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蓮君最後のパレードが終わり、観客もまばらにはなってきているとはいえ、それでもまだ周囲には彼の熱心なファンが数多く残っている状況なのだ。
おかしなことを口走ってしまえば、どんなトラブルを生んでしまうか想像できない。
そんな中でのお父様との会話には、色んな意味で慎重にならざるを得なかった。
「息子がいろいろとお世話になっているようで。あいつはあなたに面倒をかけてはいないでしょうか?」
低くて太い、ともすると相手に威圧感を与えてしまう場合もあるだろう響く声で、お父様が尋ねられた。
だけどそれは、聞きようによっては、重厚感があってしっかりした、信頼のおける存在感のある声のようにも思えた。
「いいえ、とんでもないです。いつも私達の方が支えていただいてます」
「私達というのは、さっきまでここにいた男の子のことを指してるのだろうか?」
「ええ、そうです。ご覧になってたのですね。ご挨拶できなくて、失礼いたしました」
お父様も大和のことをご存じなのだとわかったことで、ささやかに安堵を覚えた。
「いや、私こそ、あなたのご両親にご挨拶できなくて、申し訳なかった」
「そんな、会議がおありだったと伺いました。どうぞお気になさらないでください。それよりも、蓮さんのパフォーマンスはご覧になられたのですか?」
「ああ。どうにか間に合ったよ」
「それはよかったです。蓮さん、お父様のことを気にしてる様子だったので……」
スラスラとそこまで言ってしまってから、あ、と焦ってしまう。
「あの、今私が言ったこと、蓮さんやご家族には内緒にしてください。私、ついうっかり………すみません」
蓮君が私に打ち明けてくれた心情を、私が勝手に他の人にばらしていいわけがない。
ましてや、その直接の相手になるお父様に知らせてしまうなんて、迂闊にもほどがある。
蓮君の憂いの深刻度は定かではないけれど、本人の許可なく誰かに吹聴すべきでなかった。
するとお父様は私の心の内を見通したかのように、フッと笑み混じりの息をこぼされたのだ。
「いいでしょう。私とあなたの内緒話だ」
「ありがとうございます……」
私はすぐさま頭を下げたけれど、頷いてくださったお父様にホッとする間もなく、また新しい会話がはじまってしまう。
「あなたのことは、息子からいろいろと伺いました」
「そう、ですか……」
大和のこと、私の病気や体のことが事前に伝わっているのは承知していたが、それについてお父様がどうお感じになったのかはわからない。
お母様やお兄様が好意的だからといって、お父様も必ずそうとは限らないのだから。
後ろ向きな気持ちが、心の視界を暗くさせていくようだった。
ところが、お父様からは思ってもいなかった言葉が続いたのだ。
「あなたみたいな人だから、息子を動かすことができたんでしょうね」
「え……?私みたい、ですか……?」
どういう意味だろう。
率直な疑問が、ほとんど反射的に口を突いて出ていた。
「自分の人生に起こる想定外の出来事もしっかり踏まえたうえで、自分の人生をしっかり選んで生きてらっしゃる。あいつもダンサーになって、想定外の苦労や悩みを知り、それらを乗り越えたうえでまた別の道を選んだ。私とあいつが交わした、30歳になるまでに…という約束はご存じですか」
「はい。蓮さんからお聞きしてます」
「私は、てっきりあいつは30の誕生日までは決断はしないと思っていたんですよ。あいつは昔から、大事な決定は後回しにするタイプでしたから」
お父様の瞳は、まるで思い出を投影しているかのように、懐かしさを滲ませていた。
「だが今回は、そのタイムリミットを迎える前に大きな決断をした。それはあなたがいたからに他ならないでしょう」
「そうでしょうか………」
「例えあなただけが理由でなかったとしても、あなたが重要なきっかけだったことは間違いないはずだ」
私よりも蓮君を知っているお父様はまっすぐに断言された。
長らく顔を合わせていなかったというが、そんな疎遠は親が子供を理解するのに大した障害にはならないようだ。
私はそんなお父様に、肯定、否定以外の返事を選んだ。
「私も、蓮さんの存在に大きな影響を受けてます。蓮さんとの出会いが、私や大和にとっても重要なきっかけになっていると思います」
それは日頃から感じている感謝の想いでもあった。
するとお父様は「そうですか…」と、ふわりと目を細められて。
その相好は、穏やかに嬉しそうだった。
「あいつがお役に立てているのなら何よりです。そうやって互いに影響を与え合っているあなたとなら、ニューヨークまでの距離もそう遠くはないんでしょうね。……息子と離れてる間、心配事があれば我が家を頼るといい。あなたもお子さんも、いつでも歓迎しますよ」
「―――っ!」
あまりにも突然に訪れた受け入れの言葉に、私はお礼の返事さえも咄嗟には出てこなかった。
ただ、両手で口元を覆う仕草で、私が胸いっぱいになっていることは伝わっているはずで。
「そう言って、いただけて………ありがとうございます」
お会いする直前までの緊張感が、今になって、私の声を掠れさせてくる。
そんな私に気を遣ってくださったのだろう、お父様は早々に会話を切り上げようとなさった。
「では、私はそろそろ行くとしよう。車を待たせているんでね」
「そうでしたか。今日はお会いいただき、ありがとうございました」
「いや、私こそ―――」
お父様は言いかけて、ふと、その先を止めた。
そして一旦は行きかけた体を戻し、また私に向き直られて。
「琴子さん、あなたから、息子に伝えてもらいたいことがあるんだが……」
「はい。何でしょうか?」
このあと蓮君と会うことになっている私は、言付けくらいは大したことないと思った。
お父様はどう説明しようかと逡巡する風でもあったが、やがて、体温より高くもなく低くもない言いまわしでお話しくださった。
「―――”時間切れ” は、別に悪いことではないのだと、あいつに教えてやってほしい」
「時間切れ……ですか?」
「ええ。今回のこと、どうやらあいつは30の誕生日が来る前に決断した点に価値を見出しているようでしたから。ですが、私は昔からあいつが期限ぎりぎりまで考えて悩む姿も、我が子ながら粘り強いと評価していたんですよ。見方によっては ”大事なことを後回しにしがち” とも評価できますが、実際は、あいつはいつだって最後まで諦めずに最良の選択を考え抜こうとする。それが結果的にタイムリミットを迎える原因になってしまうわけだが……。これからの人生、あいつは何度も岐路に立ち、選択を迫られるでしょう。そしてその選択はあいつ一人だけでなく、あなた方や、会社の人間にも多大な影響を及ぼしかねない。だからこそこれまで以上に慎重に判断すべきであって、ひとつの選択をするのに時間いっぱい使うのも有効な手段になってくるはずです。だから、決して ”時間切れ” が悪ではないのだということを、どうかあいつに教えてやってください」
理路整然の端々に、蓮君への愛情を感じられる説明だった。
「あの……、差し出がましいようですが、それは、お父様から直接蓮さんにお伝えになった方がよろしいのでは………」
お父様がこんなにも蓮君のことを想ってらっしゃること、蓮君だってお父様の口から聞いた方がより心に響くはずだから。
けれどお父様は首を振られた。
「いいや。あなたからの方が、あいつも素直に聞くでしょうから」
「そんなこと……」
「少なくとも、あなたが間に入ってくれるなら、私の言うことにも耳を傾けるはずです。あいつが ”蓮君” と呼ぶことを許しているあなたなら……」
お父様からの指摘に、私はハッとした。
そして、胸があたたかいもので満たされていくのを感じた。
「………わかりました。責任を持って、蓮君にお伝えします」
私はお父様からの言付けとともに、もうひとつ、蓮君に伝えようと思っていた。
蓮君、お父様は、蓮君が思っているよりもちゃんとしっかり、蓮君のことを見ていてくださってるよ…………と。
私の了承に、蓮君のお父様は「ありがとう」と、ふわりと微笑まれてからお帰りになったのだった。
その笑顔は、とても蓮君に似ていた。
私はその笑顔を胸に刻み付けながら、肩に掛けたバッグのサイドポケットに静かに触れた。
そっと忍ばせてきた親友は、私と蓮君のご家族との初対面を見届けてくれただろうか。
理恵。
大丈夫だよ。
蓮君のお母様もお父様も、私と大和のことを受け入れてくださったよ。
だから、安心してね。
大和のことは、私達がちゃんと守っていくから………
黙したままの誓いが親友にまで届いてることを願い、私もパレードの名残りを抜け出たのだった。




