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そろそろスタンバイのためにパフォーマーやスタッフが集まりだしていたところへ、インカムで現場のスタッフとやり取りをしていた警備担当者が駆け込んできたのである。
「それは間違いない?」
「はい。いつもは禁止のはずのメッセージパネルを即席で作ってるお客様もいらっしゃるそうです。不思議に思ったスタッフがそれとなく訊いてみたところ、なんでも、うちのスタッフと思しきSNSにそれらしい記述があったとかで、それが今朝から一気に拡散されているようなんです」
「SNS?蓮、心当たりは?」
今ここにいる中では最も上の立場にいるスタッフが焦り顔で尋ねてくる。
SNSと言われても、俺だってFANDAKに勤める同僚全員のアカウントを把握しているわけでもなくて、ドンピシャの心当たりなどあるはずもなかった。
「いえ、特には……」
だけど………もしかしたら、程度ではあるが、考えられる可能性は思い浮かんでいた。
今日お会いできない人にご挨拶の連絡を入れた際、俺は全員に口止めをしていたわけではなかったからだ。
完全に俺の落ち度だった。
「どうやら纏め役のファンもいるみたいですね。他のお客様のご迷惑にならないように現場で仕切っている女性が数名確認できています」
「まあ、蓮の私設ファンクラブみたいなものは前からありましたからね」
パフォーマー達も緊急ミーティングに参戦してくると、どこからともなく不安げな顔色も見えはじめてくる。
ポジティブではないざわめきが、波紋を描いていく。
おそらく彼らの頭の中に過ったのは、以前琴子さんが怪我をしたパレード中の事故だろう。
あの日は5月の大型連休ど真ん中で、俺のファンがパレードの停止地点に集まり過ぎてしまったことが原因だった。
それからというもの、混雑回避のため、俺は来園者が多い特定日はメジャーな演目への出演を見合わせ、もし参加する場合もポジションは定めず、複数の役を掛け持ちすることでファンの分散を図っていた。
だが、今日は冬休み期間中で、しかも現在開催中のパレードの最終日ということもあり、混雑具合ではかなりの方かもしれない。
その上、俺の引退を知ったファンが集まっているとなれば、安全面で大きな心配が出てくるだろう。
最悪の場合、俺の出演がキャンセルになることも有り得るかもしれない。
その恐れに、心が冷えていく。
けれど俺のラストステージを見届けに来てくれたディレクターの鶴の一声が、空気を動かした。
「―――よし。こうなったら下手に隠さず逆手でいこう。蓮はトップでソロ。蓮の相手は大至急衣装チェンジでセカンドポジのサイドに移動。もともと警備は増員していたから問題ない。蓮の今日の相手は、観てくださってるお客様全員だから。わかった?」
その指示は、ざわめきをポジティブ一色に塗り替えてしまったのだった。
直前にいくつかの変更はあったものの、パレードは予定通りの時刻にスタートした。
急遽ソロを任された俺は、ほぼフリーの即興で演じなければならなかったが、それは問題ないと思っていた。
これまでにも似たような経験があったからだ。
だが、いざフロートが園内に出ると、そんな自信はあっけなく吹き飛ばされてしまった。
それは、ものすごい歓声だった。
おびただしいほどの。
いつもの熱気や高揚感だけでなく、そこには、ものすごくたくさんの感情が集まっていて、それらが束になって俺に迫ってきたのだ。
まるで激しい感情の海の中を俺の乗ったフロートが進んでいくような感覚がして、俺は、ダンサーとして体に染み付いていたはずの音取りさえも忘れてしまうほどだった。
フロートの一番高いところからは、両サイドの観客がよく見える。
本来は禁止されているはずのメッセージをこちらに広げながら、俺の名前を叫んだり。
懸命に両腕を伸ばして俺に手を振って、少しでもよく見えるように飛び跳ねてたり。
「蓮!今までありがとう―――っ!」
「元気でね!頑張って!」
「ずっと忘れないから!」
方々から彼女達の想いが投げられてきて、その一つ一つがどうしようもなく嬉しくて、言葉では表現できないほどの感動と感謝の気持ちでいっぱいだった。
だけど、予告なしの急な引退の知らせには、心を落ち着かせていられないファンも大勢いた。
当然だ。
「行かないで、蓮!」
「寂しいよ」
「蓮、どうして辞めちゃうの?」
そんな正直な感情も、もちろん俺は正面から受け取りたかった。
俺だって、ずっと応援してくれていたファンの人達に引退を報告できないままなのは気になっていたからだ。
だが、FANDAKの決まり事として、スタッフやパフォーマーは園内での出来事、勤務中に知り得た情報などは絶対に外に漏らしてはいけないというのがあった。
パフォーマーに関しては、自分がFANDAKのパフォーマーだという事実さえ明かしてはならないという徹底ぶりで、それはおとぎ話の世界を守るために必要なルールだったのだ。
だから俺も自分の進退を一切匂わせなかったのだが、それはつまり、ファンの人達からしたら前触れもなく俺がいなくなってしまうということでもあった。
正直に言ってしまえば、ここ最近の俺はそのファンの存在に悩まされる機会も多かったのだが、そういった類のファンはごく一部だとも信じたい気持ちもあって。
だから、これまでダンサーとしての俺を励まし応援し続けてくれたファンの人達に感謝も伝えられずにFANDAKを去ることに、仕方ないとはいえ申し訳ない想いでいっぱいだったのだ。
だが俺一人だけが特別扱いというわけもいかず、歯痒さを隠し持って今日という最後の日を迎えたのも事実だった。
だからこそ、こんな大歓声はまったくの想定外で、何も準備してなかった俺はついパフォーマンスの手が止まってしまうほどに心打たれたのだ。
例えどんな声援だろうと、俺に対するメッセージはどれもが感謝しかなかったから。
フロートはゆっくりと歓声の波を分け入って、油断すると気持ちを一切合切持っていかれそうになっていた俺は、最後のステージを全うするために必死で演じた。
それがもともとの役なのか、”ダンサー北浦 蓮” を演じていたのかは定かではないけれど、とにかく集まってくださったお客様、そしてファンには俺の笑顔だけを見てもらいたかったのだ。
俺の今日のパートナー、俺がエスコートすべき相手は、”観てくださってるお客様すべて” なのだから。
感激の波はとどまることを知らず、常に押し寄せてきていたが、少しすると俺もプロダンサーとしての矜持から、フリーで踊って演じられるようになっていた。
両サイド、時々後方の観客へ手を振り続け、挨拶の礼をとる。
少しでも、一人でも多くの方に感謝の気持ちが伝わるようにと。
広く見渡している俺からは、周囲の様子がいつもよりよく見えていた。
俺にメッセージパネルを掲げようとして、スタッフに制止されている女性も何組もいた。
また、スタッフではなく、同じ観客から注意を受けてすぐにボードや幕を下げるグループも見かけた。
でもその全員が、指摘を受けて素直に従い、何の問題もなかったかのように俺達の乗ったフロートを迎えてくれたのだ。
よく見ると、あの日よりも観客の数や熱気は格段に増しているのに、その光景は、あの日よりもずいぶん整っている気がした。
――――『まあ、蓮の私設ファンクラブみたいなものは前からありましたからね』
さきほどの誰かのセリフが耳に響く。
ほら、やっぱり………俺のファンは、ちゃんとしたファンばかりなのだ。
俺は彼女達の存在を思いきり声の限りに自慢したい気持ちに駆られながらも、可能な限り多くの人達と目を合わせようと、必死に声援に応じた。
そうして礼儀正しい熱狂の渦の中、パレードは琴子さんや大和君、それに俺の家族が待つ特別観賞エリアへと差し掛かっていったのである。




