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まさかあんな条件を出されるとは………
夕方色に着替えゆく街の中、俺は複雑な心境を携えて琴子さんと大和君の元へ車を走らせていた。
二人とももう自宅マンションに戻っているというので、俺もまっすぐそちらに向かうことにしたのだ。
運転に集中すべきところだが、俺の頭は先ほど父から言い渡された条件に関することでいっぱいだった。
このあと早速琴子さんに話す必要があるわけだが、彼女がどんな反応を見せるのか、確固たるイメージは持てないままだ。
勝手に決めたことを咎めるかもしれないし、手放しで俺の選択を受け入れてくれるかもしれない。
ただ、前者にしても後者にしても、俺としては素直に喜べないのが正直なところだった。
だからこその、複雑な心境なのだ。
ただどちらにせよ、確かなことも一つだけわかっていた。
「琴子さん、驚くだろうな………」
独り言は車内を彷徨うように漂って、行先もなく空気に溶けていくばかりで。
それでも俺は、自分の気持ちに従って決めた人生の分岐点を、自分の大切な人達に早く知らせたいという想いもあったのだ。
そんな心情に導かれたのか、俺は予想していたよりもだいぶ早くに、琴子さんと大和君が待ってくれているマンションに着いたのだった。
「おかえりなさい、蓮君」
「おかえりなさい、レンお兄ちゃん」
いつからだろう、二人の家であるこの部屋の扉を開いたとき、”いらっしゃい” ではなく ”おかえりなさい” と言ってくれるようになったのは。
たぶん、俺がFANDAKの出番を終えてから二人の家を訪れたときだったと思う。
”いらっしゃい” だとお客様感覚になってしまうけれど、”おかえりなさい” はまるで身内のようで、俺はその言葉をかけられるたびに密かに感動したりしてしまうのだった。
「お食事会、間に合った?」
琴子さんが俺のコートをハンガーに通しながら尋ねてくる。
俺はネクタイをゆるめ、しゅっと引き抜いてから「大丈夫でしたよ」と答えた。
そして上着も脱ぎ、最近この部屋に置かせてもらうようになった私服のニットに着替える。
「レンお兄ちゃん、おしょくじしてきたの?ぼくは、わくらさんとささもりさんと、それから、えっと……」
「市原さん」
「そう!いちはらさんといっしょに、オムライス食べに行ったんだ」
にこにこと報告してくれる大和君は、可愛らしいという感想しか浮かばない。
「そうか、よかったね。おいしかった?」
「うん!あ、でもね、レンお兄ちゃんがいっしょなら、もっとおいしいよって思ったからそう言ったら、ささもりさんが『こんどはレンお兄ちゃんもいっしょにみんなで食べにこよう』って言ってたよ」
「笹森さんが?」
俺は内心、幾分かは申し訳ない思いもした。
逆の立場だったら、果たして俺は笹森さんのように振舞えるだろうか。
少なくとも今の俺にはそんな自信は微塵もなかったのだ。
だが笹森さんは違う。
あの人が琴子さんのことを今も大切に想っているのは明らかなのに、俺の存在を認めて、その上で適度な距離を保ってくれているのだから。
すごい人だと思う。
だけど俺は、そんなすごい人にも負けるわけにはいかない。
そのためにも、決断したのだから。
「じゃあ、今度はみんなで一緒に行こうね」
大和君の目線に合わせて、愛らしい頭をそっと撫でる。
それから、琴子さんを見上げて尋ねた。
「琴子さん、理恵さんは?」
大和君がお母さんの ”死” を理解しつつあるので、そろそろ理恵さんの遺骨を自宅で手元供養することも考えている…琴子さんはそんなことを話していた。
だからてっきり、今日理恵さんも一緒に帰ってきてるおかと思ったのだが………
「実はもうしばらく預かってもらうことにしたの。そうしたら、市原君も会いに行けるでしょう?うちに連れて帰ってきたら、市原君が理恵に会うためにここに来なくちゃいけなくなるし」
「ああ、それもそうですね……。でも、俺、今日はちゃんと挨拶できなかったので、改めてお会いしたかったんですけど…………聞いていただきたい大事な話もありましたし」
「理恵に大事な話?」
なんだろう?
不思議そうに首を傾げた琴子さん。
俺は立ち上がりながら先を続けた。
「もちろん、琴子さんにも聞いてもらいたいことです。だけど琴子さんの親友で、大和君のお母さんである理恵さんにも聞いてもらいたい話なんです」
立ち上がった分距離が縮まった琴子さんが、さらに疑問を濃くさせた。
「私達だけでなく、理恵にも……?」
「はい。これからの俺と琴子さんと大和君に大きく関係してくる内容なので……。でも、残念ながらここに理恵さんはいないようなので、理恵さんにはまた改めて報告させてもらいます」
「待って、蓮君。いったい何の話?そんな深刻なことなの?」
よほど不安を煽ってしまったのか、理恵さんの頬が石のように固まっていくようだった。
「深刻…と言うとネガティブな感じがしますけど、悪い話ではないと俺は思ってます。むしろ俺達の未来のために前向きな相談です」
少しでも琴子さんの不安を軽減できればという思いで答えたけれど、それはそれでまた戸惑いを与えてしまった。
「相談?私に?じゃあ、大和は……」
「大和君もぜひ一緒に聞いてもらいたいんです」
「え……?でも、大和が聞いてわかる話なの?」
「ぼくにおはなし?」
自分の名前にパッと笑顔を咲かせた大和君の頭を、俺はぽんぽんと撫でた。
「そうだよ?琴ちゃんと一緒に聞いてくれるかな?」
「うん、いいよ!じゃあ早くすわろうよ!」
俺の腕を小さな両手で掴み、ぐいぐい引っ張っていく大和君に素直に従う。
いつもなら琴子さんが飲み物を尋ねてくれるところだが、さすがに今日はそれよりも俺の話が気になる様子で、三人でソファに並んで腰かけた。
俺と琴子さんの隙間に、小さな大和君が入り込む形だ。
「……それで話って?」
「なんのお話?」
二人して俺をじっと見つめてくる姿は、血の繋がりがないなんて想像できないほどにとてもよく似ている。
俺はこの二人に出会えたことに、いつも以上に幸せを感じていた。
そしてこの幸せを絶対に手放してなるものかと、強く強く心に刻みつけて、二人に打ち明けた。
「俺は、近いうちに、FANDAKのダンサーを辞めることに決めました」
「―――っ?!」
琴子さんは目を大きく見開き、言葉を失くす。
だが大和君の方はすぐには理解できなかったのか、「ちかいうちって、なあに?」と目をぱちくりとさせた。
「ごめん、ちょっと難しい言葉だったね。近いうちっていうのは、もう少ししたら、っていう意味だよ。わかるかな?」
「うん、それならわかる!じゃあ、レンお兄ちゃんは、もう少ししたら、ファンダックのダンサーをやめちゃうの?」
「うん、そうだよ」
「どうして?もう王子様じゃなくなっちゃうの?」
大和君はにわかに悲しげに眉を曲げてしまう。
その反応は嬉しくもあり、また想定内でもあった。
「王子様か……。そうだね、もう、ファンダックの中の王子様や騎士や魔法使いになることはなくなるね」
「ええ……っ」
しょぼんと項垂れ、がっかりを隠さない大和君は可愛らしくも見えて、思わず苦笑してしまいそうになるけれど、きっと彼は本気で俺がおとぎ話の世界から退場することにショックを受けているのだろう。
どんなに可愛らしくても、その本気を笑うのは違うと思った。
「大和君、俺はね、」
「どうして?」
大和君に説明しようとした俺を、琴子さんの、まるで詰問するような口調が引き止めたのだった。
誤字報告いただき、ありがとうございました。
訂正させていただきました。
いつもありがとうございます。




