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「トキオにまで負けるなんて……」
「トキオは俺と同じサイドにいたし、アカリは逆サイドだったんだから仕方ないさ」
「北浦君はいつも優しいねえ。まるで本物の王子様みたいだ」
「やめてくださいよ」
「それよりも和倉さん、こちらの方とは、どういう…?」
楽し気な会話を引き留めるように質問を投げかけたのは、トキオと呼ばれている彼だ。
「うん?気になるのかい?」
「それは、まあ…」
「私も気になりますよ。だって、あの日ご迷惑をおかけしたゲストの方が、いつもお世話になってる和倉さんのご家族だったなんて」
そういえば、さっき私と和倉さんのことを誤解したような発言が聞こえてきたのを思い出す。
でもそれは和倉さんに申し訳ない誤解なので、私はすぐに違いますと否定しようとした。
けれど
「違う」
私よりも早く答えた人物がいたのだ。
北浦さんである。
「え?」
「だから、こちらの方は和倉さんの奥様じゃない。そうですよね?和倉さん」
大和のためにしゃがんでいた北浦さんはすっくと立ち上がった。
和倉さんは北浦さんに対してちょっと唇の端を持ち上げてみせる。
擬音で表すなら、”ニヤッ” という感じに。
「ふうん。北浦君は、琴子ちゃんのことをよく知ってるんだね?」
思わせぶりな言い方の和倉さんだったけど、北浦さんは冷静に言葉を選んだ。
「そりゃ、あの時医務室までご一緒しましたからね。フルネームくらいは知ってます」
「ああ、それもそうか」
「え、奥さんじゃない?それじゃあ、彼女さん、ですか?」
「そう見えるかい?」
「見えるも見えないも、そんなに勿体ぶるところではないように思いますが」
冗談で匂わせる和倉さんを、トキオさんが窘める。
すると和倉さんは愉快そうに声をあげて笑い、
「そんな怖い顔しないでくれよ。残念ながら、ただのご近所さんだよ。同じマンションに住んでるんだ」
やっと否定の説明をしてくれたのだった。
「えー、本当ですか?」
若い女の子が恋愛話を好きだというのは、いつの時代も変わっていないらしい。
彼女から放たれる疑いの眼差しは、少々エッジが効いているようにも感じた。
「本当本当。悲しいかな俺は独身だし彼女もいないし子供もいないんだよ。慰めてくれるかい?」
「そう言われても、和倉さんは人生を楽しんでらっしゃるように見えますけど?」
「確かに」
「秋山さんもそう思いませんか?」
ふいに意見を求められ、ビクリと過剰反応してしまう。
北浦さんが今度は私に上半身を屈めて尋ねてきたからだ。
「あの…、ええと……どうでしょうか……」
言い淀んでいると、北浦さんの後ろから佐藤さんが助け舟を出してくれた。
「レン、答えにくいことをお訊きするな。気の毒だろう」
「え、答えにくい?秋山さん、そうでしたか?すみません」
眉を下げて申し訳なさそうにする北浦さんに、私は大急ぎで手を振った。
「いいえ、そういうわけでもありませんから。ただ、和倉さんはいつも楽しそうで、お仕事も充実されてるようですけど、時々、大和の顔を見ては『俺も子供がほしい』と仰るので……」
「まあ、大和君は可愛いからね」
和倉さんもそこは異論がないらしい。
「それで今日もお誕生日祝いを?」
「そうだよ、佐藤君。大和君が北浦君のファンだと聞いて、この店を選んだんだ。ここには君達の写真がたくさん飾られているからね」
まさか本物の北浦君が現れるとは思わなかったけど。
本心かどうか定かではない言葉を付け加えながら、和倉さんは隣の大和の頭を優しく撫でたのだった。
「あ、だったら、私達も一緒に、」
「じゃあ、今日は大和君に会えてよかった。大和君、お誕生日おめでとう。せっかくのお祝いパーティーなのに、お邪魔しちゃってごめんね。僕達はもう行くから、ゆっくりケーキ食べて?」
アカリさんのセリフを遮って告げた北浦さんに、私と大和以外の全員がえ?という表情を向ける。
「ちょっとレン、大和君はレンのファンなんだよ?なら一緒にお祝いを…」
「いや、俺達がここに来たのはたまたまだろ?和倉さんや秋山さんだって俺達が来るなんて思ってもなかっただろうし。だったら、ここは遠慮した方がいいと思う。プレゼントも用意してないし」
「お前が一緒に祝ってくれるのが、大和君にとったら大きなプレゼントになると思うが?」
「そうかもしれないけど、でもほら、もう大和君の食事も終わってるだろ?でも俺達の食事はこれからだ。タイミングも合わないし、今日のところは出直した方がいいに決まってる」
コソコソと三人が小声で相談しているのを、私と和倉さんは顔を見合わせながら待っていたけれど、やがて和倉さんはハッと笑い息をこぼした。
「別にそんな細かいこと気にしないでいいのに。ねえ?大和君?」
「なあに?わくらさん」
「このお兄さん達と一緒にケーキ食べたいよねえ?」
「え?いっしょに?」
わくわく顔で尋ね返す大和。
すると北浦さんがすぐさま
「でも今日は大和君のお誕生日プレゼントを忘れちゃったんだ。だから今度、また会えたら、その時にちゃんとお祝いさせてくれるかい?」
大和の目をしっかり見つめて、柔らかく語りかけた。
これには大和の機嫌もさらに高まって。
「え?またお兄さんと会えるの?」
隣から見ていても、大和の目がどんどん輝きだすのがよく分かった。
よほど北浦さんへの憧れが増しているのだろう。
「もちろん。大和君がファンダックに来てくれたら、いつでも会えるよ?」
「本当?やったあ!!」
素直な喜びの感情を爆発させる大和に、北浦さん以外の彼らからの反論は持ち上がらなかった。
ただ一人、和倉さんだけは「へえ……」と呟いたけれど。
それが感心のため息なのか驚きの声なのかはわからないものの、何やら和倉さんには思うことがある風情だった。
そんな和倉さんがいささか気にはなったけれど、それよりも私は大和へのプレゼントに言及した北浦さんの方が気になってしまい、「あの、どうぞお気遣いなく…」言いながら彼を見上げた。
北浦さんは大和から私へするりと視線を流してきて。
「いえ、俺が大和君にプレゼントしたいんです。お礼も兼ねて」
「お礼、ですか?」
お礼と言われても、まったく心当たりがない私は、きょとんとするばかりだ。
けれど北浦さんはその整ったお顔を穏やかに綻ばせて、今度は和倉さんにお伺いを立てた。
「そういうわけなので、和倉さん、秋山さんに俺の連絡先をお伝えしてもいいですよね?」
「うん?そりゃ、君達の就業規則に抵触しないのであれば、問題ないんじゃないのかい?」
どことなくとぼけた調子にも感じてしまう和倉さんの回答。
にわかには違和感も覚えたけれど、風のように掴みどころのない態度はいつもの事にも思えて、それはすぐに消滅した。
「じゃあ、秋山さん、俺の連絡先をお教えしておきますので、もしファンダックに来られる時は事前にご連絡いただけますか?」
「え?え、でも、私達がファンダックに遊びに行くときは、北浦さんはお仕事中ですよね?」
「ええ。ですから、事前にご連絡いただければ、調整できることもありますので」
「調整って、そんなわざわざ私達の予定に合わせていただくなんて、」
「いいんですよ。俺がそうしたいんですから」
「でも…」
「琴ちゃん、ぼく、またファンダックに行けるの?」
躊躇う私に、大和が満面の笑みで確認してくる。
「…そうね、またいつか行こうね」
「そのとき、お兄さんにも会えるの?」
「それは…」
「うん、会えるよ。その約束を、今からするところなんだ」
返事に詰まった私からそれを奪い取って、北浦さんはさらに大和を喜ばせてしまう。
「やったーっ!琴ちゃん、約束だよ?ぼく、いい子にしてるから」
バンザイをして大はしゃぎする大和を見て、さすがに私も、北浦さんの申し出をお断りすることはできなかった。
促されるままに北浦さんと連絡交換する私を、和倉さんは「琴子ちゃん、押しに弱いからなあ」と楽しげに見守っていたけれど、佐藤さんやアカリさんは、何か言いたげな言葉を飲み込んでいるようにも見えた。
でも私も、二人がそうやって心配する気持ちも多少は理解できたつもりだ。
あんなにファンが大勢いる北浦さんだから、いくら子連れとはいえ、女性の私が急接近するのに彼の仲間が警戒するのは仕方ないのかもしれない。
逆に言えば、いい仲間なのだろう。
実際はそんな心配、必要ないのにな……
……私はもう、誰とも恋愛するつもりないのだから。
心の中の呟きは、誰にも届くことなく、胸の奥に沈んでいったのだった。




