけたものとよく似ている感じがしたのだ。

遠目だったのではっきりとはわからないけれど。

だけどいざ琴子さんと落ち合い、宿泊する部屋に入ると、俺はそのことを覚えているだけの余裕をなくしてしまった。

琴子さんに悟られぬようにしていたけれど、大好きな人とはじめて迎える夜に平然としているなんて無理だったのだ。


夕食のルームサービスを決める相談でさえ、実は胸がいっぱいで空腹感などなかったくせに、そんな雰囲気は頑張って封印して。

琴子さんが想像以上に喜んでくれたのが俺も嬉しくて。

しばらくそんな感じで楽しい時間を過ごしつつ、合間にはずっと気になっていた俺がニューヨークに行ってる間のこととか笹森さんのことを話題に出したりして。

そして、さあ、そろそろナイトパレードのドレスリハがはじまる頃だなと時刻を確かめたとき、窓の外で大きな花火が上がったのだ。












評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ